私があなたを選んだ(トロッコ問題と塩狩峠)
人生は選択の連続だと思っているがその中にはとても苦しい選択もあって、時にはそれを放棄したくなる時がある。
『トロッコ問題』
“5人を助ける”(数の論理)
“1人がもし自分の子どもや恋人だったら?”(条件の付加)
“トロッコから飛び降りて、自分だけ逃げる”(責任放棄)
など様々な選択がある。
だが、“トロッコを飛び降りて、自分を轢かせて止める”という究極の選択もある。
『塩狩峠』(三浦綾子作)
『トロッコ問題』とよく似た状況で、自分の身を線路の上に投げ出し、暴走した機関車を止め、乗客を救った鉄道員がいた。作家三浦綾子は、その実話をもとに、『塩狩峠』という小説を書いた。
<関連記事と本文抜粋>
1966(昭和41)年から日本基督教団出版局の月刊雑誌『言徒の友』に連載された『塩狩峠』
は、ある衝撃的な事故をもとにした小説だ。
1909(明治42)年2月28日の夜。名寄から旭川をめざす汽車が塩狩峠に差しかかる。ボイラーをフルに焚いて急勾配を上る蒸気機関車だったが、突然最後尾の客車の連結器がはずれ、一両だけが下がりはじめる。スピードがつけば山中のカーブでまちがいなく脱線してしまうだろう。当時のルートは直線化が進んだ現在よりずっとカーブが多かったのだ。塩狩峠越えの車両にはいつも補助の機関車がつけられたが、この日はなにかの事情で一台の機関車だけだったらしい。
車内に悲鳴が飛び交った。乗り合わせた鉄道職員長野政雄がとっさに席を立つ。車両デッキについているハンドブレーキに飛びついて懸命にまわすが効かなかった。カーブは目の前にせまってくる。すると長野は我が身を車輪止めとすべく、なんと自ら線路に飛び込んでしまった。
そうして車両は長野の体に乗り上げ、その命と引き換えにようやく止まったのだった。
1964(昭和39)年の初夏、三浦綾子は自らが通う日本基督教団旭川六条教会で、長野政雄の部下だった者と出会う。長野が残した文章などはごく限られたものだったが、三浦はこの事故と長野の人となりを知り、作品にしたいと意欲を燃やした。小説のあとがきにはこうある。
「わたしは長野政雄氏の信仰のすばらしさに、叩きのめされたような気がした。深く激しい感動であった」
私は、長野さんが神さまに選ばれたのだと思う。見知らぬ人を助けようとして、同じような行為をした人を、ニュースで何度か見たことがある。
そのために亡くなった人もいるが、助けようとした人は、ごく普通の人だった。たまたまそこに居合わせて、命の危険に瀕した人を見て、自然に身体が動いたのだという。
そこには『選択』というより、『神性』が宿っているような気がする。それは自分がしようと思ったと言うより、やはり神さまに選ばれたのだと思う。
私はどんなトロッコの選択をするのだろう?
それとも神さまに選ばれるのだろうか?
『分からない』
分からないけれど、私は小さなトロッコの選択をたくさんしてきた。その中で、愛する者のことを忘れずに(かなり苦しみながらも)選択をしてこれたことは、よかったと思う。
Amzazing Grace
(驚くばかりの神の恵み)
by Heyley Westenra
(ヘイリー・ウエステンラ)