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アンケート振り返り1

概要

まず、このアンケートは、18歳から20代半ばの方々を対象としたものでした。
内容は、1,若年層の多文化共生についてアプローチや考え、価値観 
    2,沖縄と本土との比較し、印象など
を調査しました。


共生社会への大きな壁は?

アンケートの回答としては、宗教、無知、言語、人種、価値観などの受け入れや尊重、文化、固定概念や偏見、思い込みなどが多かったです。
統計によれば、国際系や言語系を専攻している方は言語と答える割合が多く、これは少し意外というか、普段接しているからこその難しさなのかなと感じました。

共生社会への壁は?


確かに、単に仲良くするという点においていえば、多少言葉の違いがあっても共通の趣味などがあればその壁を乗り越えることもできます。
しかし、共生という観点では、やはり生活というもう一段階上のステップ、レベルのコミュニケーションが求められます。現代では、翻訳アプリも充実していますが、それでも生活する、共生するというレベルを求めるとまだまだ途上であることも事実だと思います。(個人的には翻訳などを介してコミュニケーションを取るというのは距離感が生まれてしまうと思います)
従って、共生社会というレベルで言語の壁というのは高い壁になっているというのも納得できます。

固定観念や思い込み


統計資料

 国籍、宗教、人種、食の価値観等で、それぞれ価値観の違いがあります。このアンケートでは、そうした違いのうえでなにか工夫をしているのか、どのようなことをするのか(しようと思うか)聞きました。 

ここで多かったのは、相手を知ることや尊重することといった回答でした。いいえと回答した人に「これからどういったことを気を付けていきたいですか」という質問を問いかけましたが、同様の回答が多かったです。
一方で、相手に干渉しすぎない、宗教や政治の話にはあまり突っ込まないという意見も目立ちました。
ここからわかることは、相手を知ることと相手を探り過ぎないというバランスということを大切にしているとおもいます。
 しかし、これは一歩間違えれば相手と距離を置くような接し方になるという問題もあります。例えば、”ガイコク人”のような外のものとしての関わりかたになってしまい、距離感も生まれてしまう問題も考えられます。

共生におけるコミュニケーションとは?

 共生とは、「共に暮らすこと。一緒の社会で生きていくこと」をここでは指します。
 さて、先ほどの「距離感」の問題について考えてみると、こうした距離感はどういった問題を生むのでしょうか?
 たとえば、災害時に現地の日本人や日本語がわかる人だったら分かり、なんとか対応できます。しかし、災害は情報が錯そうしたり、想定外のことが起きてなかなか対応できないこともあります。
 災害に関して言えば、その後の生活も避難所や仮設住宅などで共同に生活しなければなりません。
 そんなとき、日本語がわからない人などその環境に対応できない人たちは孤立してしまいます。
 では、そうしたことが起きないためにはどういったことが必要なのでしょうか?それは次回仙台の多文化共生センターでのお話も踏まえて書いていきたいと思います。

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