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「自分」という永遠のテーマ

「自分らしく」という言葉が好きであり、嫌いだった。
自分のことがよく分からなくなっていたから。

何かで読んだ。
誰かに認められることで喜びを感じたり、誰かに必要とされるために夢を持ったり、誰かに喜ばれることで生きがいを感じるような人は、自分のことがまるで分からなくなっている。
自分のやりたいことがわからないから、他人に判断を委ねていると。


そこで気がつく。


私が人の思想を聞いたり、芸術家の作品あれこれを見聞きするのが好きなのは、自分のことがわからないからだ。
わからないから、決めてもらおうとしていたのだ。


たしかに私、人に喜ばれたいという理由以外に自分のやりたいことなんてわからない。ずっと必死に周りから認められるための「自分らしさ」を追い求めていた。
何かに打ち込んでいる自分、センスのある自分、誠実な自分、ミステリアスな自分、表ではそれが自分だと思い込むのに必死で、裏では本当の努力をしていなかった。



でもこれは私にとって永遠のテーマだとも思う。


自分が分からなくなってしまった今、いっそのこと何かに染まってしまおうか。
そうやって染まれないから悩んでいるんだけどね。



最近ハマって観ている「二十五、二十一」という韓ドラがある。

主人公ナ・ヒドは、そんな私とは裏腹の、どこまでもまっすぐな女の子だった。
どんなに失敗しても立ち上がるし、逆境でもプレッシャーに打ちひしがれない。上手くいかない人間関係も真正面にぶつかり、ポジティブに周りを巻き込む。
彼女が揺らがなかったのは、自分の気持ちではなく、楽しいや怒りの感情を信じていたからだと思う。



人気と書かれた商品に目がいってしまうように、
周りから好かれる人にも目がいってしまうのだろう。

その人の特徴を真似て、上手に生きようとするけど、心は虫食われてたんだな。
きっと私は元々が捻くれ者の荒くれ者なので、正真正銘ありのままで生きるのも、誰かを真似てありのままを作るのも難しいけど、上手くバランスを取って生きていけたらいいんだろう。
私の感情にヒントが隠れてるかな。

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