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庭仕事に関するしがらみ

私はコロナ禍に入る2年ほど前からガーデニングを始めた。初めて躁転した(もっと前にもしたのかもしれないが)のは草刈機で草刈りをし、テンションが上がったところに御葬式が入っててんてこ舞いになった為だった。
頑張り過ぎるとキャパオーバーする様になってしまったのだ。

私は男女共同参画のzoom会議や原稿などをやっつけて、共同参画の委員を辞任した。
主治医には泣き言を吐いてしまった。
「私は真剣に仕事と向き合えない身体になってしまいました。熱意はあるのに」
主治医は宥めてくれた。

前にも書いたが、そんな時、バラが私を慰めてくれたのを思い出した。手をかければ必ず咲いてくれるから。そして強靭な植物である。
畑もやり始める。門徒さんに手伝って貰い、昨年は初めてじゃがいもを植えた。収穫する時は案の定軽躁なのだか、何とも言えない達成感がある。

仕事も、ガーデニングも、徹底的にやりたいが
私にとって「徹底的に」は「躁転」を意味する。
程々が良いんじゃないかな。と主治医。

程々。ムズイ。男女共同参画の委員の話がまた来て、未練のあった私は再び受けた。バラやじゃがいもの世話もある。御葬式も法事も入るだろう。

「躁転」をせずに程々に庭仕事を楽しむのが私の今年の目標である。

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