希死念慮とのお別れ。ハブられた結果、いい奴(まともな奴)ほいほいになったので、恩を返す。
去年の今頃、私はある界隈で徹底的にハブられた。原因は自分にあって、かなりのウザがらみをいろんな人に同じようにして、祟り神みたいになってた自分の状態を自分で制御できなかったから自分が悪いと分かってるのだけど、依存度の高い界隈だったので、一斉にハブられる空気になり、ほとんど直接絡んだことのない人にまでブロックされるのは、それなりにきつかった。
それから自制して、いろんな日常習慣を変えようと、ある日急に思い立って、その界隈のTwitter垢も突然消したし、その界隈にも関わらないようにしようとして、精神科の薬も無理やりに断薬したり、変えられること、変えた方がいいと思うことを徹底的にやってみた。まあ実際には希死念慮が肥大になりすぎて、完全に自分をジャックされてて、人間やめようと本気で思っていて、実際計画的にある方法を試したのだが、大失敗した。何も食べてないのに3日くらい吐き続けてとにかくきつかった。肉体的にきつかった。あの時の吐いたものの味を鮮明に思い出せるほどきつかった。そして一週間位寝込んで、ふと起きたら、希死念慮が居なくなってることに気が付いた。小2からずーっと付きまとわれていた希死念慮がその日を境に全くなくなったのだ。それから精神的にかなり楽になった。私は希死念慮に対峙するために、なにかに依存する必要があったみたいで、その対象の多くは人だった。何かに依存するということは同時に何かを期待する。人に依存するということは、人に期待するということだ。仕事なら評価されることを切望したし、プライベートでもやっぱり人に何かを期待していたように思う。
欲と執着は違う。似ているようで非なるものだ。例えばお腹が空いた何か食べたい。と思うのは欲だ。欲はまだある。でも、あそこのラーメンが、どうしても、今、食べたい!と思うのは執着だ。その執着が希死念慮とともに本当にきれいさっぱりなくなった。
私はその界隈で100人以上の人と関わったけれど、今連絡を取っているのは多く見積もって10人くらい。元々ラインを交換していて個人的つながりがあり、信頼関係が構築できていたのが半分くらい。界隈に出没しなくなってから、個人的に連絡を取りたいと私から思ってアクションをしたのは2人。その界隈を忘れたいと思っているときに心配だ心配だと声を掛けてくれた2人は、精神的負荷が大きすぎて悪いとは思いつつ、ごめんなさいブロックをしている。
村上春樹が、ピーターキャットというジャズバーを経営していた時に、「来店する人10人全員に好かれる必要はない。そのうちの1人にすごく気に入られれば商売は成り立つ。」と言っていたのが、若いころからずーっと心に残っているのだけど、まさにそんな感じだ。41になって、この言葉の意味を心の底から理解できたように思う。
残った10人は男女比半々くらい。特に女子の友達は、こんなこと言うのはおこがましいけど、価値観が似ている気がする。例えばその子とプライベートで会ったとしても、お互いそのことをわざわざSNSにあげない。私とその子が仲良くできた、楽しかったで完結する。それをわざわざSNSにあげて、界隈の人に仲がいいと認知されたいとは思わない。
特に私はその界隈にそっぽを向かれてるわけだから、その子にとって私と付き合うメリットは、私がその子と楽しい時間を共有できたかどうかだけなのだ。メリットデメリットで人間関係を構築する人は、みんな私をないがしろにした。みんなにハブられる空気に乗って、特に実害を与えたわけでもないのに、ブロックされるのは、当時の私にとってはかなりきつい事だった。印象操作というか、私が面倒くさい奴だという話を人づてに聞いて、それなら最初から関わらないでおこうと、とりまブロックをしてきた奴は全員覚えていて、今なんとなくその界隈に少し出没するようになったけど、そういう人とは絶対に絡まない。本当に限られた人と、界隈の新陳代謝で新しく入って来た、もしくはもともとの絡みが一切なかった人と遊んでいる。
界隈に復帰して、仲良かった?と思っていた人に絡みに行って「一生かかわりたくねー、めんどくせー」と直接言われたこともある。そういう人とはもう絶対に絡まない。
なんだかその界隈を離れて俯瞰してみると、公立中学校みてーだな。と思う。なんだか暗黙のヒエラルキーがあって、周囲をそういう風にしか見えない人も多い。私はもう中学校を卒業してるわけだから、そんなめんどくさい連中と絡む必要性は全くないのだ。ハブられたことはショックだったけれど、一年経過して残っている友人(って言ってもいいよな?)は、揃いも揃ってみんないい奴なのだ。私くらい面倒くさい奴は居ないと思う。それでも変わらずに付き合ってくれる、それだけで人間性が高い。なおかつ価値観が近いと言える。対集団ではなく、一人一人と関係性を深めているので、その人から直接聞いている話を別の人からされて、全く初耳にようにふるまうことはよくある。あとは嘘をついてないか?信用できるかトラップを仕掛けて、答えを知っているのに知らんぷりして、10の質問の中に2位正解を知っていることを会話に混ぜたりする。これで2とも嘘をつかれていたら、もうその人は信用しない。8だってどうせ嘘なのだろうと思う。ただ知らないなら知らないと言えばいいだけだし、知っているなら個人情報になるから余計なことは言えないといえばいいし、嘘をついてまで答える必要がない、しょーもない質問を聞いてみるのだ。
どっちの話を信用するか?となった時にこれは役に立つ。元々信頼関係がある人にそういうことはしないけど、初めて話した人とかにはたまにする。そんなしょーもない嘘を平気でつく人とはその場限りで終わる。私だってブロックする権利はあるのだ。界隈に少し復帰して、失礼だなと思う態度を取られたり、そういう目に合うとすぐブロックしてる。私も大分強くなったもんだ。界隈をやめる前、自分からブロックすることなんて本当になかったのに。
ハブられたのはショックだったけれど、残った変わらずに接してくれる人を選別するいい機会になったと一年経った今は思う。
みんな私がハブられてると知りながら、それでも変わらず接してくれたり、一年ぶりに「こんばんは」と一声を発しただけで「おお!」と反応してくれる人も居る。古いハンドルネームは捨てて、なんにも書かなかったり、適当な日替わりのハンドルネームを取ってつけたりしている。それでも声でわかってくれる人は居る。心配してた、生きてたのか、もうここには戻ってこないのかと思ってた、と言ってくれる人も居た。また連絡を取りたいなと思っていても、まだその人の圧に自分が同じ熱量で対峙するのが負担だなと思う人とはまだ絡んでいない。○○さんがこないだも心配してたよ、と言ってもらえたりもするが、まだ私も不完全なのだ。界隈に垢がばれたらまた面倒くさいことに巻き込まれるだけだ。
村上春樹のいう、10人の中の一人とすごく仲良くできれば、それで充分なのだと思う。10分の1の人と、個人として信頼関係を構築し、他人のプライベートなことは絶対に言わない。
ハブられてると分かっていても、私と変わらず接してくれた人には10倍くらいの恩返しがしたいなと思う。実際夜中に車出して迎えに来いといわれて、無料タクシーに行ったことが別に2回ある。それぞれに事情があって、困って私を頼ってくれたんだと思うと、それは嬉しいし、お金はないからお金のことは何もできないけど、労力と時間はいくらでも割ける。それくらいのことを私にしてくれて、あの時救ってもらったと思うから、希死念慮と執着が消えた今、できることならお返ししたいと思う。
私は好きだと思ったら(LOVEでもLIKEでも)なにがあっても一生好きだし、根拠もなく嫌いだと思うこともあるけれど一度嫌いだと思うと多分一生嫌いなんだと思う。
めちゃくちゃなことされた元旦那にさえ、やり直したいとか、また一緒に過ごしたいとかは思わないけど、幸せに過ごしてくれればいいなと心の底から思ってるし、決して嫌いでもないのだ。
希死念慮と執着が消えた今、昔からあった私居ない方がうまくいくねを察すると引くという習性がさらに強くなった。私より○○さんの方が適任だから呼んでくるね系のことを昔からする帰来があったのだが、以前は執着があったのでそうはいっても「好き」「関わりたい」という自分の感情が抑制できないときもあった。身を引く回数が多くなった。そういうことはアンテナをすごく張ってる人じゃないと評価しない。アンテナをすごく張ってる人は、この間譲ってくれてありがとうと言ってくれるし、アンテナを張っていない人はそういう気遣いにも気が付かないものだ。
推しは一生推すけど、私が推してると言わない方がいいと判断したら、表立って推さない。アンチは一生する。一度アンチになったら、一生アンチ。
ハブられたのはきつかったけど、その分得たものは大きかったなという話。10人全員からのよくわからない同意より、一人からの心からの交流の方が症に合ってる。そういうことがわかった一年だったなと思う。私自身が対集団にうまく対応できないというのもあるけれど、知り合ってから4年越しに顔を突き合わせてみて、思ったより普通の人だったともいわれた。どんだけ面倒くさいんだ私w。一対一の方が好きだな、私は…。
でもまあ、意外と人を選んでしか実際に会ってないレアキャラと結構会えてたりする。ほかの人の誘いは断るけど、私の誘いは約束守ってくれたとかやっぱり素直に嬉しい。私はネットとリアルの境界があんまりない人間だから、会いたいと思えば会いたいというし、会う約束をするし、遠くまで出向くこともある。その限られた人たちもまた、それぞれ仲が良かったりするので、AさんとBさん、私は別々に会ったことがあるけど、AさんとBさんは直接会った事がない、じゃ今度3人でご飯行こうとか言えるのだ。
たかがネットの付き合い、でもネットとはいえ人間の付き合い。私は広く浅くよりも、狭く深くの方が楽しいかな、という話でした。丁度4000字。ちゃんちゃん。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?