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痔の痛みと闘う41回目の夏~自分の記憶の仕組み

私の人生のまだ半分しか、生きていない、1番若い友達が、「夏なのに、何の夏の思い出も無い。学校と実家とバイトだけ。」と嘆いていた。

そんな、毎年、夏らしい出来事がある訳でもない。
私は生まれて41回目の夏だけど、夏らしい思い出は片手に収まるくらい。ってことは、1/8。12.5%
でも、何もなかった、とその時思った事が後に残る事も多い。
体験しながら、同時に「これはきっと、この後の人生の夏の思い出に、なるな」なんて思えた事あるだろうか?
意外とそういう事の方が自分の中に残らず、その時には、永遠に続くのでは?と不安になるくらい普通の日常が、いつの間にか変わっている時に、あの時過ごした日常を、懐かしく思い、それが季節とリンクして、夏の思い出になっているなと思う。

何か大きな出来事があった。より、自分の感情が強く揺さぶられた、の方がやっぱり、自分の中に残る物だと思う。

結局の所、私は感情で生きる、完全な女型脳なのだ。

高校の2年間はローソンと歯医者と居酒屋と、短期バイトを掛け持ちしていた。
ローソンで、過ごしたバイトの時間は、いつまでも続くのじゃないか?という、不安に駆られる位、当たり前のあの時には日常だったけれど、ローソンの中から見た2年分の景色は、やっぱりもう今の私には得られない、非日常。

まあ、今からコンビニバイトをしたら、また手に入るものなのかもしれないけど、しないし、同じ事を経験しても、感じるものは違う。

大きな出来事は、記憶の糸口にはなる。
例えば、東日本大震災なら、あー子ども産んだ直後だったな、と思うし、阪神大震災なら、小学校5年生で、民法が映るテレビが、職員室の隣の事務室にしかなくて、高学年と先生が、事務室に顔を揃えて、ニュースにかじりついた。
当時私は、テレビ禁止の寮生活をしていたので、学校の事務室しか、テレビを見れる場所がなかった。

寮には、親や家族の住む実家が、関西にある人もいて、当時は、携帯とかなかったから、結局学校の事務室で、数日かけて家族の安否確認をしていた。
先生達の喫煙所だった事務室。
あのメガネの事務室の職員さんの顔が浮かぶ。

そうやって、あれがあった時には、こうだったな、とは思い出す糸口になるけれど、私個人は、被災したわけでもないので、特に大きな思い入れも、思い出もない。
だから、なんだか被災した方には申し訳ないけど、その時の自分の状況なり感情なりを思い出すばかりだ。

人の記憶とは不思議なもので、あーあれがあった時に自分は何をしていた、か、
あれがあったとき、周りで何が起こっていたか?

どっちかで記憶しているものだと思う。

私は頭が悪いので、短期記憶はすぐ忘れてしまう。
でも、そこに文脈があり、ストーリーがあると、エピソード記憶として、自分の中にずっと残る。

今日は、早く眠剤飲んで無理やり寝ていたのだが、午前1時に友達からのLINE通話の呼び出しで起こされてしまったので、今日は午前1時から始まってしまった。
2日分の眠剤を使えば、薬の残量の帳尻が合わなくなる。
みんな私を起こして、先に寝てしまう。
全く。この世はどうなっているんだい?

LINE通話に応答した私は第一声
「お前やってくれたな」
と言ったら、
「ごめん起こしちゃった?」
と言われたけど、もう起きちゃった事実は元に戻せない。
いつもの通り、ぐだぐだと、お互いの話を、お互いちゃんと聞いてるんだか、聞いてないんだか…。そんなやり取りをしている。

先週の金曜日から、元々悪かった肛門が形態変化した。

中学生の時には、もう既に便秘で、その頃から、脱肛しては、指で戻すということを、ずっと繰り返してきた。
私は恐らくケロイド体質なので、メスを入れたら、ケロイドになるのだろう。
腕のイボを取ってもらったら、元々のイボの5倍くらいの大きさのケロイドの傷になってしまった。
だから、痔なのは認識していたけど、肛門がケロイドになったら、もうどうしていいかわからない。
だから、専門医に行くのを避けてきた。
専門医に行けば、ほぼ確実に外科的処置になるだろうと容易に想像が出来た。
脱肛しても、指で戻せばいいだけ。

それが先週の金曜日の夜に、明らかに形態変化した。
柔らかく、脱肛するだけだった肛門に、明らかな塊ができた。
痔核だ。

出痔が、いぼ痔になった。

金曜日の夜中、私は脂汗をかいていた。
夏になると、肛門は調子が悪くなる。
湿度?自分の汗?
とにかく、湿り気が、良くない。
去年の今頃は、ずっと出血していて、本当に苦痛だった。

んで、今年。
ただの脱肛が、完全に戻らなくなり、そこが痔核に形態変化した。

金曜日の夜中、#9119を人に勧められて、あーそんな存在確かにあったな、と思い出し、人生何度目かの#9119を頼った。

呼吸の荒さや、心拍について確認され、自分としても、救急車を呼ぶほどではないと認識出来ていたので、消化器外科を救急でやっている大きな病院を3箇所紹介してもらい、順番に電話した。

痔の緊急手術をしてくれる病院は1つもなかった。
苦痛なのは理解できるが、外科的な処置はできない。私が既に持っている、軟膏以上の治療はできない。市販されている、鎮痛剤を使って、平日まで我慢してくれ。
との事だった。

3箇所とも、そういうおなじ返答なのだから、そうするしない。
脂汗をかきながら、痛みに悶絶し、近所で、痔を見てくれるクリニックを検索した。

月曜日、1番近くの消化器外科は、待合室がいっぱいだった。
ここにいる人は、みんな痔なのだろうか?
と思うと、ちょっと面白かった。
お盆明け、最初の平日。
お盆で来れなかった人が溜まるのだから、混んでしまうのは仕方がない。

診察をしてくれた医師はカルテにⅲ度と記載していた。
帰宅して検索してみると、1番重いのはⅳとの事なので、まあまあまあ、そうなるよねー。

痔核を確認され、外科的な処置が必要なことを告げられた。
まあまあまあそうなるよねー。

ただ、切開手術ではなく、痔核に注射をして、痔核を吸収させる方法が今あるのだという。
切開したら、ケロイドになる…。
腕に残っていつまでも消えないケロイドを医師に示し、それなら、注射の方がいいよね。
それでいい結果が得られなかったら、その後切開しましょうとなった。
その注射を打つ為には、大腸検査をして、ポリープ等の問題がない、と確認できないとできないので、予約をしましょうとなった。

「今いっぱいで最短で12月…」と医師が予約表のカレンダーを見ながら示す。
まじかよ。この痛みを4ヶ月も抱えながら過ごすなんてどう考えても無理だ。
「あっ、ひと枠だけ、キャンセルがあるから、10月にできるよ」と言われ、もう何もかも用事を合わせるから、一刻も早くこの苦痛を取り除いてくれ。
という事で、大腸検査と注射手術の予約を取った。

ケツが痛いと、思考の何もかもが奪われる。
集中してしまえば、少し忘れられるのだが、集中するまでに、いつも以上に時間が掛かるし、集中してからも、緊張の糸を切らせ、少しでも隙を見せれば、すぐに頭の中は、ケツが痛いに汚染される。
お腹がすいたなぁー→しかしケツ痛いな、もう無理→〇時に家出なきゃ→しかしケツ痛いな、もう無理→眠剤飲んで寝なちゃ→しかしケツ痛いな、もう無理

こんな具合で、物事を脳内処理する速度がいつもの倍以上かかってしまう事になる。

痛覚とは、本当に無視できるものではないのだ。

という事で、41歳の夏といえば、ケツの痛みになるのだろうし、ケツの痛みといえば、41歳の夏になるのだろう。

これもいつか、懐かしむ日が来るのだろうか?
若い友達が、「夏の思い出がなんにもない」と言っていた事も、一緒に思い出すのだろうか?

あれほど苦痛だった、希死念慮も、手放してしまえばどこか懐かしい。

LINE通話で起こされて、午前1時に始まった長い1日の事も、
いつも通りに話した、今日SNS見つけた面白かったお互いのネタも、
たまたまバズっていて見つけた漫画が、ちょうどお互い同じタイミングで興味を持ち、同じ所を面白いと思っていた事も…。

この苦痛さえも手放せば、どこか懐かしくなるのだろうか?
嗚呼、ただ早く解放されたい。

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