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愛がベース

良きものであれ、その正しさの主張
悪しきものであれ、その正しさの主張によって
それぞれの真実に余計な野次になる

だから、伝える者は気をつけないといけない

あるマスターの「力の誤用」の話がある
今日は、別の話と織り交ぜて伝えよう


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ある者が
神様と繋がる神聖な行為として
川で拾って来た石を毎日毎日集めていた

その者は
聖典を読んで勉強したような
知識はないが純粋な心を持っていた

その者は、自分はお金も知識もないが、自分にとって、心が動かされるとても美しいと思える石を
集めて神棚に並べることが
神様と繋がる大切な行為だった

ある時、その行為を見ていた
知識豊富な立派な聖職者が
「その行為は間違っている。そんな石は捨てなさい。わたしが神様と繋がる本当のやり方を教えてあげよう。」と言った


石を集めていた男は喜んだ
自分には知識がないから、こんな立派なお方に、神様と繋がる本当の方法を教えてくださるなんてありがたいと思った


そして家にあった石を川に捨てに来るのだが
自分にとって大切な石たちを、泣く泣く手放している


立派な聖職者は
「自分はとてもいいことをした!」と
満足そうにそれを見ている

そして「神様もきっと喜んでくださるだろう」と得意げに空を見上げた


だが、それを見ていた、あるマスターが
「今すぐ石を捨てるのをやめなさい」と言った

さらに喜んでくださると思っていた神様からも、お怒りの雷が空から落ちた


立派な聖職者は、口をあんぐり開けて放心状態


マスターは、大切な石を手放そうとしていた男に言った

「あなたの純粋な心で、神様に一番美しいと思う物を捧げていた行為は、神様と繋がる神聖な儀式そのものですよ。神様も喜んでおられる。あなたが純粋に信じることを信じなさい。それが一番神は喜ぶ。」

そして、その者は、今度は喜びの涙を流しながら、自分にとって大切な石たちを再び拾い集めた。


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言いたいことが全て詰まっている

導く者よ、表現者たちよ、
「力の誤用」には気をつけなさい


この話には中身の補足がある

立派な聖職者は、良きことをしたと信じて指摘したという事であれば、立派な聖職者も純粋な行為だったのでは? という点だ


それは違う

よく見よ


指摘をした後
その者は悦に浸った

満足感と、誇らしさで、
神に褒めてもらおうと得意げに空を見上げた

それが“エゴ”からの行為だったという現れだ



仮に彼が、本当に“愛”からの行為ならば
「褒めてもらおう」などという考えなど浮かばない

愛 は 褒めてもらう為に、行わない

純粋さ は 自己価値の証明の為に 動かない

それに比べて

エゴ は 自分自身の価値の証明や、周囲からの評価や報酬 そういったものを欲する

いくら取り繕っても無駄だ



立派な聖職者が
「神様、違います!わたしは本当に良いと思ったので、純粋な気持ちで助言しました」と涙ながらに弁解しようが

神様は「そうか そうか」とだけ言って
全て見抜いている

それに、表面上どう見せようが表面上は関係なく実際に「どうだ!すごいだろ!」という気持ちになったという事実は変わらない



これは 誰にでも起こりえるし
人間には 誰にでも ある部分だ

数%でもあるのがエゴだ

だが、愛がベースで生きている者は
そのことをちゃんと理解し
自分の在り方や発言に
愛か否か に責任を持って
取り組んでいる

その気をつけている在り方が
本当の知恵者であり賢者であり
真の聖職者であり純粋な人間だ


この話では
わかりやすく神が雷を降ろしたが

実際には
神は何もしない

「神様違いますから〜」と言ったら
「そうか、そうか」と言って
特に相手にしない

エゴの満足で生きるも良し
愛の行為で生きるも良し

その選択は、全て、それぞれの自由だ

そこにジャッジがあれば
それは神ではない


内側の真実は、自分で選択して選んでいるし
どんな選択をしているかを、真摯に見て今の自分を知ることも
選択を変えるのも、自分でするしかないのだ

誰も指摘してくれぬぞ

だが もし
危険がありながらも
注意をはらいながら
愛で、伝えている者に出会ったら
耳を傾けるに値するギフトとなる

数は多くなくてもよい

身近な家族や友人かもしれない

それほどに、
導くという行為は
真の愛が問われる行為だ

指摘を含む内容であれば
エゴのコントロールと紙一重にも見えるほどだ


ジャッジをしない在り方で
「なんにも言わない」「なんにもしない」を選択するほうが無難だし

それを選んでいる者が殆どだ


それもひとつの選択だ

傷つけるよりは いいだろう
エゴで間違うよりは いいだろう

そう、それもあなたが納得した選択なら
それがベストだ

賢い選択とも言える





さらに精神が進んでいる者で
何も言わない賢い賢者たちや知恵者たちも、とても多い

なぜ口を開かないかには
それぞれの魂の質や目的が違うからとも言える


発信者や表現者や
挑戦者だけが凄い!と思うことは
浅はかな考えだ。

だが、そのうえで
わたしは挑戦者たちに
エールを送る。

しっかり自覚するために
大切なことを伝えたうえで
あなたがたにエールを送る為に
こうして現れている。





自分と周囲を含めて
今一度自覚してほしいことを
おさらいしよう。

人気の発信者の中にも
エゴが強いか、
愛が強いかで、
別れているということ。

同じ人物の中にも入り混じってもいる。

多くのインフルエンサーや
表現者、発信者たちは
最初は純粋な想いでも
進むうちに、場合によっては、
自分のポジショントークをすることに
酔ってしまう。

気づけば戻しを
繰り返し
発信者たちも成長するし
変化する

愛 か エゴ か
それが完全!とまでいかぬとも
入り混じってしまうことも
よく理解し、活動を通して成長することを選んだ“挑戦者コース”の魂だという自覚を持って続けなければいけない


そうでないなら、
辞めてしまいなさい。

ただどうせ、
また戻るだろう。
(活動家の魂の気質ならどうせまた動く)

彼ら、彼女らにとって、

「何も言わない、何もやらないなは
楽だぞ〜?」

これは、エゴの声だ。

確かに一時、楽だが
楽ではない。

どんな規模感であれ
表現したくなるのに
表現しないのは拷問だ。

本当に楽なのは
純粋な気持ちで
動けている時だ。



あなたがたが挑戦者コースの魂で
それが真の気質なのであれば

何がエゴで 何が愛と真実か
よくよく理解しなければ

何であれ 気質の違う知恵者たちを
真似たとて どうせ活動にまた足が向く 

ならば活動する者として
自分の気質に一致して

あなたらしく
表現し、

あなたらしく
発言し、

あなたらしく、
活動をしなさい。





荒削りで成長過程でもよろしい。

誰もあなたに完璧さを求めていない。(あなた以外には)

石が良いと思えば石を集め、
変化があったら受け入れ、
どうしても伝えたいことがあるなら
エゴやジャッジではない大きな愛で伝え、
純粋に活動を続けなさい

それはもう
どこを切り取っても

成長し磨かれ
とても美しいあなたとして
輝いている






神様は何もしないと言った

だが、輝くあなたに
ついついギフトは送りたくなるものだ

罰を与えることより、ギフトを与えたいのだ

そして、わたしもそうだ

贔屓をするのは
活動している魂たちだ

なぜなら、あなたがたを見ていると
とても尊く美しく応援せずにはいられない




---今日のおさらい---

・愛かエゴか

・内側の真実にもう一度繋がってみて

・改めて決めて活動してごらん




今日は以上よ。

わたしたちは挑戦する方々の味方でありたいと、いつも思っている。

ではまたね!

御神託先生


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