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『きみの膵臓をたべたい』感想Part59

こんばんは。

今日も読書ノート書いていきます。


・不本意に勝ってしまった僕は質問を考えることにする。
彼女はいつものように上機嫌になり笑った。
笑う様子を見ると彼女がいつもと違うのは僕の思い過ごしだったのかもしれない。
彼女は少しの理由ですぐに表情が変化するからアルコール・天気が原因で。

『君にとっていきるっていうのはどういうこと?』と訊くと彼女は『真面目かよ』と冗談を言った後真剣に考えてくれた。
それだけで彼女が死ではなく生を見つめていると実感できると同時に心が少しだけ軽くなる感覚がした。

『うん! そうだな! これだ!』と決断が出たことを自分自身に言い聞かすように言った。
彼女の言葉を聞き逃すまいと耳を澄ませる。

『生きるっていうのはきっと誰かと心を通わせること。
そのものを指して生きるって呼ぶんだよ。
誰かを認める、誰かを好きになる、誰かを嫌いになる、誰かと一緒にいて楽しい、誰かと一緒にいたら鬱陶しい、誰かと手を繋ぐ、誰かとハグをする、誰かとすれ違う。
それが生きる。
自分たった1人じゃに自分がいるって分からない。
誰を好きなのに誰かを嫌いな私、誰かと一緒にいて楽しいのに誰かと一緒にいて鬱陶しいと思う私、そういう人と私の関係が、他の人じゃない、私が生きてるってことだと思う。
私に心があるのは、皆がいるから、私の体があるのは、皆が触ってくれるから。
こうして形成された私は今、生きてる。
まだ、ここに生きてる。
だから人が生きていることには意味があるんだよ。
自分で選んで、君も私も、今ここでいきているみたいに』と彼女は言った。
私は『生きることに』諦めかけた時期が15歳の時はだったな(小さいのを含めたら10回以上)はあるかも知れない。
学生時代3年毎に怪奇現象みたいな(悪いことが続々と起きるみたいな)あってとても恐怖だったし鬼門だと思っていた。
家族の問題も多かったと思う。
会社のリストラ・学校問題等沢山あった。
15歳の時はとある教師からいじめを受けていた。
授業中に黒板変わりのホワイトボードを叩いたりふてぶてしい態度をしていてとても恐怖だった。
宿題を強要されたことも。
・学生時代・社会人時代もどちらかと女性よりも男性と仲良くしていたと思う。
まぁ私が学生時代からヤンキーだったからその匂いが残っていて類が友を呼ぶのかもしれない(笑)。
・高校2年の秋に数学の補修授業を受けなくてはいけなくて放課後にマンツーマンで行う予定にしていたが教科の教師の時間が取れず代わりに来たのが『鬼塚』みたいなヤンキー教師だった。
その時だけ完全に『鬼塚化』していた記憶がある。
というか当時数字に弱かった私。
完全に弱いことがバレてしまってめっちゃ恥ずかしいかった。問題が理解不能だったので問題を理解するところから解くまで15分くらいかかったが本気強く付き合ってくれて嬉しかった。

今日も読んでいただきありがとうございました。
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次回はまた明日アップします。

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