将来に対する漠然とした不安を抱えてしまっていないかー!?
こんにちは、yuyuです。
どうでもいい話ですが、久々のブログ更新になりました。
ブログを書くモチベーションがうんぬんかんぬんで
何も書かないままグダグダと過ごしてしまっていた私ですが、
最近友達がブログを開設したということを聞いて久々にモチベが上がりました。
(0%→30%くらい)
なので、書かせていただきます。はい。
今回は、「将来に対する漠然とした不安」をテーマにお話ししてみようと思います。
なぜかというと、自分自身が将来に対する漠然とした不安を
抱きまくってしまうタイプだからなんですね。
だからこそ、不安で頭がいっぱいになるような夜を過ごしながらも、
一方で、「はて、こんなに不安になるのもそれはそれでいかがなものか?」
と感じた私自身の思いをシェアさせていただこうと思います。
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まず、私自身、とても不安を感じやすいタイプです。
私は現在大学生なのですが、
漠然とした将来の不安を感じることが多々あります。
「心や体の体調を崩して、働けなくなったらどうしよう…」
「就職ってどこにすればええんや…」
「起業っていってもなにすりゃええんや…」
「大学生活終わったら朝から晩まで8時間労働?…そんなの無理!!」
「これから先、果たして良いパートナーと出会えるのか?」
将来に対する希望・期待よりも
将来に対する懸念・心配等々が
圧倒的に上回ってしまう、いわばあんまおもろくないタイプです。
今感じている不安を一つ一つ文章にして書き出して
それを一つ一つ理論的につぶしていっても、
じゃあ次は、もし〇〇になったらどうしよう…
もしかしたらこういうケースもあり得るかもしれない…云々云々と
また次から次へと新しいケースを考え出しては
ギリシャの三大悲劇詩人、ソフォクレスも呆れるくらいのスピードで
悲劇の大量生産を行っているわけですね。
自分の言い訳としては、
「いつも最悪のケースを想定することが大事。」
慎重 of 慎重 マインド。
その最悪のケースは、すべて身の危険を及ぼさない安全なものだぞ!
と確信できるようになってから、恐る恐る警戒心をといていきます。
確かに、それは間違っていない。
確かに、どの世界においても、
リスクを想定して行動することはとても大事です。
でも、そんな過去の自分に、今の自分は一言申し上げたい。
「それ、なにか見落としてるんとちゃうか?」(なぜ関西弁)
「それ、なんか落とし穴はまってるんとちゃうか?」(なぜ関西弁2)
「不安になるのはいいけど、むしろ、
それはそれでなんかリスクあるんとちゃいまっか?」(なぜ関西弁3)
「不安になることは、リスクのある行為でもある」
これが私の考えです(というかこれは…常識?)
思い返せば、「〇〇したらどうしよう…という過剰な不安」があることで
ついつい広告に煽られて商品を買ってしまったり(買わされたり?)
カルトや宗教的なものに気づかずお金を払ってしまったり…
といった体験がたくさんあります(後者はあまりないかもですが…)。
もし、〇〇になったらどうしよう…と不安になることはあっても、
もし、〇〇になったらどうしよう…と不安になることで
そこにつけこまれたり、パフォーマンスが低下したり、
心や体の体調を崩してしまったらどうしよう…
と思う人は、どれくらいいるでしょうか?
どれだけ怖がりな人でも、
漠然とした将来を恐れることはあっても、
漠然とした将来を恐れることそれ自体によって、
自身に何かしらの不利益がもたらされるかもしれない
ということを恐れないのはどうしてでしょうか?
ここで私が言いたいのは、
「あなたは、本当に正しく物事を恐れることができていますか?」
ということです。
「正確に物事を恐れるのは難しい」
という言葉を聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれませんが、
まさにこのことです。
不安を感じること自体は、
生物の本能的な防御システムとして大事なのかもしれませんが
一方で、過剰に不安になることは、
それはそれで大きなリスクを伴っているような
気がしたのであります。はい。
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応用編&ちょっとしたワークショップ(?)
大学の表象文化論の授業から考察する
「不安」と「ビジネス」の結び付き(なんやそれ)
興味がある方はぜひ、覗いてみてくださいね!
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