はじめまして。

初めまして。しのちゃんです。人口数万人の地方公共団体でお仕事をしています。

外回りの仕事が多く、公用車で動くことが週に二回くらいありました。
一番多いときで天災のときの現場急行で、半日に一回は運転していました。

そんなある日、通勤中に信号停止中のところを後方から追突されて、むち打ちになってしまいました。

そのときは、自分の保険を使うしかないのかなと思ったのですが、通勤中も公務とみなすということで公務災害に認定されました。

うん? そうなの?

公務災害規定には業務中のみならず自宅から職場までの通勤路と、帰路の途中に買い物でスーパーに行く途中でも、はてまたガソリンスタンドへ行く途中でも公務災害に該当するとのこと。

労災では業務中だけだと思いますが、公務災害はわりと広範囲で認めてくれるのが驚きでした。

その半年後。

ゲリラ台風が襲いました。当自治体も例外ではなく、地区の工業地帯が水につかってしまい、ほぼ毎日現場での復旧作業にあけくれました。

現場へ急ぎ来てほしいと連絡があり、公用車で向かう途中、またもや信号で停止中だったところを後方から追突されてしまいます。今度はわりと強めで、体が最初動かなくなってしまいながらも、とにかく必死で職場に連絡。
(今思えば、わりと社畜精神旺盛でしたw)

追突した側が救急車を呼んでくれて、人生初の救急搬送を経験しました。

人生初の救急車。動かない体。

頭の中では「またやっちゃったのかぁ」しか思い浮かびませんでした。

公用車は結果的に廃車、体の方はむち打ちと腰椎の捻挫でしばらく職場を休まざるを得ませんでした。


職場に復帰すると、貴重な公用車を一台廃車にしてなかなか身動きが取れずピリピリした雰囲気。
気遣う言葉とは裏腹に、内心自分のことを罵っているのではないかの不安にさいなまれて、仕事が手につきませんでした。

精神的にも限界が達し、療休をとることに。

それでも上司と人事部署は三日しかくれませんでした。

年末年始が近かったのもありますが、辛さと虚しさしかありません。



このとき、何か吹っ切れました。

交通事故でこちら側の過失が0だと、当時は民間保険でも弁護士特約が使えませんでした。(2022現在は過失0でも弁護士特約が使えるものがあります)
治療中でも相手方保険会社と賠償金と医療費の交渉をすべて自分でしていかなければなりません。

誰も手をさしのべてくれないのなら、自分でできるところまでとことんやってやろう。


ということで、執念のリハビリとカウンセリングを受け、保険会社との交渉や士業の方々の無料相談、ADRの検討、公務災害補償基金とのやり取りを徹底的にやりました。

結果、症状がこれ以上よくもならないし悪くもならない(症状固定)になってから二年後に保険会社及び公務災害補償基金からそれぞれ百万円単位の補償金を受けることができました。


このとき、きちんと苦痛であることを言葉にして訴え続けることが大事なんだと思いました。

ただ訴えるだけではなく、補償基金や保険会社のわかるように訴えるにはコツが必要だと痛感しました。

noteには、公務災害と労災の違いや、認定されるためには何をすればいいか、認定されたらどうすればいいか、保険会社や補償基金とのやり取りを書いていきたいと思います。

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