見出し画像

  ハノイの塔 第一部

     紙

      1   

 任意の点Aのぼくから始まるこの話はすべてフィクションであるけれど、ぼくの頭の中では事実と共に併記される。だから取り出す時、時々間違えて事実と思って架空の話をしたり、架空と偽って事実を持ち出したりすることもあるのでどうか悪しからず。末永くお付き合い願いたい。
任意の点Aであるぼくは今、とにかく猛烈にお腹が空いている。体内でブドウ糖に変換される有為なものを何かしら胃の腑に詰め込まないことには、ぼくの頭の中の話がどうして先へ進むことなどあり得ようか。ぼくは水を入れたステンレス鍋をコンロの火にかけ、シンク下の棚から輪ゴムでとめたマ・マーの袋を取り出す。親指と人差し指で作るOK分の量を計る。沸騰した湯に塩を加えてパスタを入れる。茹で上がるのを待つ間に、冷蔵庫からラップできっちり包んだ玉ねぎ半個を取り出してざっくりと切り、側面のヒエログリフ文様が気に入って買った楕円形の耐熱皿に入れる。固めに茹でたパスタも湯切りして耐熱皿に入れ、開けた缶詰にラップして残していた生クリームをすべて掛け入れる。粉チーズを振ってオーブンレンジで焦げ目がつくまで。ぼくは使ったものを洗いながらキッチンの小窓から外を見る。
ぼくがいるのは月見荘206号室。六畳の部屋と襖で仕切られた三畳の続き部屋、キッチン、風呂場、和式便器に簡易便座を取り付けたトイレがある。
部屋の明かりは裸電球で、天井から垂れ下がるコードが長すぎて結んで短くし、首吊りの輪のようになっている。
ぼくはつねに頭上に運命の輪を意識している、していないに関わらずそれは頭上に垂れ下がっている。ぼくは畳に寝っ転がり気づくと輪っかを見ている。夜中ふと目覚めて天井を見ると暗がりに輪っかの陰が浮かんでいる。
いっそ切ってしまおうかと忌々しく、怨めし気に見上げることもあったけれども、ついつい忘れてそのままにしているうちに大して気にならなくなった。死はどのようなところにだってつねにあるのだし、頭上にそれがあるからといって何もことさら騒ぎ立てることはない。それは杞憂だし上ばかり見ていると穴に落ちる。
ぼくは窓の外を見ている。隣りの部屋から怒号なのか命令なのか、なんだか分らない声がする。隣りの202号室には知的障がいを持つ、ほとんど喋ることのできない弟とタクシードライバーの兄が住んでいる。
ここでひとつ断っておきたいのだけれど、もしぼくの住む206号室の隣りがなぜ202号室なのかと訝しむ御仁がおられたなら、ぼくもそのひとりだと言いたい。このアパートに引っ越してきた時から玄関に貼られたプレートに「206」とあったのだから、ぼくに他にどうしろというのだろう。
もしぼくが「201」に戻したとして、それからぼくに来る郵便物はどうなるのだろう。大家さんに払う家賃はどうなるのだろう。住民票の住所はどうなのか。このようなことが至極面倒で煩瑣に思われたので、「206」のままにしてある。
隣り「202」号室の住人。兄は他人と話す時は至って普通だが、家の中、弟と話す時それはまったく訳の分からない叫び、おらび、胴間声へと変わる。弟の声はなく、ただ一方的に兄の指示・命令・怒りの声が響き渡り、それが動物的な振動となって壁越しにぼくの部屋に伝わってくる。ハウリングする壁に、ぼくは押入れと部屋の仕切り襖を外して立て掛け、防音材として使用しているけれども、まったく効果が感じられずにガッカリしてしまう。
夜勤明けで兄が帰ってくると、朝の6時から兄弟でお風呂に入るのだけれど、そのはしゃぎよう、騒ぎっぷりといったら。今年最初のプールに入る小学生のように囂(かまびす)しい。パニック寸前の大狂乱で、ぼくのキッチンの壁に掛けている鍋が音を立てる。やがて眠りに就く夢の中で、蛇口から浴槽に滴り落ちる水音が一日中、ぼくの部屋の中に木霊し続けて、ぼくは刻一刻と終わりへとカウントダウンし続けられていく漏刻の音に脳内を侵されていく。運命の首吊り輪からならば目を逸らせば逃れることができるけれども、滴り続ける死のカウントダウンからはどのようにしても逃れることができずに、耳栓を買ってきてどうしても眠りたい時はそれを付けて眠る。
もう夏の夜の狂った蝉の声も、秋の夜の玲瓏な鈴の音も、夫を待つひとり寝の溜め息、眠れずに打つ砧の音も、火の用心の柝の音も聞こえない。
ぼくは窓の外を見ている。なにか巨大なものを巨大な槌が打つ、そのような巨大な音が町を越えて星をぐるりと回ってぼくの耳に届く。ドックで建造されている舟にリベット鋲を打ち込む音だ。ぼくの部屋からは海も港もドックも見えないけれども。それは確かに聞こえてくる。目を閉じればすぐそこに強力無比のウインチで引き揚げられた滑車付荷台の上、何十階建てものビルに匹敵する船体が工期通りに粛々とその工程が進められて、次第にその荘厳な形状を現わしてくる。竹竿で組み上げられた足場の上で何千人もの人足が作業を続けている。
宇宙は膨張し銀河系はここではないどこかへと旅をし続け、惑星は恒星の周りを衛星は惑星の周りを、自ら転がる星の上に跨る任意の点Aであるぼくは、ただ部屋の中でうたた寝していてさえ一代の過客で、任意の点Aに過ぎないぼくは歴とした線となって時空の彼方へ脱出する。
槌の音が聞こえる。隣人は諍い争うのをやめて眠りにつく。チーズの焼ける香ばしい匂いが部屋に広がる。ぼくは今日、ハローワークに行って仕事を紹介してもらう予定になっている。駅の向こうのハローワークまで自転車で15分。約束の時間まで30分しかないのにまだ着替えてもいない。ぼくは布巾を手にオーブンレンジから皿を取り出す。キッチンの引き出しにフォークはない。箸で焦げ目のついた縁のカリカリの部分に沿ってなぞり、中央へとクリームとパスタを混ぜ込んでいく。熱くてまだ食べられないパスタに箸を突っ込んで置いたまま、冷やかしに着替える。ジーンズに厚手のセーター。
スーツ、ネクタイ、箱に入った革靴が押入れに突っ張り棒で作ったクローゼットにひと揃いだけある。
食事を済ませて洗いものを水に浸け、歯を磨き鏡に向かってにっこり笑う。
家を出たのが約束の5分前。どうせ間に合わないなら、焦る必要はない。けれども遠回りする必要もない。
 この道を行けとぼくは家の前の坂道を自転車で下る。終わりに近づいた百日紅(さるすべり)が家の庭から道先へと突き出ている。高く踊る笛の音が響く。祭りの季節だ。まだ駄菓子屋の前でたむろして飽かずにガチャガチャの箱の中身を覗いていた頃。先っぽに錘のついたロケット型オモチャがあった。火薬を挟んで空へと投げ上げると、重力に引かれるまま地面に落ちた衝撃でBANと鳴る。500円分のお菓子に魅かれて町内のお祭りに参加した。浅葱色の法被、豆絞りの鉢巻。御神輿を担いで114段の階段を一気に駆け上がって境内へと踊り上がる。御神輿を上下に揺らし喉掻っ切れんばかりに叫び続ける。脳の血管ぶち切れた世話役の大人たちも子供ものぼせ上って、このまま神輿と一緒に階段落ちしても空を飛べると信じていた。
若いカップルが憩い集う銅像のある広場に出る。ヨガの腰掛けのポーズ。椅子に座るようにお尻を突き出し、バンザイしている格好で広場の中心に立つ銅像が、誰だか知っているひとはまだいない。その銅像の下、幅の広い階段に今流行の最先端を行く若者が、ふたり一組の群像をなして座る。
残されたこの道を行けとぼくは自転車をこぐ。歓楽街入口を横目に行き過ぎ通りを突っ切って左、また新たにオープンした総ガラス張りの一面に水玉模様を散らした美容院の前を過ぎる。この町の理美容院の多さ、美容好きの偏執狂に作られた町に笛と太鼓の音が高らかに鳴る。お前が見ているのは揺り籠から墓場まで髪をいじるのが好きなフェチ・マニアが住むところだ。犬の毛を刈るトリマーさえ存在する。理美容師の髪を理美容師が切っていって無限にループする一番最後の理美容師の髪を、一番最初の理美容師が切る。
駅前の百貨店【紙】の標章が見えてくる。なんでも売ってる百貨店には球形スケルトンのエレベーターが上下し、きのこ屋根の展望台レストランには特製お子様ランチがある。丸いケチャップライスに国連の旗が立っていて、プリンに砂糖で作った兎が乗っている。
地下一階のゲームセンターでかつあげされた日、ぼくは目に涙を溜めながら拾った百円玉を投入口に運ぶ。涙で滲んだ画面に虹色の雨が降り、男が女の後ろに密着して座り手に手を重ねてスティックを操作するふたりに気づかれないよう顔を隠して、非常階段を上がる。
在庫品置き場で脚立に足を掛けた店員が今にも崩れてきそうな棚上の段ボールの箱を覗いている。制服のタイトスカートからストッキングの縫い目(シーム)とキャミソールが見えている。濃い目のアイシャドウをしたその女性が階段を上がってくるぼくに気づく。約束の時間はとうに過ぎて遅刻量がどんどん加算されていく。
駅前のロータリーを渡って歩行者兼自転車専用地下通路に入っていく。頭すれすれの天井とお互いひとりすれ違うのがやっとの通路に侵入すると、両側面に穿たれた溝の悪臭が鼻を衝く。等間隔に灯る蛍光灯が遠近法通りに間隔を狭めて小さくなる通路の先、消失点(バニシング・ポイント)目指して走る。突き当りの角にカーブミラーが付いていて、なだらかなスロープを右曲がりに上がる。
地上に出た途端、理美容院があって、教会と結婚式場がセットになったブライダル広場の向かい側にハローワークがある。
ぼくは自転車を蔦の絡まる凱旋門前に止め、十字架の下、永遠の愛を誓うふたり、参列者にライスボールを投げつけられるふたり、ブーケを後ろ向きで投げるよう強制される花嫁を見ている。凱旋門下の陰から向こう側の教会の光をぼくは飽かずに、その祝祭、時間の頂点のような光景を見ている。
ぼくはチャンスを掴んだ者を祝福する。ぼくは随分遅刻したと思う。寄り道はしなかったけれども。ぼくは他人といてもいつこのようなとりとめのない思考の罠に嵌まり、相手を戸惑わせ迷惑をかける。ぼーっと突っ立っていたと言われる。何も考えていなかったのではない。あまりに錯綜する思考集積回路(CPU)の中心で迷子になって、目眩(めくるめ)いている。
 ハローワークの職員に失業者認定カードを提示すると、職員はPCのマウスを操作し数多ある仕事の中からぼくのできる仕事、燈台の鳩の糞除去の作業を割り当ててもらった。
これからすぐに燈台のほうに行ってくれと言われてぼくは、何の用意もなく不用意に燈台へと自転車を走らせる。魚をついばむピンクフラミンゴを象ったブロンズ像が支柱に嵌め込まれた時計台の下を右に曲がる。ピラミッドそのものを模した宗教団体の建物がある。「やさしいひと」というのがその団体の名前で、ピラミッド形状の中に三角形内角の和180度全体を見渡す無数の目が、ぎっしり詰め込まれているのが「やさしいひと」の標章だ。その目は慈しみの、慈愛・慈悲の眼差しを表していて、憐みを湛えたその無限の眼は今にも溢れ出さんばかりの涙を浮かべている。
「やさしいひと」の考える社会構造は、全体を100人として同心円状の波紋の中心に被害者1。その外側の圏に加害者3。その外側の圏に観客16。大外の圏に傍観者80。というもので「やさしいひと」は傍観者たちを少しでも観客の中へ、囃し騒ぎ立てる観客ではなく愛と慈しみ、励ましと憐みの目でもって、涙を湛えた悲しみの眼差しで被害者を見守る観客にしようと、布教活動を行っている。
その活動形態は特異を極めていて、少しでも言い争い。諍い。いじめ。喧嘩。騒動。蟠りのあるところ。ひとり寂しくコーヒーショップ。公園のベンチ。ホテルのロビー。ラウンジバー。スナックの止まり木。屋台。駅、デパートの待合室に座るひと。待ちぼうけを食らって時計を見ながらイライラしているひと。車内に放置された幼児。虐待・ネグレクトの疑いのある家のベランダの下。孤独死せんとするひとの眠るアパート階段下。裁判所の傍聴席。シュプレヒコールを上げて抗議活動をするひと。何も持たない者が屯するところ。誰も立ち止まらないストリートライブ・実演販売。訪れる者がなくなりすっかり見捨てられ無縁仏になってしまった墓地。シャッター街。ゴーストタウン。閉園した遊園地・テーマパーク。閉館した美術館・資料館。自殺の名所百選に選ばれた崖・滝。このような怒りと哀しみに満ちた場所。コールドスポット。ナッシングポイント。ノーモアプレイス。孤独と喪失。失意と絶望の中にあるひとを陰ながらやさしく、慎ましく、慈しみと憐みの溢れんばかの涙目でもっていつまでも飽くことなく柱の陰、電柱の後ろ、草葉の陰から見守り続けるというのが彼ら、「やさしいひと」の信仰・布教の仕方だった。
それを気持ち悪い。ムカつく。プライバシーの侵害。大きなお世話。覗き魔。出歯亀。監視。ストーカー。芸能レポーター・週刊誌記者的好奇心丸出しの視姦行為。許すことのできない蔑視。偽善の最たるもの。嘲笑して楽しむ娯楽行為。冷やかし。野次馬。他岸の花火。優越感に浸るための侮辱行為だというひともいる。逆に関心を持ってくれてひとりじゃないんだと勇気づけられた。好奇心を持って見てくれて有り難かった。見てくれていたひとがいて本当に助かった。ひとりでも見ていてくれていると思うとやり甲斐、張り合いが出た。誰かに見られてるんじゃないかと思ったらおちおちうっかり悪いこともできないと、抑止力効果を指摘するひともいる。
「やさしいひと」のやっていることはのぞき趣味。ストレス発散の場。俗悪な感情の延長線上にあるものでしかないのか。それとも核弾頭と同じ抑止力を持っているのか。芸能レポーターなのか。警備員なのか。パパラッチ。ライフセーバー。監視カメラ。おてんと様なのか。
見るとは一体何なのか。見られていると意識することでひとは美しくなる。
その存在を驚異と感じ、嫌なこと、怖ろしく思うものやひとを、ひとは無視することで世の中に存在しない、何もなかったことにする。
光よあれ。そして世界が存在し始める。
ぼくがあなたを見る。あなたがぼくを見ていると、そうぼくが感じる。
あなたがぼくを見る。ぼくがあなたを見ていると、そうあなたが感じる。
この鏡と鏡が向き合い往還する感覚。意識の連環が世界を形成する。
防波堤の向こうに潮と波が見えてきて、港に小型の漁船やスクーナー、ヨットが何隻も繋留されている。防波堤に沿って左にずっと進んでいくと槌の音響くドックがある。起重機が空を差して伸びる下に建造中の舟があるばずだけれども、厚い壁と屋根に覆われて見ることはできない。
 ぼくはこの道を行けと燈台のある出島に向かって自転車をこぐ。こんもりとした森を乗せて港から突出している出島は、ひとの脳の形に酷似している。島を覆う森の木々が光を求めて相争った結果だ。その赤裸々で無作為な木々の間を道が通っている。グロテスクな肉彫りを施された幹が乱雑に交錯し、上を目指した果てに熟れ爛れ朽ちた枝葉が累々と横たわる。光の当たらない冷んやりとした悪寒の走る腐葉土から荒ぶる木の根が無目的に突き出ている。いたたまれない木の下の坂道を登りきって、丘の上の開けた頂きに出る。そこから海に面して広がる段々畑と、きらめく水面の海が望める。
燈台は出島の北端、静脈瘤のように浮き上がった根で土を鷲掴む楠の巨木のそばにある。木漏れ日の中、燈台下の石段でスーツ姿の職員が、ぼくと同じ臨時雇いと思われる二人と話している。ぼくは自転車を止め急いで石段を下り、話していた職員の腰を折るようにして失業者認定カードを提示する。
職員が小さくうなずいたので、ぼくはほっとして二人の臨時雇いの男の後ろに付いて話を聞く。近づいてすぐひとりの男が強烈な腋臭持ちであることに
否応なく、有無を言わさず気づかされる。これから一日、これを我慢し顔に出したり態度で気づかれることなく付き合っていかなければならない。
もうひとりの男は「団結」の文字の刺繍が入ったキャップを目深に被っていて、ドブから浚って天日干ししたバカ貝のような靴を履いている。職員の話を聞こう。といっても、もう話はほとんど終わっている。
「‥‥ので、ケガにだけは気をつけて下さい。昼食は各自、自由にとってもらって結構ですので、1時にまたここに戻ってきて下さい。それじゃこれを。」
職員からひとりひとりに一枚の使い古されたタオルと希釈された洗剤スプレーが渡される。職員を先頭に白い燈台の扉、船のハッチのような扉のハンドルを回して中に入る。真っ暗な中にしばらく佇んでいると、採光盤から入ってくる光に助けられて目が慣れてくる。螺旋状に上へと続く鉄の階段を上がる。ぼくは一番最後から鉄錆の饐えた匂いに混じる腋臭の残り香に悩まされながら、見上げるとコンピュータ制御される照明機器が近づいてくる。
この機器はぼく達臨時雇いに何の関係もないものだから決して触れないようにと注意される。階段を上りきると入口と同じ扉のハッチがあって、外に出られるようになっている。一周ぐるりと採光盤の周りをキャットウォークが付いて歩けるようになっている。その採光盤にこれでもかと、垂れ流された鳩の糞が白黒灰焦げ茶褐色。キャットウォークの端から端まで垂れてこびり付いている。長年放っぽらかしにされて石膏のように硬い殻になったそれは、容易に落ちるものでないと見るだけで分かる。
180度海に向かって開けたその場所は、外側を向いてさえいれば秋の日にたゆたうパノラマの夢だったけれども、内側は汚物まみれの不浄の滝だ。
「一日で落とせるだけ落としてもらって。あとはよろしくお願いします。」
そう言って職員はハッチを閉じて帰ってしまう。
 1時間ばかり、三人何も言わずに黙々と等間隔にスペースをとって仕事に励む。洗剤をタオルに吹きかけ糞を擦っても擦っても一向に埒が明かない。
12時近くなると三人ともいい加減嫌気がさし、おざなりに手を動かしている。
ドックから聞こえる槌の音と祭りの笛と太鼓の響き、出島の遊歩道を歩く散策者の姿を見下ろしていると、意識がだんだんぼんやりしてくる。秋の海が心地好い風を運んできて顔をなでる。森の木々もぷるぷる揺れ震えて、トンビが高い空の上を舞っている。「団結」の帽子を被った男が、
「12時になりましたのでお昼にいたしましょう。」と懇切丁寧に教えてくれる。
タオルと洗剤スプレーをキャットウォークの手すりに引っ掛けて、ハッチを開け降りていく二人を見てぼくも後に続く。燈台の円筒内に籠った空気に埃の渦が、採光盤からの光に乱反射して上下に踊る。螺旋階段を上へと昇っているのか下へと降っているのか。「団結」の男は燈台下に置いていたリュックから弁当と水筒を出している。腋臭の男は歩いてどこかに消えてしまう。
ぼくは自転車で坂道を下り、海岸沿いに建ち並ぶマンションの間を抜けコンビニを見つける。
メロンパンと昆布のおにぎりをひとつ、缶コーヒーしめて298円を支払う。財布に残った1064円が手持ちの現金すべてで、今日の仕事の給金が取っ払いであれば言うことなしだけれども。携帯で喋りながら入ってきたスーツ姿の男が牛肉カルビ弁当640円とおにぎりを2個取ってレジに並ぶ。社員服に紺色のカーディガンをはおった女性がお菓子とカップケーキを選んでいる。
学校帰りの女子生徒が自転車を二人乗りして通り過ぎる。ぼくはコンクリートで護岸された海岸沿いの道を走る。剥き出しになった岩肌が頭上に迫る崖を背にした堤防に座って、メロンパンとおにぎりを食べる。竿を何本も立てて釣りをしているひとの周りに、野良猫が何匹も岩肌に寝そべって目を細め、あくびしている。遊歩道から下りてきて散策する老夫婦。ウォーキングするタンクトップの中年男性。カメラを首から下げた二人連れの女性。
昼の時間。槌の音が止んでぽっかり空いた虚ろな穴。欠落した記憶のような時間が過ぎる。木陰に隠れてキスする若いカップル。どこかの料亭で働く板前が飾りに使う植物の葉を採っている。誰もいない海にゴム草履が片方だけ流れ着く。大学適性試験(バカロレア)に失敗した時、ぼくはここに来て海を見ていた。テトラポットの上まで来て海を見ていると、島を繋ぐフェリーや定期周航船、外国籍のタンカー、豪華客船が夢幻のようにその巨体を光と靄の中に閉じていく。
汀の近くではしゃいでいたカップルが突然、その存在に気づいたかのように驚いてぼくの方を振り向く。水面がどこまでも三角波を作って光り輝く。子連れの若い父親が退いた潮から現れた磯棚の上を歩いている。まだ乾ききっていない海草を引っ張り、岩の隙間に残された潮溜まりに蟹やタニシを見つける。ぼくはバイトでお金を貯めて家を出た。20の春のことだ。
死の瞬間まで見続けられる夢はそのひとにとって現実だ。もしひとが一生懸けて読む本があるとすると、その物語はそのひとの人生そのものとなる。
 燈台下に戻るともうすでに男二人と職員が待っていて、朝の時と同じ順番で燈台に上がる。ほとんど落ちていない鳩の糞の状況と、ぼく達の働きぶりをしばらく眺めていた職員が帰ってしまうと、気怠い午後の静けさに浸食され猛烈な眠気が襲ってくる。ぼくは小枝を拾って糞をこそげ落とそうとやってみたけれども、返って採光盤を傷つける結果になってしまう。あくびを噛み殺そうとして思わず開けてしまった口を伸ばした二の腕に隠して俯く。
「もう舟の完成も近いですね。」
「そうですか。」
「団結」の男と腋臭の男が話しているのが、キャットウォークの反対側にいるぼくにも聞こえる。
「わたしはドックで働いてたんですが、リストラされてしまって。」
「はあ。」
「あの打設はリベット鋲を打っているんです。あの槌の音が聞こえてくると舟の完成も近い。」
「そうですか。」
腋臭の男は今も臭っているに違いない。「団結」の男は堪らないだろう。時折「うっ」とえずくような声を出す。
「あなたは移民団に応募なさるのですか?」
「いえ、どうせ当たりませんし。」
「役人に幾らか鼻薬を嗅がせば無条件に乗せてもらえるというのは本当のことでしょうか。」
自分の臭いに気づかない男がこんなことを言う。
「鼻薬どころか、袖の下さえ通さない厳重な管理下のもと移民は選抜されているとか。」
「本当でしょうか。」
「さあ。」
二人の男の話はそれで終わる。ぼくは祖母の昔話を思い出す。それは遠い昔の物語りで、神話にも似た苦難とつかの間の栄光、挫折と悲哀に満ちた子供心にもなんだか悲惨なお話だった。そこにはおそらく、祖母の誇張と嘘。すり替え。隠蔽。出まかせ。虚栄心。誤魔化し。架空想夢奇譚が入り混じっていたけれども、祖父母が第三次移住計画の植民団だったことは間違いなかった。幼い子供の頃に聞いた幾つかの断片は継ぎ接ぎだらけでとてもまともな一貫性のあるストーリーにはなっていない。それはぼくの頭の中で勝手に解釈。改変。歪曲。曲解。継ぎ足し。分解。組み立て直して思い出しているものだから、当然事実本当にあった事とは程遠い、歴史とはとても言いかねる神話。伝説めいた絵空事になっている。
 西日を頬に受けながら顔を真っ赤にして3時半まで仕事を続けたものの、朝見た時と比べて大した違いはなかった。燈台の上に上がってきた職員が
「もう終わりにしましょう。」 と言って三人を促す。職員は仕事の結果に一瞥をくれ、予想通りとでもいうように階段を下りていく。
ぼく達はタオルと洗剤スプレーを持って職員に続き、階段を下りる。円筒内はほんのりと温かい闇に包まれ、舞い残る埃が採光盤からの赤い乱反射を受けて黄金色に瞬く。燈台下のハッチの前に全員が出てくる。
「ご苦労様でした。」 と職員に言われてひとりひとりに、タオルと洗剤スプレーと交換でお給金の入った茶封筒を受け取る。一日分の労働貨幣価値6400円が入っている。「団結」の男と腋臭の男は職員の運転する公用車に乗せてもらって帰るという。車内はさぞかし快適なことだろうと他の二人を気の毒に思う。
ぼくは運転席側のドアを開けた職員に、
「移民団に応募するにはどうすればいいのですか?」 と訊いた。
あの時、どうしてあのようなことを口にしたのか。今もわからない。職員は
「移民団に応募するには教育事業所に行って申請用紙に必要事項を記入すればいい。」 と教えてくれる。
「事業所のある場所を教えて下さい。」
「ハローワークのすぐ近くにある。一階に理美容室が入っているビルだ。」
「理美容室もいっぱいありますから。」
「隣りに『門』というパン屋がある。」
「それなら知っています。」
ぼくは職員にお礼を言い、車の後部席に座る二人の男にも頭を下げて自転車に跨る。パン屋『門』は夜になると棚に並べられたパンが蜂蜜色のキャンドルライトで照らし出され、外から眺めるひとに夢現の幻燈機械(ファンタスマゴリー)となって目眩(めくるめ)く、界隈で有名なパン屋だ。夜の帳の降り始めたその時間、動き始めたメリーゴーラウンドのように蜂蜜色の光を灯して、数少なくなったパンが一層の輝きを増して店全体を甘い息吹と喜びの歌で満たしている。
 隣りの理美容室は近未来をイメージした白と銀のコントラストで、ゼブラのサンルーフ越しに卵の曲線で構成される椅子のフォルムが宙に浮いているように見える。ぼくは『門』の前に自転車を止め、ビル入口の側面に貼られたテナントプレートに「文部科学省教育事業所」の文字を見つける。階段を上がって二階のドアの前に立って、ひとつ深呼吸する。本当にこれでいいのか。大切なことは何なのか。分からないまま、ぼくはドアをノックする。
「はい。」 ドアを開けると、応接間セットのソファに座っていた三人家族の父母娘が一斉に振り向く。三人とも見事なまでにカントリースタイル。チェック柄のコットンシャツに首に巻いたバンダナ。牛革のベルト。ブルージーンズ。クロコダイルブーツ。手に持つカウボーイハット。どこからどう見ても北西部、大草原の小さな家から来たとしか思えない。投げ縄とロデオの暴れ牛がいないのがなんとも不思議なくらいだ。ブラインドのある窓を背にした事務机にスーツ姿の男が座っている。机の上に置かれた三角柱のネームプレートに[浜田教育事務次官補]とある。
浜田教育事務次官補の上には○○教育事務次官がいて、そのまた上に△△教育事務長官、そのまたさらに上に✕✕教育局長、そして究極の頂点に鎮座ましましているのが文部科学省長官だ。カントリー家族はソファから立ち上がって、浜田教育事務次官補に丁寧に頭を下げると、手に持っていたカウボーイハットを被って部屋を出ていく。彼らも移民申請に来たのだろうか。
「どうぞ。」 浜田教育事務次官補に言われてぼくは、家族の座っていたソファの隅に座る。
「あの。移民の申請に来たのですが。」
「移民の申請にはある一定の要件を満たす必要があります。それを満たした時点で、移民申請許可証が公布されます。この移民申請許可証をナンバーズカード売り場に提示しますと、移民団抽選ビンゴカードを入手することができます。そして833の町で開催されるビンゴ大会で見事、ビンゴとなった幸運の方のみが第五次移住計画の移民団として舟出していただけます。
ざっと掻い摘んで説明しましたが、このような段階を踏んでいただくことになります。」
「その一定の要件というのは?」
「1日、社会奉仕活動に従事していだくというのが要件のひとつとなっています。奉仕・ボランティアですのでギャランティは一切発生しません。」
浜田教育事務次官補はぼくの甘い考えを見透かしたように釘を刺す。まる1日のタダ働きをして移民申請許可証。それをビンゴカード一枚と交換。移民として舟に乗れると決まった訳ではなく、抽選によって選ばれるチャンスを得たのみ。一生を左右する一大事をビンゴカード一枚で決められてしまう。そこに夢と希望、自由はあるのか。この道はどこへ続くのか。浜田教育事務次官補がこんなことを言う。
「これはひとつのきっかけなのです。ちいさなウソ。冗談。ちょっとした間違い。遊び。趣味。運だめしにやってみたことから、思わぬ展開が開ける。
それはやってみなければ分からなかった。始まらなかったことですし、騙されたと思ってやったひとにだけ訪れる。待っている不思議なストーリー。サプライズなのです。」
ぼくは衝動的に後ろを振り向く。ぼくが前に進むのを躊躇う時、不安にかられて思わずやってしまう不可抗力な反応だった。教育事業所の中には何もない。ポスター一枚、ノルマ表ひとつない。パーテーションで仕切られた奥のキャスター付き椅子に座る女性がPCに向かっている。淡い色のブラウスにマリメッコ柄のカーディガンをはおって、この冬履きたいセミロングのブーツの夢を見ている。蛍光灯から垂れ下がるスイッチの紐に白茶けた巻紙が付いている。
【ちいさなことを積み重ねていくことがとんでもない所へ行くためのたったひとつの方法】
これは伝説のベースボールプレイヤー、ピーチローの言葉だ。
「やります。」
「ではこれに住所とお名前、電話番号を。」 出された用紙に住所と名前、電話番号を記入する。

紙町三丁目39-17月見荘206
日月おるがの 2475797

「奉仕活動の日時はいつがよろしいでしょう。」
「いつでも構いません。」
「それでは明日、朝8時。駅前ロータリーでお待ちしております。」
 ぼくは頭を下げて教育事業所を出る。ほっと息を吐いて階段を降りる。外はすっかり暗くなっていて笛と太鼓の音がより一層、澄んだ空気を通して響き伝わり、妖しい震えと一緒に郷愁が湧き起こる。高く鳴りとよむ笛と太鼓の音に誘われて、提灯を持ったひとが家から出てくる。この道を行く闇の中のひと条の光に導かれ、祖母の昔話がゆるやかな坂道を下って来て届く。
「婆ちゃん達が歌を唄いながら城の周りを回り始めると、星のひとたちが動揺するのが手に取るように分かった。目に見えるようだったよ。
太鼓と笛がそれに加わって谷の町にわんわん反響して、星のひとたちが大きな耳を引き千切らんばかりに伸ばしたり押さえたり七転八倒したもんだ。
婆ちゃんには見えるようだったよ。婆ちゃん達が6度か7度か城の周りを巡って、頃合いは良しと判じた団長の善雄さんはサッと手を振り上げて、みんなの歌を止めた。
そして鯨波(とき)の声を上げるよう合図した。
エイエイオー エイエイオー ワッショイワッショイ
バンザーイ バンザーイ
するとどうじゃ。高く聳え立っていた城の壁が崩れ落ちて、苦しみのたうち回る星のひとたちが曝け出された。その時、婆ちゃんは思うた。
こんなふうに力尽くで星を奪っても良い事はひとつもない。
星のひとたちの恨みを買って、いつかまた仕返しに来る。その時婆ちゃん達はどうするのか。おんなじ事の繰り返しだよ。」

      2

 まだ暗くて肌寒い朝の6時、目が覚める。夜勤から帰って来た隣りの兄が弟の粗相を見つけて、意味不明の言葉を発しながら部屋の中、アパートの廊下、ペンキの剥げた鉄階段を駆け下りて、洗濯物を抱えてコインランドリーに走っていく。ぼくはそれでもしばらく寝ようとして眠れずに、ついに起床。耳栓をはずし薬缶に水を入れてコンロのかける。カーテンを引き窓を開けると、秋の日の静けさにはっとする。今日は土曜日でみんな惰眠を貪っていて、時計まで怠惰な時を刻む。
ぼくはキッチンに立って壁越しに隣りの浴槽の水滴の音を聞く。気にすればそこに有って、気にしなければそこには無い時の音。沸騰する薬缶の音に掻き消されてどこかにいってしまう。マグカップにNescaféゴールドブレンドとクリープを入れて、お湯を注ぐといつもそこに哀しい冬の日がやって来る。雪の中を自転車で走るぼくがいる。顔じゅうに吹き付ける雪片をくっ付けて走っている。辿り着いたジョナサンには光の中、彼女がコーヒーカップを前にして座っている。まるで潜水艇の窓を覗き込んだ深海魚のような気持ちでぼくは、店内にいる彼女を見ている。
興味を失った冷めた目で見られるとぼくは泣きたくなった。彼女が話している間、ぼくは自分の立場や状況が理解できなくて苦しむ。ぼくの頭の中に何度も何度も同じ言葉がやって来る。彼女が出て行ったあと、ぼくは彼女の残していったコーヒーカップを見ている。ソーサーに少しこぼれたコーヒーが固まって、ぼくの記憶の襞にこびりつく。ラップに包んで冷凍しておいたご飯を取り出しレンジにかける。冷蔵庫からなめ茸の罎とみじん切りにした青ネギを入れたタッパを取り出す。
コインランドリーから帰って来た隣りの兄が弟を風呂に入れる。ぼくは揺れる鍋の壁越しにそれを聞きながらレンジから出したご飯を丼鉢に開け、なめ茸と青ネギを混ぜて食べる。掻き込むご飯にむせると、隣りの浴槽で格闘する兄弟の動きが止まる。ふたたび始まる格闘はアパートを揺らし、怒号と喚声の入り混じる朝の空気が秋の空に溶けてなじむ。
一階の102号室に住む住人が出勤する。表の道に出たところでいつも必ずくしゃみする。歯を磨き鏡に向かってニッと笑う。テレビを点けると再開発地区で起きた殺人事件の続報をしている。元々あったテーマパークが潰れて町が整備し、分譲マンションの建設を計画している土地だ。測量され綺麗に均された土地に、首まで埋まった状況で発見された遺体の身元は一向に掴めず、目下鋭意捜査中につき、犯人の手掛かり目星も一切なし。再開発中の外灯もないだだっ広い土地で、目撃者情報を望める訳もなく、迷宮入りに一歩一歩着実に近づいていく。
昨日の色と違うニットと昨日と同じジーンズを履く。髪をウーノで適当にクシャクシャにして寝ぐせを誤魔化してしまう。家の鍵と自転車の鍵、携帯と財布をポケットに入れる。お風呂から出ても喚き続ける隣りの住人を残して家を出る。
 駅前まで10分かからない。近くに住む自転車の前かごにマルチーズを乗せて走るおじさんが赤信号を無視して行く。スーパーの店内で「寒い、寒いじゃないか」と叫びながらクレームをつける。周りにいるひとはその存在を無いことにする。それが癇に障るのか癪なのか、ますます声を大きく張り上げていく。バックヤードから飛び出してきた店長が、腫れ物に触るように事務所へ誘う。そこで無理から店の外へ出そうとしてはいけない。依怙地になっておじさんは神様面をして「訴えてやるぞ!」とくる。自己主張しなければ何も変わらず、存在そのものが否定されてしまう。奥ゆかしさ。謙譲。慎み深い。遠慮。自制。我慢。そのようなものはない。
腰掛けのポーズの銅像が太陽を待ち構えて立っている。歓楽街にカラスが歩き嘔吐物の匂いを嗅いでいる。ベージュのハーフコート、裾がフレアになったパンツスーツ、パンプスの女が小さな女の子の手を引いて露地に入っていく。看板と電飾が道幅いっぱいに入り乱れる軒下に、「やさしいひと」の教団員がひっそり立っている。百貨店の向かい側にある名画座にこっそり入る18才のぼく。もぎりのおばさんにお金を払いチケットをもらって暗闇に紛れ込む。「海女と尼」が映画のタイトルだった。タバコのヤニと古ぼけた館内の空気、落魄した時代の匂いだけを思い出にして帰る。
駅前の駐輪禁止区域に止めておいたせいで、いきなり現れた違反車両回収車に持っていかれるという過去の苦い経験を教訓に、パーラー「ハリウッド」の利用客専用の駐輪場に止めさせてもらう。制服を着用し駐輪場の隅で居眠りするパーラー専属の警備員。ハッと目を覚ました警備員に挨拶されて、ぼくは気分よく駅前のロータリーに向かって歩く。土曜日の朝。閑散とした駅前に浜田教育事務次官補の姿はまだない。
ひとり。ふたり。三人。四人。ほぼ等間隔に間をあけて待つひと達。たぶんぼくと同じ今日の奉仕活動に従事して、移民申請許可証を得ようというひと達だ。それはお互い意識するがゆえ相手を視界に入れまいとする不自然な態度に如実に表れ出ている。どうして。何の目的で。何のために。何を求めて移住しようとするのか。訊いてみたいけれども、こっちだってそんな立ち入った質問には答えたくないのだからお互い様だ。ぼくはどうして行くのか。なにもいいことがなかったこの星に手を振って、他の星に行けばなにかいいことが待っていると、ぼくは本当に思っているのか。ぼくが気づいていないだけで、それは目の前にあるのか。世界じゅうを旅して探し求めていた青い鳥を、帰って来た家の籠の中に見つける。
浜田教育事務次官補が現れる。土曜日でもスーツ姿の浜田教育事務次官補がハイエースバンから降りてくると、等間隔に立っていたひと達が浜田教育事務次官補を中心に集まってくる。ぼくもそのひとりだ。逃げ出したい気持ちを必死に堪える。この雁字搦めの、無抵抗な集団から一歩でも逃れ出ていたいと、ぼくは四人の後ろに立って顔を覗かせるだけにする。浜田教育事務次官補が人数を確認し、ハイエースバンの扉を開けて乗るよう指示する。
ぼくは後部座席でふたりに挟まれた真ん中に座ることになる。下は10代から上は60代まで。五人の移民申請者の中には幸い、腋臭のひとはいない。いちごの甘い香りを放つ50代の男は、おそらく風俗のお店から直接ここへ来たのだろう。ぼくの右側にいる男がそうだ。絞り口からくまモンでもテディベアでもない、クマのぬいぐるみの顔だけ覗いている黄色いナップザックを背負った中年の女性は、微動だにせず前を見ている。ぼくの左側に座るひとがそうだ。ぼく達の前に座る紅顔の美少年は、仕事を抜け出してここに来たような足場人足そのままの作業着を着ている。もうひとりの禿頭の老人はコール天のブレザーにアスコットタイ、ハンチング帽を手に持っている。
 ぼくはいちごの匂いとクマのぬいぐるみに挟まれて、どこをどう走ったのかにも気が回らず、ハイエースバンは目的地に到着する。車を降りるとそこは月見山の麓にある特別養護老人ホーム「かえりざき」の門前だった。
町なかで看板だけは目にしたことがあったけれども、実物の建物を見るのはこれが初めてだ。玄関前で浜田教育事務次官補がぼく達五人に説明をはじめる。
「今日、みなさんにやっていただくのはリクリエーションの一環としてホームの方々が行なう、月見山での紅葉狩りの補助です。重度の介護を必要とする方を負ぶっていただいて山歩きを楽しむ、一日ポーターをしてもらいます。」
ぼくは目が眩みそうになる。他の四人の様子をこっそりと伺う。誰ひとり嫌な顔ひとつせず、至極当然の国民の三大義務のひとつのような顔をしている。任意の点の分岐点。ぼくだけがみんなにとって当たり前の、世の中の法則を理解できない。ぼくはパニックになり浜田教育事務次官補に向かって「
辞めます」と言おうとした時、「かえりざき」の介護士のひと達が車椅子を押して建物から出て来る。車椅子に座る老人たちはお弁当と水筒の入ったリュックサックを膝の上に乗せ、今日の紅葉狩りに期待の胸を膨らませているのがそこはかとなく伝わってくる。
ぼくは観念して絶望する。一縷の望みすらない。ぼくはほとんど意思疎通の適わない、よだれを垂らし続けるお婆さんを背負って山に登る。ほかの四人もそれぞれ老人を背負っていく。ぼく達の後ろから介護士のひと達がリタイヤしたひとのために車椅子を押して続く。浜田教育事務次官補が
「頑張ってきて下さい。」と特別養護老人ホームの門前から手を振っている。断っておくけれども、ぼく達は決して姥捨て山に親を捨てにいく息子ではない。紅葉した木々の下を散策して山歩きを楽しみ、弁当を広げる秋の行楽客だ。
 ぼくの背中でアワアワ言っているお婆さんの口から、よだれが背筋に止めどなく流れる。落ちていくよだれは背筋の溝を伝って尾骶骨に達し、ボクサーパンツに浸透していく。ここまで来たなら諦めるしかない。ぼくはお婆さんを軽く揺すり上げて足を止める。紅葉した葉でびっしり敷き詰められた遊歩道は松ぼっくりや栗の実も混じり、朝露に濡れそぼつ赤く焼け焦げた葉の色が山肌を陰翳深く染め上げる。朱に黄色に染め分けられた楓の葉の間に月見山の頂きの、鈍色に耀く仏舎利塔が覗く。ちらほらこぼれ落ちる朽ち葉の形、色、大きさが片々と目の前で舞い止まる。アウアウとお婆さんが言う。
芝草に覆われた広場のベンチで昼食になる。ぼく達五人はポーター業務から一時解放される。ぼくは濡れた背中のことも忘れて草の上に大の字になる。空高く雲は流れてこの星の上に醜いものは何もない。雲という雲が過ぎていく。
いちごの匂いをさせていた男はギックリ腰でリタイアし、アスコットタイにハンチング帽を被っていた初老の男は、一張羅のコール天ブレザーに粗相をされて怒って帰ってしまった。紅顔の美少年が広場の向こうを携帯で話しながら行ったり来たりしている。中年女性は芝生の上に正座し、ナップザックの口から顔だけ出すクマと見つめ合ったまま、無言の会話を交わしている。
というのはぼくの勝手な想像で、本当に会話しているのか疑わしい。笑ったり悲しんだり表情に一切変化がなく、怖ろしい。
老人たちはベンチに腰掛けて弁当を広げ、介護士に助けてもらいながら栗ご飯、焼き鮭、ナスの煮物、山菜のおひたし、桃のピュレに舌鼓を打っている。ぼくはなにも食べたくないのに、お腹は鳴って空腹感を訴える。脳は苦悩のあとに来る快楽を覚えているせいで、苦悩そのものを楽しむという術を身に着けてしまったが、身体にとって苦痛は苦痛の何ものでもない。断食は脳の快楽であって身体は不快だ。まるで醜いものなどなにもないかのように過ぎる雲を見上げる。任意の点A。アクロス・ユニバース。五体投地して星の力と一になれば、運命の輪も自分の腰で回すフラフープになる。
三ツ星てんとう虫が雲を目がけて飛ぶ。背中の甲羅がふたつに割れて内側から折り畳まれていたパラフィン翅が取り出される。それが体の何倍にもなって飛ぶ。ぼくは眠っているところを起こされて、ふたたびお婆さんを背負う。介護士さんがぼくの首にタオルを巻いてくれて、これがよだれを吸収してくれることを希う。
 頂上へと至る道は険しく急勾配なのでその道は回避され、遊歩道を山の反対側へぐるりと回っていく。こちら側はまだ葉が色づき始めたばかりで深々とした緑が残り、木漏れ日が道を鹿の子斑につづれ織る。お婆さんはお眠の時間で鬼のようないびきをかく。クマが頭を出すナップザックを胸の前に回して老人を背負う女性は、足元を見つめ黙々と歩く。つねに先頭を切って歩く紅顔の美少年は、元気で快活なお爺さんに脇腹を蹴られてこき使われる。お婆さんはぼくの背中の上でポックリ逝ってしまうのか。祖母が死んで葬儀に出た後、ぼくは拒食症になった。パン屋『門』の魔術的幻燈機械に魅入ったまま、いつまでも動けなかった。64キロあった体重が48キロまで減ってデニムがスカスカになった。目がくぼみ頬骨が浮き出て、背中に丸いかさぶた状の瘢痕ができた。手足が細く筋張って関節が目立ち、座ると角張った座骨が当たって痛い。お尻の皮にふたつ痣ができた。肋骨と鳩尾の骨が浮き上がる。いくところまで行ったぼくはリバウンドして過食に陥る。パン屋『門』の全種類のパン・デザート。ジョディ・パスタ。ガスト。デニーズ。リンガーハット。吉野家。気分が悪くなって食べていた牛丼を半分残して店を出た。公園のベンチに仰向けになって空を見上げる。ちょうど桜の季節で鼻の上に舞い散る桜の花びらとウグイスの声。公衆便所に向かう途中で食べたものすべてを吐く。公園の真ん中に池のような小間物屋を広げてしまったぼくは、自己嫌悪と自己憐憫でいっぱいになる。
大枚はたいて食べたものをすべて蟻のエサにしてしまったこと。おいしく作ってくれた職人さん、キッチンスタッフに申し訳ない気持ち。リバウンドで足がむくれ靴が履けなくなる。社会の中で自分の役目、居場所をしっかりと見つける。天職に就きそれでお金を得て生活する。ひとの死に惑いうろたえることなく、手を震わせることなく焼香し、参列者の前で弁舌爽やかに挨拶をして、喪主の務めを果たす。生涯の伴侶を見つけ親に孫の顔を見せる。
我が家系の遺伝子はこの現代においても命を勝ち取り、未来へ橋渡しすることができましたと盆と正月、実家に帰省し報告に上がる。
そういうひとにぼくはなりたい。西に傾き始めた日の光が月見山の山腹を朱く差し染める。ぼくは背中の上で目を覚ましアワアワ言い、よだれを垂らすお婆さんを揺すり上げる。
 そろそろ山を下りることに決まり、ぼく達は遊歩道を出て広い車道に入っていく。紅顔の美少年は脇腹を蹴り上げられながら、めげることなく先頭を切って山を下る。歩き疲れたクマの親の女性がとうとう坂の途中でへたり込んでしまい、みんな少し休憩しましょうということになる。ピクニックに来た家族連れ、ハイキングで頂上まで登って下りて来た登山客がぼく達を追い越していく。ぼくは木の間から見上げる仏舎利塔に問う。
正しく問われた問いにだけ答える仏舎利。正しく問われた問いにはもうすでに答えが出ているという仏舎利。問いと答え。修行と証悟はひとつと説く仏舎利。あなたとわたし。仏身一如と嘯く仏舎利。真如の月。一即一切。色即是空。鑑。まる・さんかく・しかく。 
ひとごこちついてふたたびぼく達は出発する。登山道入口のバス停前にある駐車場に、車を止めた浜田教育事務次官補と特別養護老人ホーム「かえりざき」の職員さんが待っている。どうやらここでぼく達の奉仕活動は終了ということらしい。
「ご苦労さまでした。」
浜田教育事務次官補からねぎらいの言葉をかけられて、ぼくは泣きそうになる。背中からうたた寝しているお婆さんを車椅子へと移す。よだれを吸ってべとべとになったタオルを首から外して、職員さんの持っていたビニール袋に入れる。ぼく達は車椅子の老人たちと職員さん達に最後の挨拶をして、浜田教育事務次官補のハイエースバンに乗る。老人たちはホームの車椅子用昇降リフトの付いたマイクロバスに乗る。
「これから事業所に戻って移民許可証をお渡しします。駅前まで送りますのでそこの売店で許可証を提示していただき、ビンゴカードを受け取って下さい。」
浜田教育事務次官補が車を運転しながらぼく達に伝える。三人ともぐったりしていて返事を返す気力もない。ぼくは窓の外を流れるヘッドライトを新奇な生き物のように目を離せず見ている。
ディオゲネス、人間は見つかったのかい? いやまだだ。これから生まれるところさ どんな形をしているんだい? 形なんてない。点だけさ
宇宙の交点に立っているぼくはやっぱりひとりなんだね。
黄色いナップザックからクマのぬいぐるみを取り出して抱く女性は、じっと前を見ている。紅顔の美少年も携帯を手にしたままヘッドライトの光の川を見ている。
事業所の入ったビルの前で車が止まる。『門』は闇が深くなるほど耀きを増し、クリスマスの季節ともなるとその魔術的幻燈機械は最大の魔力を発揮しはじめる。見ているだけで目の中が虹色に霞んでくる。事業所の机の前でひとりひとりに移民申請許可証が交付される。車に戻り駅まで送ってもらい、南口ロータリーにあるナンバーズカード売り場の前で降ろしてもらう。
「幸運を!」 浜田教育事務次官補はぼく達三人に人差し指と中指をクロスさせた手を掲げて見せて走り去る。
 ぶつぶつ穴の空いたパネル越しの受け渡し口を通して、移民申請許可証を提示し、移民団抽選ビンゴカードを手にする。カードの上枠に8月3日 833ニュークリアパークにて抽選と書かれてある。1から83までの数字の中から任意の9つの数字が指で刳り抜けるように切れ目が入って3×3に並ぶ。
 25 72 61
 18  3 50
  8 71 38
これがぼくに託された運命の数字列だ。振り出される親玉の回数は10個。縦横斜めどれでも3つの数字列が出ればBINGOだ。ぼくはビンゴカードと移民申請許可証をジーンズの尻ポケットにねじ込んで、他のふたりに別れを告げる。ふたりと舟の中でふたたび遇える確率は? それがどれくらいの確率なのか考えようとしてみたけれども、ぼくの頭ではどうしても数字をはじき出すことができない。これだから大学適性試験(バカロレア)に失敗してしまったんだ。
パーラー「ハリウッド」の駐輪場に自転車を取りに行く。一年中お祝いの花輪が飾られたパーラーの前で、髪を白く染めた若い男が地べたに座って携帯で話しており、換金所にはスウェットの上下にネットを被った女が蛇皮の財布を出して待っている。物凄いくしゃみの音がして路地の向こうを垣間見たけれども姿はない。パーラーの警備員の老人は椅子に座って眠っている。
ぼくはスーパーに寄って帰ろうと自転車を飛ばす。半額シールの弁当はもう売り切れているだろう。レジで働くバイトの女子高生との束の間のやり取り。現実世界で失敗した者は想像の世界で進化の道を辿る。そこは多様で豊饒性に満ちた無限の世界だ。見つけたささやかな町の中では、自分の存在が確かに認められ受け入れられている。
ジーンズのポケットに入っている誰からもかかってこず、誰にもかけない携帯が自転車のサドルに当たる。スーパーの前に自転車を止める。自動ドアをくぐり買い物籠を取ると、生鮮食品コーナーの冷気がいっそう身に染みる。
惣菜置き場にのり弁当がひとつ、半額シールがついて残っている。420円の弁当が210円になっている。玉ねぎと卵ひとパックを籠に入れてレジに並ぶ。壁の時計を見ると7時を回っている。エコバックを持って来ていないのに気付いてレジ袋を頼む。5円の出費になる。
スーパーを出ると自転車を押して坂を上がる。宵闇に月を探してみたけれども、どこにも見つからない。エアコンが使われなくなり窓をいっぱいに開けた家から、夢中で喋っている女の子の話を聞く家族の風景が目に浮かぶ。彼女の家に行って両親に紹介された日、食卓には肉じゃが。コンソメスープ。大根とナスの漬け物。トマトとレタス、ゆで卵の入ったサラダが並んでいた。うちの母親は昨日の残った料理を混ぜて夕食に新しいおかずとして出した。うちの母親は弁当箱に仕切りも何もしないでおかずを詰め込み、蓋を開けると寄り弁でご飯が不思議な色に色づいていた。うちの母親は腐ったものでも煮たり焼いたりすれば食べられると思っていた。ぼくがトイレの場所を訊いて席を立ち、用を足して戻ろうとした壁の向こうで彼女の弟が
「はずれじゃん。」と言うのが聞こえた。ぼくはなにも聞かなかった振りでテーブルに戻る。
いつもは虫の音囂(かまびすしい)空き地に人影が差し、現れた斜視の男と目が合う。男は懐から何か光るものを取り出し、ぼくの方へ向ける。ぼくは急いで角を曲がり男の視界から逃れる。足早に自転車を押しアパートに辿り着く。あの光るものはなんだったのか。あれは‥‥

      3

 ぼくは運命の輪を見上げている。休みの日の隣りの住人は、夜遅くまで缶ビールを開ける音が響いていて、足りなくなると近くの自販機まで走っていく。意味不明の奇声と怒声の間に痙攣する引き攣り笑いが挟まって、とにかくぼくは耳栓をして眠ろうと努力する。しかしながら一度意識してしまったら最後、針一本落ちる音も張り詰められた神経には象の足音で、刺激に過敏に反応し細部にこだわって研ぎ澄まされていく。
ぼくは想像し思惟し瞑目し観念し思い出し想起し興奮し反省し自嘲し慮り決意し紅潮し慚愧し諦念し三昧する。ぼくは頭の中でできることはなんでもやった。このようにしてぼくはしらじらと夜の明け染めてゆくのを、カーテン越しに感じ、体を起こす。耳栓を抜くと、隣りの住人はとても静かで、わざと大きな音を立てて鬱憤をぶちまけてしまいたいと思うけれども、思うだけだ。
ぼくにはまだ自制心と謙譲のこころが残っている。隣りの住人が気に入らないなら自分が出て行けばいい。他人のせいにばかりして自分が動かないから不満が募る。薬缶に水を入れてコンロの火にかける。Nescaféゴールドブレンドとクリープをひと匙マグカップに入れる。冷凍しておいたご飯をレンジで解凍して丼に盛り、卵を割り入れ、タッパの中の青ネギと醤油を掛け混ぜて一気に掻き込む。
沸騰した湯を注いだマグカップを持ってテレビを点ける。殺人事件の前に゛連続゛の文字が加わっている。あいつの仕業だと直感する。何の根拠もなかったけれども、逃げなければいけないとぼくは思う。殺されたのは近所に住むマルチーズを自転車の前かごに乗せて走るおじさんで。首だけ切り取られたおじさんの身体とマルチーズを前かごに乗せた自転車が。月読神社の社殿に突っ込んでいるのを。祭りの準備に来ていた町内会の世話役に発見されたのが。昨日の午後9時頃のこと。
首から上は今朝未明。ウォーキングをしていた初老の夫婦が。腰掛けのポーズの銅像の真っ直ぐ上に伸びた両手の間に挟まっているのを見つけた。
ぼくは唇の震えを止めることができず慌てて口を押さえる。目眩と吐き気が同時に襲ってきてキッチンに駆け寄る。シンクに今食べたばかりのものが胃液まみれの小間物となってぶちまけられる。涙とえずきで体が痺れ、立っていられずに床にへたり込む。目の合った斜視の男の残像がありありと浮かび、男が取り出す光る黒いもの。それは鈍く黒光りする物騒極まりない凶器へと容易に、あまりに見事にぼくの記憶の中で変容してしまっている。
このままではいずれ殺られるという確信にも似たきらめきが頭を掠め通り過ぎる。
殺られる前に殺るのか。この場合、正当防衛は許されるのか。もしあの男が犯人ではなかった場合、ぼくが犯罪者なのか。この部屋もいずれ嗅ぎつけられてしまうに違いない。なにせ目と鼻の先、目撃者のぼくはここにいる。
あの男と目が合った時、ぼくはグレイのニットとジーンズ。白いスニーカー。自転車を押しながら手にはのり弁当と卵ひとパック、玉ねぎの入ったレジ袋。尻ポケットには携帯と財布。移民申請許可証とビンゴカードが入っていた。男に目星をつけられるようなものは一切身に着けてはいなかったはずだけれども。
ただ目だけが。ひとりひとり異なる目だけは。ひと目見た見られたただけで、男もぼくもそれで分かってしまうだろう。ぼくは目撃者だ。犯人はぼくの目によって撃たれたのだ。斜視の男は懐から黒く光るものを取り出し、ぼくを撃とうとして果たさず、ぼくは目でもって男を図らずも撃ってしまった。ぼくの目は犯人を撃った凶器となっている。この目を隠す必要がある。凶器はそうむやみやたらにひと前に晒すようなものじゃない。サングラスは持っていない。
今すぐここを引き払って逃げた方がいいのか。空き地からワンブロック離れているだけのアパート。ぼくは爪を噛み頭を掻きむしり部屋中歩き回って、心の中で喚き声を上げ続ける。冷静さを取り戻そうと顔を洗い、蛇口の下に頭を突っ込む。嘔吐した小間物の酸っぱい匂いでぐるぐるしながら、ぼくは思考が光速よりも速く勝手に前へ進んでいく、否応のない欲求に駆り立てられて消失点までいく。どこへ行くのだ。両親はもうない。
そうだ、833へ行こう。833に行ってビンゴ大会を待てばいい。運よくビンゴしたらそのまま舟に乗る移民団の一員としてこの星からおさらばだ。
しかしあの男はこのことを?いや知るまい、知っているはずがない。ぼくが移民団に応募したことなんて、あの男が知る訳もない。そうだ、833へ行こう。
ぼくは一気呵成に思考の海を泳ぎ切って一条の光を見い出す。他のアパートの住人のことも忘れて柏手をパンと打ち、手の舞い足の踏む所を知らず体を踊らせる。833にどうやって行こう?金がない。男に見つからないように隠密裏に行動したい。このような状況に陥ったことなど一度もない。
祖父の形見の腕時計を質屋に入れて金を作ることを考える。金券ショップで833行き定期航空便格安チケットを探してみることにしよう。そこでぼくはたと、こんなことはすべてぼくの杞憂に過ぎず、斜視の男はぼくのことなど眼中になく、憶えてもいないのではないか。あの男が犯人じゃなければ目撃者のぼくを殺そうとすることはないだろうし、それなら心配することなんか何もない。ここで安穏と暮らし続ければいい。
すべてはぼくの勘違い。思い過ごし。取り越し苦労。あの男は空き地で闇に隠れて立小便をしていただけだ。怖れることはなにもない。そう思ってみるとなんだかそのような心持ちになってきて、考えていたことすべてが馬鹿馬鹿しくなってくる。なにもかもが億劫になる。どうして移民団に応募しようと思ったのか。ここ月見荘206号室でこのまま一生暮らし続けるのか。隣りの住人の騒音と漏刻に脅えながら、絞首刑になる日を見上げ待つ日々。
 この道を行けとぼくは叫ぶ。ぼくは833へ行く。行ってからそこで考える。カーテンの隙間から窓の外を見ると、ノラ猫が素早くぼくの方を振り向いて露地を走り抜けていく。なぜ移民団に応募したのか。アワアワと震えよだれを垂らすお婆さんを背負い続けて。そうだ、833へ行こう。
ぼくは机の引き出しの奥に収めていた祖父の腕時計を取り出す。舟乗りだった祖父の左腕にいつもされていた時計だ。ぼくは服を着換え財布と携帯、祖父の腕時計、家と自転車の鍵を持って家を出る。堂々としていること。なにも後ろめたいことはない。自分を蔑むことも卑下することも否定することもない。自転車に乗って坂を下り銅像に向かってスピードを上げる。ぼくは犯人じゃない。犯行現場を回避する必要はないし、余程の阿呆でない限り犯人がのこのこ現場に戻ってくるはずがない。
黄色いテープの規制線が張られ、多くの野次馬とメディア・マスコミ関係者・ワイドショーリポーターでお祭り騒ぎになっている横を通り抜ける。上空をテレビ各局のヘリコプタ―が旋回している。歓楽街の前を過ぎひとつ目の通りを左へ。数ある理美容院のひとつの向かい側に▢枠に質の看板が出ている。自転車を押して古い住宅街の路地を入っていく。間口の軒下から地面まで藍地に白抜きで質と入った幕が張られている。古風な数寄屋の入口で、ぼくは振り返る。どうしようか行きつ戻りつしていると、中から金髪にダンデライオンパーマを当てた女性が出てきて、ぼくに一瞥をくれる。先客がいたことで急に気が楽になって、勢いのまま間口をくぐる。
平土間の上がり框の番台に控えていた店主が、
「いらっしゃいませ。」と言う。歳は40半ば、若禿げの男で前髪がすでに後退しきって耳の周りと後ろの髪を短く刈っている。縁なし眼鏡で色白のつやつやした肌。ワイシャツにネクタイ、ツイードのスリーピース。いかにも紳士然とした風貌。ぼくはここにきてなにをするのか忘れてしまった警察犬のように茫然と立っている。慌ててジーンズのポケットに手を突っ込んで祖父の腕時計を取り出し、番台の男に手渡す。
「拝見させていただきます。」 男はアストロノーツの時計とすぐに気づいたらしく、両手で時計を恭しく受け取ると、ルーペで仔細に細部を見ていく。
「第三次移民計画の時のものですね。とても古いものだ。」
ぼくは胸の動悸が早まっていくのを必死に抑えようとして息を止めていたのに気づき、苦しくなって急に後悔が襲ってくる。本当にこれでいいのか。ぼくが苦しんでいるのを質屋の主人はまったく忖度する様子もなく、しばらくPCの画面と手元ではじいた算盤を見比べた後、
「180万でどうでしょう。」 と言う。
ド肝抜かれる金額を提示されてぼくは一瞬、これはなにかの陰謀ではないのかと思ってしまう。0がひとつ多過ぎたと男が言い出すのを待ってみるけれども、店の主人はなにも言わずぼくの顔を見ている。こんな大金、借り受けても返す当てはない。まったく途方に暮れていると、
「どうですか、足りませんか。」
「いえ。そのう、どう言ったらいいのか。これは180万、全額借りないといけないということなのですか?」
「と言いますと。」
「つまりそのう、ぼくは今ここで10万ばかり借りたいのです。」
「それならそれで、お貸しできます。」
「できたらぼくが受け戻しに来るまで流さずにいてほしいのですが。」
「分かりました。」 質屋の主人は快く請け合ってくれ、店の奥に消える。
祖父の腕時計は番台の上のMacbookProのそばに置かれている。今ならまだ祖父の腕時計を持って帰ることができる。今なら。
でもぼくの手も足も出ない。中途半端なことはしたくない。始めてしまった以上、行く所まで、行ける所まで行ってみたい。これはぼくの悪あがきに過ぎないのか。出来もしないことを夢見て笑われる夢遊病者なのか。
店の主人は戻ってくると渋沢栄一の新(ピン)札で10枚。両手で扇のように広げて1枚1枚、ぼくによく見えるように数えて渡してくれる。ぼくは小刻みに震える手で受け取る。財布の中に無理やりねじ込む。こんなに万札を咥え込んだことのない財布は、あんぐりと口を開けたままえずき閉じようとしない。それを宥めすかしてふたつに折ってポケットに収める。
 ぼくは名前と住所、電話番号を用紙に記入し、受取証をもらう。店の主人に頭を下げて店を出る。これは猫ばばなんかじゃない。詐欺行為でもない。
密売でもない。ぼったくりでもかつあげでもない。お年玉だと自分に言い聞かせる。それでも釈然としない。なにか後ろめたい気持ちのまま必ず近いうちに受け戻しに来るのだと、自分を慰め励ましてみても一向に気分が上がらない。自転車を押して路地を出る。紙屋百貨店のワンブロック先にある金券ショップに向かう。名画座では「搦め取られた脚」「悶絶 お母ちゃんとお漏らし」「セレブお姉様の淫乱なる一族」の三本立てで、パーラー「ハリウッド」には祝・新装開店 新台入荷の花輪が並ぶ。金券ショップのガラス戸を開け、
「833行き定期航路のチケットありますか?」と訊く。
「定期航路のチケットはございませんが、世界一周クルーズ豪華客船で行く833までの格安チケットならございます。」と言う。
ぼくは豪華客船と聞いて躊躇う。失業者認定カードを持つ身として、これはあまりに残酷な仕打ちだ。否応なく自分の惨めさ、醜さ、穢ならしさを突きつけられるのは御免だ。ショーケースの中に図書券。商品券。優待券。ライプ・コンサート・劇場のチケット。回数券。クーポン券。スポーツ観戦チケットが並ぶ。
「それ、幾らですか?」
「5千円です。」
「5千円⁉」 どういうチケットなんだ。これもまた陰謀だろうか。安かろう悪かろうの、命の危険に晒される罠が潜んでいるに違いない。違いないと思うけれども、あまりの安さに目が眩み、見事に幻惑されてぼくはチケットを買ってしまう。まさか船で引っ張ってやるから浮き輪を付けて泳げという訳じゃないだろうし。ぼくは大丈夫だと自分に言い聞かせる。その豪華客船5等客室のチケットを見ると、今日の午後1時出航となっている。今、午前10時過ぎだ。
 ぼくは慌てて家まで自転車を全速力でこぐ。昨夜通り抜けた空き地を迂回して坂をあえぎあえぎ、いつもは押して上がる坂道を立ちこぎで上り通して、アパートの階段を駆け上がる。押し入れからショルダーバッグを引き出して下着。Tシャツ。靴下。タオル。ニット。スウェット。洗面用具一式(歯ブラシ・歯磨き粉・T字カミソリ・石鹸・ウーノ)。携帯の充電器。あとは。自転車と家の鍵。携帯と財布はポケットの中。酔い止めの薬がない。
ぼくの三半規管が知覚過敏で、少しのバランスの崩れにも反応する。察知能力に優れたそれは、ジャイロコンパス並みに真っ直ぐ体を保とうとし、ぶれずに状況に適応しようと必死になる。結局方向感覚がおかしくなって、酸っぱいものが胃の腑から込み上げて来る。嘔吐する。それは正しく作動しているのだろうけれども、精密な機械であればあるほど狂いやすくなる。
移民申請許可証とビンゴカードを忘れるところだった。慌て過ぎて部屋の中を土足で歩いているのに気付く。履き古した白いスニーカー。5年もの間一緒に歩いてきた。この靴で行こう。この靴で海を渡ろう。
カーテンを閉め戸締りもしっかりと、電気プラグをすべて抜いてブレーカーを落として行こう。冷蔵庫の中身と屑籠のゴミをすべて指定のゴミ袋に放り込む。ひと渡り部屋の中を見回しなにか忘れたものはないか確認する。大家さんに捨てられて困るものはなにもない。833に着いたら部屋の解約を電話で伝えればいい。冷蔵庫。洗濯機。テレビ。オーブンレンジ。机。椅子。本。収納ボックス。掃除機。服。食器。鍋。薬缶。フライパン。ベッド。布団。あるものすべて煮るなり焼くなり、売るなり捨てるなりしてくれて構わない。捨てるにもお金がかかると言われたら、請求代分のお金を今月の家賃に上乗せして振り込めばいい。
なにもかも捨ててすべてを失ってしまった時、ぼくにはなにが残るのか。自分の身ひとつ。臭皮袋にして記憶袋。想起袋。体力[HP]経験値[MP]
うさぎの糞ほどの知恵と勇気と良心がぼくの持っているもののすべてだ。
できることは少ないし、持っているものは僅か。自分の持っているものすべて使って生きてみる。それで失敗し挫折し落ちぶれて野垂れ死んでしまっても、誰にも文句は言わない。誰も恨まない。子供も仕事もお金もなにひとつ残せなくても、自分の命分生ききることを諦めない。それだけのことでしか生んでくれた両親、祖父母、ご先祖様、系統樹を育てはぐくみ逞しくしてきたひと達に返すことができない。
 家の鍵を閉めてポストの中に鍵を入れる。ゴミ袋を持って階段を下り自転車でドックの東側にあるバースに分かって走る。銅像前は朝よりもさらに人だかりがしていて、自撮り棒をかざしている。広場のゴミ箱にゴミ袋を捨てる。どうしてこんなに賑やかなのか怪訝に思っていると、今日はお祭り当日なのだと気付く。そこでやっと町の家の軒先に連なる紙垂の白い波が目に入ってくる。年長の子たちが赤鬼、青鬼、緑鬼、茶鬼、黄鬼、黒鬼に仮装して先払いする。ラジカセから大音量で流される唄声、笛、囃しの太鼓が晴れの日の気分を高揚させる。この日、月読神社の境内では大人たちの担ぐ神輿が闘牛のようにぐるぐる回り、狂喜乱舞する神の依り代となって跳ねる。奉納試合として剣道教室の子供たちが試合をする。氏子の家の前で小さな神輿を担いできた子供たちが、鬼の首を獲って来たように神輿を上下に振り、喚声を上げる。世話役の吹くホイッスルの音に誘導されて次の氏子の家に向かう。
ぼくは神輿を避けて歓楽街の中を通り抜ける。眠りを忘れたポン引きが店の前から手を叩いて飛び出してくる。自転車で過ぎるだけのぼくにまで声を掛けてくる。出てきたのは写真と随分違う年増で紅の剥げた、目の下の隈のたるみが特徴的な女だ。女は有無を言わさずぼくの手を取り女の胸からお腹から腰からお尻から下腹部まで。やわらかさと曲線をこれでもかと悟らせるようになぞらせて、ぼくの着ている服を手品のように脱がしていく。あれよあれよと口に含まれてしまったぼくのものはどんな時よりも、生まれてはじめて勃起してからこの方この上ないくらい固く強く逞しく雄々しく張り切り、敏感に反応してビクビク震える。一連の流れ作業のような展開。見事な手際にぼーっと横たわっていると、部屋の内部一面に貼られた天使の子供たちの壁紙が、ぼくをヤコブの梯子に乗せて雲の上にいざなう。
歓楽街を抜けて踏切を渡り、古い板張りの湾港労働組合の建物の前を通る。
バースが見えてくる。豪華客船ザンジバル号がバースの横幅いっぱいに停泊している。船首の女神像が世界を牛耳る目を見開き、その喫水線が七つの海を半分に分けて押し進む。巨悪の権化か。白い巨塔の船体が町のワンブロック、マンモス団地をそのまま積んでいる。巨人並みの胃袋。ガルガンチュア。パンタグリュエル。ミクロメガス。ガリバー的大きさを問われているような気がしてくる。
自転車置き場がなくて建ち並ぶ倉庫の周りを回る。結局、湾港労働組合の板張りの壁に立て掛けて自転車に鍵をかける。
 ぼくは船に上がるタラップ前でチケット確認のために並んでいる列の最後尾につく。自分の番が近づいてくるにつれ心臓が痛くなる。何度もポケットから取り出したチケットを確認する。最前列のチェック作業を見ていると、冷たく追い払われるようにして船尾の方を指差されている乗客がいる。どうやら5等客室の人間はここから船に上がるのではなさそうだった。ぼくは前に並んでいるひとに、
「ここは何等客室のひとが並んでいるのですか?」と訊く。そのひとが
「ここは2等と3等の搭乗タラップです。」と答える。
ぼくはこの間違いと動揺を気づかれてはいけないと、忘れ物を思い出したような演技をして携帯を取り出し、どこかに掛ける振りをしながらさり気なく列を抜け出す。そして船尾の方へと急ぐ。有り金はたいたなけなしの金で手に入れた格安チケットを握りしめた一群が、貨物用コンテナに積み込まれクレーンで吊り下げられているのが見える。この道を行く。行くところまで行くと決めたぼくは黙ってその一群の、次の集団でコンテナ内に積み込まれる。
不安に慄く心臓をいくつも載せたコンテナは、クレーンでもって宙吊りにされると、キュっと絞った檸檬のような酸っぱい汗が脇から滴り、口の中いっぱいに汁がこみ上げてきてチン○が縮む。降ろされるのは船腹の一番下にある船倉だ。鼠とゴキブリだけが棲む場所。誰のせいにもしない。誰も恨まない。自分の愚かさ馬鹿さ加減を呪え。

      船下

 一泊二日。真の闇の中、赤の他人とくっ付き合って立ち続けるということが、あなた方は本当に分かっているだろうか。つばを飲み込む音ひとつ、洟を啜り上げる音ひとつ、しわぶきひとつが響き渡るコンテナの中に、60人が詰め込まれている。身動きするたび不快感を露わにされ、身動きされるたび不快感が増す。秋深まる季節がぼく達を比較的快適にしている。腋臭と汗の際限のない増幅がないだけでもぼく達は手を取り合って喜ばなくてはいけない。秋の日の空気の乾燥に大小便の垂れ流されも溶けて紛れるのを、ぼく達は頬擦りし合って喜ばなくてはいけない。
もう立っていることができないのに立たされているこのからだは、どこまでがぼくのからだでどこまでが他人のからだなのか。寄り掛かり支え合い縋り合い補い合うぼく達のからだ。
輪廻の環の外。寂滅の境地へと旅立つことにしたチベット僧のように捨て身になったぼく達は、これからどこへ運ばれていこうとも生きていけるだろう。
「食べものがなくなってくるとひとは醜くなる。舟の中では危うく殺し合いになりかけて、移民団長の善雄さんがしっかりしとらなんだったら、えらいことになるとこだった。残り少なくなった食べものをみんなに平等に分け合って、ひとりひとりに仕事を役割分担させて、規律と秩序を重んじる生活を続けたんだ。最後まで諦めずにがんばれたのも善雄さんがみんなを鼓舞し、引っ張っていってくれたお陰よ。
舟に乗ったひとの中にはいいひとばかりじゃなかった。悪いことを心密かに企んでるひとも中にはいたけど、善雄さんにはリーダーの資質があった。
それがなにかって言われても、それを言葉で説明するのはなかなか難しいね。そのひとの持ってる雰囲気というのか。じかに合って分かるたぐいのものだね。
善雄さんは5人兄弟の長男で貧しい家の家計を助けようと、若いころからよく働くひとだった。朝まだ星の見える暗いうちから野良仕事に精出して、家畜の世話、近所のひとの畑仕事まで手伝って、冬は出稼ぎに行って炭鉱で穴を掘ったり、土方でもっこ担ぎしたりして。
舟に隕石が当たって舟体に大穴が開いた時、引き返そうという者が大半だったけども、善雄さんの指示で舟の半分を切り離して軌道修正して、そのお陰でここまで辿り着けたよ。結果論じゃ、まかり間違えてれば全員死んでたと嫌味を言うひともいたけど、独断専行と決断する勇気、無謀と責任は紙一重だ。うまくいったことは忘れられる。失敗すると責められる。割に合わん。だからこそリーダーは無欲恬淡なひとが理想よ。
なにかやってやろうと欲に過ぎるひとは周りのことを観ることができないからな。婆ちゃんがこうして余生をしずかに送ることができるのも、善雄さん様様なんだ。」
 コンテナの中にリーダーは存在しない。ここにリーダーが存在するとしたらそれは天国から墜ちてきた堕天使ルチフェロ。ベルゼバブだ。多くの鬼どもを引き連れて天国を攻め滅ぼさんと図った地獄からの使者。カルナック号に乗って地球征服を企む者。地獄の典獄長。逃げ場所は夢の中にしかない。
最後の隠れ処。蓮の葉の裏。
闇の中を見つめ続けていたひとは、最期の悪あがきに特大の放屁をする。揺すぶられ小突かれ膝蹴りされ、いい様に丸め込まれていく体をぼくは、闇の中に感じる。丸められ完全無欠の球体になった体がコンテナの中をいっぱいにし、膨らみ隙間を埋め破裂する。汗という汗、肉汁がぼくの身体を浸して真っ白にし、どこまで行っても消えて無くならない匂いにぼくは焦りはじめる。ここまでうまく偽装し自分の存在を溶解し尽くしていたのに、もううまくいかなくなる。なにもかも闇の中で視姦され感覚され気づかれる。自分というものそのもの自体が居たたまれなくなっても、逃げられない。
呼吸が荒く苦しくなり鼓動が小鳥のように早くなるにつれ唾液が止まらなくなる。飲み込んでも飲み込んでもゴムの木の乳液のように湧いてくる。もうダメだ。律動する肢体でもって悪魔の舞踏するぼくの魂は、究極の頂きに登って行くことで恍惚と脱糞する。10m弱の炎の一本糞が尻の穴から出てくる神秘。快感。真田虫。
日向ぼっこする猫。じりじりと炭火で炙り焼かれる特上カルビ。日の光の下じりじりと肌を灼く。もう止めることができない。溺れる。溺れる。
吐き出した空気の泡が地上へと辿り着く。コンテナの鷲掴まれる震動が地肌の上に骨まで喰らい込む。集団で空中浮遊する奇妙な一群。シルクドソレイユの一団の中にあって正体のなかったぼくが途端に覚醒する。
覚醒器の時代だ。始まるのは覚醒期。誕生の瞬間。見逃すものか。起重機の爪が護岸に設けられた貨物用レーンにコンテナを降ろす。最後の瞬間、開かれた扉から来た光を吞む。閉じられたままの瞼で開かれた扉の光を聴く。
美しい旋律が響き渡る。地上に堕りた最後の天使は夢のお告げを知る。
これこそが誕生だと。

     紙

 任意の点であるわたしは恒星の周りを回る惑星のように、惑星の周りを巡る衛星のように、ふいに訪れる彗星のように語ろう。そこに在りそう成ること。それはわたしの心を和ませてくれる絶対の法則。未知数への裕福な帰依を意味する。好き嫌いはあっても優劣はない。約束の時間が来てもあのひとは来ない。
そうして時間が過ぎていく。待っていたわたしは物語の主人公(ヒロイン)のように泣くのか。それとも笑うのか。悪魔に魅入られた魂。目覚ましが鳴る前に目が覚めるようになったのはいつの頃からだろう。学校に通っていた花物語の少女は、目が覚めても1時間は何もしないで魂の抜けたお人形のように座っていた。
カーテンを引いて窓を開けても隣りの家の壁を伝うエアコンのダクトが、青白い陰の中に浮かんでいる部屋。この部屋に住まわせてもらうようになってからもう半年経つ。ぷるおんはこの深まる秋の朝の冷たさも知らず、掛布団を撥ね散らかして。相変わらず寝相の悪い子だ。昨日の夕食に作り置きしておいた野菜スープが影響を与えているのかもしれない。食事ではなくて昼間遊ぶ運動量の問題か。最近とみに体重が増えてきて時折、大人の女じみた仕草をみせるのだからいやらしい子だ。
まだ5才なのに。わたしのせい?そうじゃない。この年頃の子はいろいろなこと、ありとあらゆることを試してやってみて自分の力を計っているのだ。これはできるこれはできない。これはまた次の機会に。これはやめておこう。怖ろしい怪物になることも誰もが振り向く天使になることもできる。
わたしはさっさとパジャマを脱いでブラウスとスカートに着替えてしまう。タイマーを掛けた炊飯器で炊きあがったご飯をほぐし、昆布で取っておいた出汁に玉ねぎと人参、さつま芋を入れて合わせ味噌を溶く。上にカイワレ大根を乗せる。市長の緑のマフィン帽みたいだ。
あの帽子を被った市長の選挙ポスターが町じゅうの掲示板に張り出された時、その上から売女。アバズレ。保険のおばさん。緑のおばさん。メスブタ。マッチポンプの落書きがされた。ひとをひとと思わぬ言動。歯に衣着せぬ発言。
「どうしてわたしが市長に立候補するか。それはわたしが美しいからに過ぎない。なぜわたしが美しいかといえば、それは他のみんなが醜いから。」
「政治になんか興味はない。興味があるのは権力を行使する快楽だけ。」
「おとぎ話はやめてちょうだい。現実はチョコレート味のマフィンじゃない。トリカブト味のハーゲンダッツよ。」
「政治に求められるのは身振り手振り。口先三寸の言葉だけ。わたしにできないはずはない。」
「女たちの地位の向上? わたしが権力を求めるのは男の性の奴隷化を実現化するため。そのような向上など存在しない。」
まだまだキリのないその暴言の数々にはメディア・マスコミ各社が大騒ぎし、センセーショナルに書き立て煽り立てた。それが逆にいい宣伝材料と恰好なアピールとなってブームを巻き起こし、選挙に圧勝してしまった。
新しい市長は公約マニュフェストに「弱者。少数者(マイノリティ)。被害者。患者。負債者。前科者。敗残者。孤児の救済」を掲げる。馬鹿げたテーマパーク『紙で作る夢の楽園』ペーパームーン王国。総工費約300億の一大事業が市議会で可決され、建設が着手される。その工事受注入札には複数の大手ゼネコンから市長への贈収賄。談合があったとされていて、目下係争中だ。
ペーパームーン王国。そこは多くのひとの夢と希望。お金と時間とエネルギーがごっそり詰まっていた。そこには折り紙で作った中世のお城。こびとの国。実物大の恐竜。巨人。カルナック神殿。驚異の迷宮(ラビリンス)。異星人とその星の風景。段ボールで作られた飛行船。潜航艇。水陸両用ホバークラフト。空飛ぶ車。襲ね式目の和紙が張られた灯籠が夢幻灯機械(ファンタスマゴリー)となって王国を照らし出す。ペーパームーンショーにはセーラー服を着用した現役女子高生が多数生出演して、淫らな歌と踊りで観客(ゲスト)を魅了し、王国の中に掘り巡らされた運河に折り紙で折った笹舟が行き交う。船頭は「命短し 恋せよ乙女」と唄い、ベートーヴェンのピアノソナタ「月光」の流れる中、灯籠の灯がひとつひとつ消されてゆく。
このようなテーマパークが一本のタバコの不始末のために1日で灰燼に帰してしまい、市は莫大な借金を背負い込むことになった。町は失業者と夢見続ける夢遊病者。債務者と負債者に溢れる。
ペーパームーン王国に一枚も二枚も噛んでいた夫は、駅で待つわたしとぷるおんを捨てて蒸発した。ひとはどうして夢を見るのか。想像力を持て余した大人たちは叶わなかった夢、現実に消化しきれない欲求を無理やり形にしようとして現実世界に害悪を振り撒く。とばっちりを受けるのはいつも地道にこつこつお金を貯めて生活している小市民だ。誇大妄想的なその夢が現実に戦争と宇宙開発とテーマパークを作り促し、一大ムーヴメントを引き起こして進歩と繁栄、大災厄と恐慌の歌を交互に歌う。このような衝動が人類の遺伝子に組み込まれている。いつの時代にも夢と現実をごっちゃにした妄想ははびこってきたし、これからも続く。
新しいものは古いものの中にしかない。古いものは新しいと言われたものの中から時代に淘汰されて残ったものだ。それがわたしにわたしの母に作ってもらったご飯とおみそ汁を作らせ、ぷるおんにも食べさせてやりたいと思っている理由なのかも。それは随分と自分勝手な、手前味噌な論理の飛躍なのかも。親は自分の親からしてもらったこと、育てられ方しか自分の子供にしてやることはできないのだと、静江さんは言う。
 とうに8時過ぎている。ぷるおんはまだ目を覚まさない。叫んで起こしたい衝動に駆られる。けれどもここはじっと我慢。
「ぷるおん。起きなさい。」
甲高くなってしまいそうな声をビブラートする低い声に抑えて。ヒツジを撫でるようなやさしい声を出すことに成功する。こんなおばさん的奸智を弄する身分になっていることに、わたしはハッと狼狽する。手の指を見るとひどくカサカサで爪の端のささくれが目立つ。爪はつねに深爪に切ることを心掛けている。仕事柄爪を伸ばすことはできない。接客には技術より手際の良さより、ちょっとドジを踏むくらいの愛嬌が必要だと、静江さんは言う。
9時から美容室での手伝い。17時から中華飯店で皿洗い。22時から町に出勤。これがわたしの1日のルーティン。
ぷるおんはまだ起きてこない。子供の頃のわたしにそっくりで、それがまた堪らなく腹が立つ。自分が自分の母親そっくりになっていくのも嫌悪感で、ますますイライラが高じて激昂する。そしてわたしは母親と同じことをする。
「ぷるおん。起きないとぶつよ!」 わたしは足音荒くぷるおんの布団まで歩いていって、掛布団を剥ぐ。抱きしめていた布団を剥がされて転がるぷるおんの髪は、つやつやと眩しく栗色に輝く。それがまた頭にカッとくる。どうしてそうなってしまうのか分からない。ただ踏み潰してしまいたくなる。敷布団の端を取って一気にめくり上げると、ぷるおんは畳の上に音を立てて転がりタンスの角で頭を打つ。それが面白いのか楽しいのか、顔を強張らせ笑い声が出そうになるのを必死にこらえて口を固く噤んでいる。
「コラッ!」「起きてるならさっさと顔を洗って支度しなさい!」
堪えきれなくなった笑い声が爆発してパッと目を開いたぷるおんは、わたしの手の下、脇を搔い潜って洗面台の方に走っていく。
ジャージャー水を出し過ぎているのを閉め、足台に乗って洗ったままおざなりにして行こうとするぷるおんの顔を、わたしの荒れた手で傷つけないようにタオルで目脂まできれいに拭ってやる。桃のように柔らかで小さいその顔が苦しそうに歪むのを見ながら、わたしは暗い歓びの衝動に襲われて慌てて打ち消す。わたしはぷるおんが産まれてきたばかりの時の顔をそこに見ようとする。目も鼻も開かずただ口ばかり開けて出てきたわたしの体の一部だったもの。わたしであってもうわたしではないもの。間違いなくわたしの体から出てきたこの未知なるもの。
このもうひとつの命は生まれてきたくて生まれてきたのか。わたしと夫のエゴと欲望の結果として産まれてきたものは。わたしは知らない。この子がなぜわたしの子として生まれてきたのか。わたしは知らない。この子はわたしの子として生まれてきて、嬉しかったのか。悲しかったのか。わたしは知らない。この子がわたしの子で、わたしがこの子の母親であることは、この世界の必然だったのか。偶然なのか。わたしは思ってみる。この子がわたしの胎ではなく、他の女の胎に宿り、それが生まれてくるのを。ぷるおんがわたしの子で、わたしがぷるおんの母親であるという事実に、わたしは未だに戸惑いを覚える。あまりに途方もない難問を突き付けられているようで怖くなる。わたしはこの事実を事実として、はっきりと受け入れられていない。
なぜ他の女ではなくてわたしで、他の子ではなくてぷるおんで、それはいつどこでどうして決定されたのか。
 わたしの作ったみそ汁をいぎたなく啜り、下手くそな箸の持ち方でご飯粒をテーブルに落としているぷるおんを見ている。そのしぐさ、態度を目を離さず見ていると、わたしはもう一度、もう一回はじめから生き直しているような気になる。一度通った道をまた新しい目で見て通っている。不思議の国のアリスになっている。ぷるおんはチンタラとわたしにその遅さを見せつけて自慢しているようにゆっくりと食べている。
「はやく食べないと川田さん迎えに来るよ。」
「うん。」
分かってなんかいない。ぷるおんはなにひとつ分かろうとしない。今は食べているからだ。五感でなにか感じている時に他のなにかを理解するという能力はまだない。わたしはぷるおんを見ている。バカな男に掴まりさえしなければ、とまた同じことを考えている。わたしは親の意見を聞かなかった。くだらない男と出奔して、わたしはここにいる。わたしとぷるおんを捨てて逃げた男なんていない方がいいと分かっているけれど、わたしは待っていた。
いや過去じゃない。わたしは待っている。心のどこかで帰ってくると思っている。だから薬指の指輪を捨てない。
これからずっと待ち続けているのかもしれない。新しいひとを見つけて忘れればいいのか、わたしには分からない。生きていく訳。ぷるおんのため?
わたしはわたしのために生きる。わたしが強く生きるために。わたしがわたしの人生を生きるためにぷるおんもいる。
「たべた。」 ぷるおんがお茶碗を出してみせる。
「まだご飯粒がついてる。取って食べなさい。」
「とれない。」
「手を使わずに。お箸で取りなさい。」
「だってできないんだもん。」
「それじゃいつまで経ってもお箸うまく使えないでしょ。」
「いいもん。うまくなくても。」
「お箸がうまく使えないとみんなに笑われるよ。」
「みんなって?」
みんなって誰だろう。恥と外聞、世間体を重んじるわが同胞のこの町。生き恥を晒しみんなに笑われながら生きていく。後ろ指差される罪人。前科者。債務者。弱者。少数者。失業者。敗残者。醜い者たち。日陰に棲まう者たちは、社会から蓋をされ隠されて見えないようにされている。市長は「弱者。少数者(マイノリティ)。被害者。罪人。前科者の救済」を叫ぶ。救世主待望論が巷に満ちている。
 逃げ出したぷるおんを捕まえ着替えさせる。ぷるおんは手に持ったウサギのぬいぐるみを離そうとしない。わたしはウサギよりカメの方が好きなのに。わたしがウサギよりカメの方が好きなのを知っていて、わざとウサギを選んだのだ。嫌がるぷるおんのあごを捉え電動歯ブラシで生えそろった乳歯を磨いてやっていると、ドアを叩く音がする。返事をしてドアを開けると、ドアの枠に入りきらない体をした川田さんがパンチパーマの頭を下げて挨拶する。来るのはきっかりいつも8時40分だ。
来るたびにいつもこの人はどういう人なのだろうと思ってしまう。上下白のジャージで金鎖のネックレスと高そうな時計をつけている。下膨れの顔にパンチパーマでいかにも背中に和彫りの似合いそうなこの人は、一体どうしてどのような経緯で保育園児の送り迎えをするという巡り合わせになったのだろう。本当にこの人はある日突然、地色の本性を露わにしてぷるおんを人質にとり身代金を要求したり、幼児ポルノや人身売買、車の中でイタズラしたりしないと、誰が保証してくれるのか。その保育園を紹介してくれたのは静江さんだ。保育園の送り迎えのひとをチェンジと言おうものなら、それこそぷるおんを抱えて路頭に迷ってしまう。
「よろしくお願いします。」 川田さんに丁寧に頭を下げる。どうか誘拐したり売り飛ばしたりイタズラしたり、いけないことを教えたりしないでくださいと祈るしかない。
ぷるおんはウサギのぬいぐるみを持って、疑うことを知らない無垢の心で自分から川田さんに手を差し出す。その小さな手を川田さんが取る。わたしは手を繋いでドアから出ていくふたりを見送る。まるで「やさしいひと」のように見守る。ぷるおんが振り向いて手を振る。ウサギが揺れる。
 わたしは洗濯機を回しながらシンクに重ねた洗いものを済ませ、部屋を簡単に掃除する。ぷるおんの寝いてた布団から甘い残り香が鼻をつく。昨日の夜に読み聞かせたピーターパンの絵本が椅子の下に見つかる。ちゃんと本棚に収めたのに。ぷるおんは
「ネバーランドはどこにあるの?」と訊いた。
わたしはどこにもないとは言わない。伝説のポップスターMJが住んでいたとも言わない。
「夢の中にあるの。ぷるおんが眠ったら夢の中でピーターパンに会えるの。だからはやく寝ましょうね。」
「ティンカーベルも?」
「会えるわ。夢の中でね。」
わたしは目を閉じたぷるおんの顔を見ながら、自分がぷるおんくらいの頃の記憶を思い出そうとしてみる。記憶箱の引き出しをあれやこれや開けてみる。どこかの広い公園に父と母とピクニックに来ている。周りにたくさんひとがいて、わたしはまだおぼつかない足取りで隣りの知らない家族の方へ歩いていく。わたしはそこで広げられた弁当を見ている。知らない家族の人たちがわたしの気を引こうとして、変な顔をしたり手招きしたりしているのをほったらかして、わたしは弁当を食い入るように見ている。次に出てきたわたしは家の前の道の真ん中に走っていって、ぽんと立っている。ぽんと立っているわたしに向かって、近所に住むおばさんが自分の家の玄関から出てきて「あぶないよ」とか「こっちおいで」とか言っている。実際におばさんの言っている言葉の意味を理解はしていない。ただなんとなくそんなふうな顔の表情と身振り手振りから後付けした記憶だ。それにこんなのもある。
わたしは祖父のそばに座っている。わたしは座卓の上に置かれた、コップに浸かった祖父の外した入れ歯を見つめている。手を伸ばして取ろうとしたその時、向かいに座った母親に怖い顔をして睨まれ、取るのをやめる。母親が祖父に「そんなものをぱちぇこの前に置くな」と怒っている。この言葉も後付けだ。母親に絵本を読んでもらった記憶はない。
わたしがぷるおんに今やっていることはなんなのか。もしかするとそれは、ぷるおんのためではなくてわたし自身のためにやっている?ぷるおんはわたしのために絵本が読まれるのを聞いてあげているのであって、自分が聞きたいたい訳じゃない?子供に絵本を読み聞かせてあげている母親のわたしという自己肯定感を持たせるために。ぷるおんはわたしに付き合ってくれている?そういうことだとすると、わたしとぷるおんの関係。絵本の読み聞かせひとつに限らず、すべての行為。子育てのすべて。ぷるおんが生まれてきたことそのものがわたしの肯定感になる。ぷるおんはそこに参画し協力し共感し合う共犯者。という関係。依存でもあり持ちつ持たれつ相補する学び教え合う関係。
洗濯物を日の射さないベランダに干すと、わたしは三面鏡の前に座って髪を梳かし化粧する。決して濃くしない。濃くするのは夜の時のわたしだ。戸締り、電気、ガスの元栓をチェックしてドアの鍵を掛ける。3階の通路から吹き抜けの下の中庭(パテオ)を覗くと、正方形の庭の真ん中に止まってしまった噴水の円盤が見え、水盤に緑青色の苔が吹き黴が生えている。
 ここモンドールはロの字型に建てられた商業ビルで、1階から3階までテナントで埋まっている。正面1階は門から入って左側に美容室。左奥に宝石・時計店。右側に本屋が入っている。2階は左に中華料理店。右に電気店。真ん中奥に按摩・はり・灸の医院がある。3階は左に学習塾。右にそろばん教室。その奥つ城にわたしとぷるおんがひっそりと、息を殺して暮らしている。冷たくじめじめした暗いコンクリートの階段を1階まで下りて美容室に入る。
「おはようございます。」
「おはよう。」 静江さんはいつも笑って迎えてくれる。悲しいこと、苦しいこと、怒ったことが一度もないかのように、笑顔と笑い声がこの世界の秘密を解く鍵だとばかりに、コロコロした静江さんの笑い声が店内に絶えることがない。お客様への第一声。会話の端々に逃すことなく笑い声が入っていくと、まるでじわじわ広がる入浴剤のように室内が柑橘系の香りに包まれる。これがどのような魔法なのか、静江さんのの持って生まれた性分。それとも長年培った接客術なのか。周りを幸せにする得難い力だ。
ハローワークで紹介されて来たわたしはすぐに静江さんと仲良くなり、中華料理店の主人に口を利いてもらって皿洗いをさせてくれることになった。わたしができるだけ安い部屋を探していると知ると、モンドールのオーナーに掛け合って3階の空き部屋を使わせてもらえることに。おまけのように静江さんはぷるおんの保育園まで。静江さんは「気にしないで」と言うけれど。わたしはどのようにしてこの感謝の気持ちを伝え、恩に報いればよいのか分からない。静江さんには子供が3人いて、上の子はもう高校生だ。ただただ頭があがらない。
わたしは指先に思いを込めて丁寧に、相手の気持ちを考えて洗髪することを教えられる。料理だって編み物だって洗髪だって手間暇かけて、心を込めて作られたものは自ずと相手に伝わるのだと、静江さんに教えてもらう。このように理美容院が群雄割拠する戦国時代を生き残っていくには、手間暇を惜しまず心を込めるしかないのだと教えてもらう。わたしは額に汗を浮かべながら指先に思いを込めて洗髪する。わたしは自分が堪らなくみじめになってしまいそうになるのを懸命にこらえる。女ひとりが子供を抱えて生きていくためには、ひとの助けや恩を受けてやっていくしかないのだと、自分自身を納得させて仕事をする。
時としてわたしの中でなにかが爆発してぷるおんに当たる時、わたしは自分で自分を傷付けている。恩や情け。支援。援助。ひとから与えられることでしか生きていけない情けない自分に怒り、そこからどうしても逃れられない苦しみに絶望する。施しを受けてまで生きようとする自分はもっとも卑しい、恥ずかしい生き物じゃないのか。死んだ方がましなんじゃないかと夫を待って電車のホームでぷるおんの手をとって待っていた自分。あの時、わたしはなにを考えていたのだろう。電車のホームに立っているのにどこへも行けないぷるおんとわたし。夫を待っていても来ないと分かっているのにホームに立っているわたしとぷるおん。薬指の指輪を外せないわたし。
あの時、わたしとぷるおんは生と死の狭間に立ってなにを見ていたのだろう。わたしにはなにも見えなかった。なにひとつ。
 遅い昼食に出前で取ったラーメンを奥の部屋で食べて、わたしはまたお客の後ろに立って心を込めて洗髪する。お客との会話でちょくちょく出てくるのは、やっぱり市長がああ言ったこう言った、あんなことこんなことをしたという話ばかりだ。緑のマフィン帽被った市長は私財を投じて、ドヤ街のど真ん中で炊き出しをはじめたという。市長は言う。
「貧しくともなにもなくとも、心が豊かならひとは生きていける。」
心が豊かとはなんだろう。それはひととひとの交わりの中にしか生まれない温かさのようなものだろう。いまは傷つくことを怖れて自分の殻、世界観に閉じこもり、匿名性の闇の中から他人を容赦なく叩き潰す孤立無縁の断絶の時代だ。ひとと交わらずとも生きていかれる社会。自分の部屋の中ですべてが完結してしまう社会。そこにひとを思いやるやさしい温もり、手間暇かけた心を込めた生活というものはない。暴力と欲望のはびこるこの世界で、ひとのやさしさ、温もりだけが救いなのにひととうまく交わることのできないひと達は頭の中、夢の中、自分の世界の内側で逃避、浮遊する。それを心の豊かさとは言えない。
 3時に美容室での仕事を終えると、家に戻って洗濯物を取り込んで夕食の支度をしておく。今夜はクリームシチューにしよう。隠し味にバルサミコ酢を少し入れておくと味が引き立つ。ぷるおんには分からない。分からないけれど手間暇は惜しまない。これはわたしとぷるおんの共犯で、わたしの喜びはぷるおんの喜び。ぷるおんの喜びはわたしの喜びなのだから。洗濯物はしっかりと乾いている。深まる秋の花の匂いを肺いっぱいに吸い込んでみる。ぷるおんの服を畳んでいると、子供のころのわたしが向かいに座って洗濯物を畳む祖母の姿を見ている。今のわたしが祖母の位置にいる形だ。子供のわたしは祖母の手の動きを熱心に見ている。祖母は洗濯物を畳み終わると、割烹着のポケットから百円玉を取り出し、わたしに差し出す。わたしはその百円玉を引ったくるようにして取って玄関に駆け出す。青リンゴ味のちいさな粒々の入ったお菓子が大好きで、一個十円のそのお菓子を百円分全部使った。10袋分の青リンゴの粒々を両手いっぱいに山盛りにして、一度に口いっぱい頬張って食べてみた。すごくいっぱいでおいしくて幸せだったけれども、あとで舌が真緑になったまま色が取れず母親に叱られた。
男勝りに半ズボンなんか履いて、よく男の子たちに馬鹿にされ「おとこおんな」呼ばわりされて、泣きながら家に帰った。祖母の膝の上に顔を埋めて泣く。髪をやさしくなぜられながら眠るわたし。それはぷるおんだ。
 王(ワン)さんの所に行く前に買い物に行っておこう。3階から1階に下りて中庭(パテオ)を渡り、正面の門を潜ってモンドールを出る。向かいは小学校で右にワンブロック行って角を右に曲がるとスーパー竹藤がある。
安かったカボチャと20%引きのシールの貼られた豚肉。チーズ。オレンジジュースを買い物かごに入れる。レジに並んでいるとマルチーズを抱えたおじさんが
「寒い。寒い寒いぞ!」と叫びながらレジの前を行ったり来たりしている。他のお客、レジのパートさんは関わり合いになるまいとそっちを見ないようにしている。ぷるおんはめずらしいものを見つけるとじっと目を離さない。
わたしは「あんまりじろじろ見てはいけません。」と叱る。
ぷるおんは「どうして?」と訊く。
「見られてるひとが嫌な気持ちになるでしょう。」
小学4年の時のわたしの記憶が逆光のようにひらめく。貧しくて給食費が払えず、それを苦にして給食を食べずに残していた子。みんなが食べ終わって遊ぶために教室を出ていった後も、掃除の時間になって机と椅子を全部教室の後ろ側に下げた後も、ひとり席に残ってトレイの上の給食を見ていた子をクラスの一軍の女子が無視し始めて、それが無言の伝言ゲームのように伝染していったこと。あの時からわたしはひとを無視すること、見ないことでその存在を無いものにする、抹殺者になった。弱者。少数者。被害者。失業者。敗残者。負債者。前科者を見ないようにしいてるわたし。異質な者。違った考え方を持つ者。異端者。異教徒を排除、追放するわたし。
マルチーズを抱えたおじさんがスーパーの店長に店のバックヤードへと誘われていく。わたしは家に帰ると買ったものを冷蔵庫に収めて、2階の中華料理店の裏口から入る。
店主の王(ワン)さんは寡黙であまり喋らない。王さんの妻佐知子さんはわたしが来ると必ず、
「いらっしゃい。お皿溜まってるよ。」と言ってくれる。佐知子さんはわたしのために仕事を作ってくれているのだろう。王さんの息子の文延さんは中華鍋を振るのに忙しくていつも挨拶しそびれてしまう。店の飾り棚には招き猫。福助。恵比須講の熊手が油まみれになって飾ってある。皿洗いをしているとわたしの思考は澄んでくる。今までくよくよと考えていたことが綺麗さっぱり拭い去られて、あっという間に時間が経つ。わたしは皿を割ったことがない。綺麗になったお皿は無機質でよそよそしい感じで、また使用されるお店のものだけれども、今この時、わたしの手の中にあるこのお皿はわたしのお皿で、そのあと洗浄機にかけられて乾燥して出てくるお皿はすでにお店のものだ。運ばれている時は店主の奥さんのお皿。料理が載せられテーブルの上にある時はお客のお皿。わたしは手の中にある数秒間のお皿を愛おしむ。
何十とあるお皿がわたしの手を経て綺麗になっていくのが、お皿を再生再誕させているようで、わたしは心がウキウキしてくる。手が荒れるのも構わずずっと続けていたくなる。そんな時、わたしはぷるおんのことをすっかり忘れていて、慌ててそのことに気づいて後ろめたくなる。ちゃんとお家に帰ったのか。川田さんに誘拐されたりイタズラされたりしなかったか。そんなことを慌てて考えたりする。
ひとを信じられなくなったら町を出ていくしかない。町で暮らしたければ隣人を信じるしかない。罪を犯してはいけない。ひとがひとと寄り合い社会を作って生きていくための掟だ。守られなければ荒野へと追放され、自分ひとりの力で衣食住を賄って生きなければいけない。
8時を過ぎると手が空いてきて、佐知子さんに賄いを食べていくように言われる。いつも断るけれど結局食べていくことになって。賄いは文延さんの作った八宝菜とエビチリのかかったご飯で、「いただきます。」
 「お疲れ様でした。」と言って店を出て階段を上がる。家の鍵を開けようとすると、中から開いてぷるおんが飛びついてくる。さびしさ。退屈。甘え。イラ立ち。安心。それをもう全身でぶつけられてくるわたしはよろめく。じっと堪えてドアを閉め部屋の中に入る。すぐにお風呂に水を張りお湯が沸くまで、わたしはぷるおんの食べたお皿を洗い、お米を研いで炊飯器にセットする。
ずっとまとわりついてくるぷるおんに歯磨きをするように命じる。なかなか離れようとしないぷるおんの、乾いた汗と混じったなんとも言えない甘い髪の匂いを嗅ぐ。髪のつむじが蛍光灯の下で光っている。ウサギのぬいぐるみをあやしているぷるおんに
「はやくしなさい!」と怒る。こんなふうに子供を育てているわたしは母親失格か。大人になったときに覚えているのは、親のいない暗いちいさな部屋でぬいぐるみ遊びをしている記憶だけ。与えられたのなら受け入れようと言われて、はじめて気づいたわたしの生だ。ぷるおんの服を脱がせ自分も服を脱ぐ。ぷるおんの黒くて繊細で溶けるような髪を洗ってやりながら、わたしは鏡に映った自分の顔を見る。そこに羅生門の楼上で若い女の死体から髪を引き抜いている老婆がいる。取り憑かれた生霊を振り払うようにヘチマで強く赤くなるまで自分の肌を擦る。手に盛られた泡を吹いて飛ばすぷるおんの体を抱いて浴槽に浸かると、ぷるおんは今日保育園で歌った歌を何度も歌ってわたしに聴かせてくれる。
ぷるおんのうなじにできた赤い吹き出物を見ている。お湯に浮かぶアヒルと花の形をしたオモチャがくるくるぷるおんの周りを巡る。どこまでぷるおんを見つめていれば守ることができるのだろう。わたしにできることは準備だけ。花を咲かせるのはぷるおんだ。そして失望はしても絶望はするまい。
もっと強くなりたい。後ろ指差す世間に対して一歩もあとへ退かない強い自分。現実から目を逸らさず受け入れる、強い自分にわたしはなりたい。
ぷるおん、母さんは不安だよ。逃げ出したい。ニュースの母親のように子供を洗濯機の中に放り込んでそのまま逃げちゃえば、それでわたしは社会のしがらみ、世間の掟から解放されて欲しかった自由を手にして幸福になれるのか。ぷるおん、母さんはもっと強くなりたい。ぷるおんがわたしを強くしてくれる。ぷるおんがわたしと一緒にいる間は、ぷるおんがわたしの鏡となり、わたしがぷるおんの鏡だ。
 お風呂から上がると、ぷるおんに自分で拭くようにバスタオルを渡す。ぷるおんは拭いてほしくて地団駄を踏む。もう眠たいのだろう、瞼が半分閉じている。今夜は絵本を読まなくても済みそうだ。パジャマに着替えるのを手伝ってやり、布団を押し入れから出して寝かせる。わたしはそばに頬杖ついて寝そべり、掛け布団の上からぷるおんの体を叩いてリズムをとりながら、子守唄を口ずさむ。こんな夜に溢れ出すのは未知なる憧憬。激しい、狂おしいまでの欲望の疼き。渇き。眠ったぷるおんを確かめると、わたしの夜が始まる。
わたしは着ていたTシャツ、スウェット、下着を脱ぎ捨て全裸になると、ストッキングを履き引き出しの奥からガーターベルトを取り出して止める。クローゼットからラメ入りのミニのドレスを選ぶ。三面鏡に向かって髪を梳かし目をこじ開けて青磁色のカラコンを入れる。化粧水。仄かな照りと輝きの魅き立つファウンデーション。アイシャドウはシャンパンゴールド。アイラインを濃い目に入れてつけまつげ。眉は細く濃くしなやかに。唇に瑞々しいシャイングロスを。ウォータースプレーで髪にボリュームを。イミテーションゴールドのイヤリングと揃いのブレスレット。模造ダイヤを嵌め込んだシルバーのネックレス。ポイズンたっぷりのパフュームを首筋両手首足首に。
わたしは一匹の女豹と化して迷宮の中心に向かう。
ファッション雑誌の付録で見つけたハンドバックを片手に黒のレザーコートをはおって、眠るぷるおんを一瞥する。母親から町の中心の娼婦になるわたしは、ぷるおんのために生きるのではない。なによりも自分のために。強く生きるために。わたしは女になる。もっと力強い生活をこの手に!
 ピンクローズのピンヒールで階段を下りる。コンクリートに反響するヒール音がわたしの肌をピリピリと刺激し快い。中庭(パテオ)を巨神兵のように闊歩しモンドールの門を出る。迷わず北に向かって歩いていくと、シャッターを閉めた紙屋百貨店が見えてくる。町の空気は真空かと思うくらいにひどく澄んでいて、わたしの火照った肌には荒野の砂嵐のように突き刺さる。ミニのドレスから羚羊のように伸びる二本の脚は、アスファルトにピンヒールを突き立てて壁という壁、面という面に致命的なまでの反響音を轟かせる。
この音を聴きつけた古強者。この辺りをシマにしている犬のお先棒担ぎ達が鋭い鼻をクンクン言わせて嗅ぎつけ頭を出し、わたしの後から後から尾いてくる。わたしはハンドバックを振り回して彼等を寄せ付けることなく歓楽街を通り抜ける。ストリップ劇場の向かいにある娼館に駆け込む。館主の上条さんはとても古風な風貌をしている。袷絣(あわせがすり)に兵児帯締めたお稚児さんのような恰好で、綺麗に切り揃えた白い顎鬚。おかっぱ頭にカンカン帽を被っている。大正・昭和初期のモダンでハイカラな藤田嗣治のようだ。朱色の格子越しにわたしを認めると、上条さんは゛一球入魂゛と書かれた扇子をひと振りしてくれる。
わたしが初めて来た時からそこはわたしの部屋。「イランイラン」の部屋に入る。リターントゥフォレバー(永劫回帰)の音楽とイランイランの香りがクロスオーバーして時代は70年代。ウィリアムモリスの壁紙。虎斑の敷物。天蓋付きキングサイズベッドが紗を垂らして揺れる。わたしはここで男たちを待つ。他にも男たちを待つ女たちが各々の部屋に8人ほどいる。どの女も部屋もひと癖もふた癖もある強者揃いだ。元タクシードライバーの上条さんは一瞥で会員。常連。お得意。一見。要注意人物。客の質。手持ちの所持金。年収。金離れの良し悪し。経験人数。妻帯者か独身か。素人と玄人の比率。童貞喪失年齢などを見抜き、相手となる女を塩梅する。
もちろん客が予約したり好みの子を指名したりもできるが、原理原則として上条さんに一切の選別。配慮。決定が一任されるのがこの娼館の鉄則。暗黙の了解となっている。ひと晩ひとりの女がもてなす男の人数は3人までと決まっている。女が同意すればひと晩その女と共に過ごすこともできるが、次の日も一緒に過ごしたいと指名しても、同じ女の部屋に案内されることはまずない。そうなっても文句や苦情を言ってはならない。もし暴力に訴えるとか、半グレ・ヤクザ・ましてや警察という脅し文句が隻言隻句でも聞かれようものなら、すぐさま屈強な褌姿の雲助が数人現れビルの裏手へと排除される。料金は初回につき特別価格の10%引き。
ペーパームーン事業に失敗し有り金すべて持って蒸発した夫を待ちながら、わたしはぷるおんの手を引いて駅の待合室に座っていた。電車を待っているのではなくて、夫が来るのを待っていた。毎朝夫が乗って仕事先に向かっていた電車の来る駅のホームに、わたしはぷるおんの手を引いて立った。駅舎の屋根の下に巣を作ったカラスが通り過ぎて、駅のホームの発車ベルが鳴り響く。電車が入って来るたびにわたしはぷるおんの手を引いてホームのそばまで行き、夫の来るのを待っていた。一日中そんなことを繰り返していたわたしは、待合室で上条さんに声を掛けられた。ぷるおんの二の腕に青黒い痣ができている。百貨店のオモチャ売り場で
「買って買って買って」とリカちゃん人形を手離さなかったぷるおんの二の腕を、あらん限りの力で掴み引きずる。わたしは自分が怖ろしくなる。このままいけば、わたしはぷるおんを殺す。
わたしは死のうと思う。どこにも行けない。なにもできない。みんながわたしを無視して通り過ぎる。無視した者は無視される。無視して存在しないことにして、抹殺者になった小学4年のあの時から、わたしは弱者。少数者(マイノリティ)。被害者。罪人。前科者。異常者。異端者を抹殺してきた。今度はわたしが無視され、抹殺される番だ。わたしはぷるおんの手を引いてホームに向かう。上条さんは袷絣に兵児帯締めて、綺麗に切り揃えた白い顎鬚、おかっぱ頭にカンカン帽を被った恰好をしていた。上条さんは
「与えられたのなら受け入れましょう。」と言った。
 今夜、わたしの「イランイラン」の部屋に来たのは一見の客で、三つ揃いのツイードヘリンボーンスーツ。蛇の目のネクタイ。金のペガサスの把手のついた杖を持つ男。中折れ帽ボルサリーノを取ると剃り上げたスキンヘッドの下の斜視の目がわたしを捉えて離さない。その男は体操教師をしていると言う。
「体育教師じゃございませんの?」 わたしはバタフライ型の仮面をつけていて、組んだ足の腓(こむら)から腿裏にかけて伸びるストッキングの閉じ線(シーム)を見せつけるといった格好で訊いてみる。男は体操教師だと答える。斜視の目がわたしの緑青吹く青磁の目を捉えて離そうとしない。ラジオ体操を教えているのだと言う。
「あのレディオ体操ですの?」 わたしは奇妙なことを聞くものだといった体で小首をかしげ、気取った言い方で男を茶化そうとする。そうだと男は言う。わたしの冷やかしに男はちっとも乗ろうとせず、わたしの緑青吹く青磁の目をじっと見つめて片時も逸らさず暗示を掛けようとする。
わたしはその目から逃れようとして逃れられず、逸らそうとして逸らすことができずについついその斜視の目に魅入ってしまう。風の吹き抜けるラベンダー畑にその男とわたしが裸で立っている。紫の色した畑の上を靴底の穢ない客人(まろうど)たちが夜の明かりを頼りに逃げて来る。群集の見上げていた花火が泳ぎ続ける沖縄人(うみんちゅ)に変わる時、男とわたしは豊作の踊りを踊る。
男はわたしに体操者になって欲しいと言う。「イランイラン」の部屋の住人のわたしは
「はい。」と答える。わたしはガーターベルトを外し天蓋付きキングサイズベッドの上で仰向けに転がり、広げた両足の膝裏をひじの裏で抱え上げるという、あられもない恰好をする。すかさず男は内ポケットからマレーの写真銃、一枚の乾板に12コマ撮影できるという写真銃を取り出して、更紗の向こうから激写する。わたしは股の間から頭をもたげ顔を覗かせて、その写真銃に撃たれる。あとの記憶がない。
「明日午後1時 3番線ホーム 石行き特急列車。」
こう書き記されたメモだけがベッドサイドボードの上に残されている。

      車上

そ わたしはぷるおんの手を取って3番線ホームに立っている。夫と駆け落ちするために家を出た時と同じキャリーバッグが足元にある。ボストンバッグを肩に掛けている。死ぬためにではなくて生きるために。あのひとは来るのか。来ないのか。また同じことを繰り返している。裏切者のわたし。無視して存在を無いものにした抹殺者。恩を仇で返す人非人。このような没義道なことをしてまであの男について行こうとするわたしは一体なんなのか。
ぷるおんはいつものように行き交う人をものめずらしそうに見ている。もしあの男が来なかったら。踏み出された足。投げ出されたキャリーバッグ。脱出しようとしたぷるおんとわたし。今さらどこにも行けない戻れないふたり。ぷるおんの手を引いて今日まで。夫がいなくなってから今日まで。駆け落ちして夫と暮らし始めてから今日まで。わたしはどうしてここにいるんだろう。
わたしはぷるおんの手を引いて3番線ホームに立っている。わたしの肩に手が乗せられる。見なくても分かる。ぷるおんが宇宙人でも見るように男を見上げている。このひとは来てくれた。あのひとは来てくれなかった。そして任意の点であるわたしは動き出す。どこへ。どこへでも。特急列車が入って来る。力強い風がわたしのベージュのハーフコートを翻す。思わずぷるおんの手をぎゅっと強く握ってオモチャ売り場を思い出す。ぷるおんを殺してしまうこともできるとわたしが気づいたその時、わたしは死のうと思った。
あの時の自分。そのわたしが今ここに立っている。生きるために。
どこへ行こうと何をしようとわたしは、自分の子を殺してしまうこともできると、そこまで堕ちることもできる女なのだと知った時、わたしの中にひとつの希望が芽生えた。あの瞬間の絶望の中に。わたしは少し強くなったのかもしれない。わたしはぷるおんの手を離さない。ぷるおんは新しいことにわくわくしている。わたしもそれに続こう。それに乗っかって行こう。どこへ行こうと何をしようと怖くない。ぷるおんがいれば何も怖くない。
 男の後に従って一等のコンパートメントに入ると、車窓の外の風景が赤の他人のハプニング劇のように目に映る。なにかの事件で号外が出たらしく、新聞を配る少年に駅にいた人々が群がっている。なんの事件なのか列車の中からではよく分からない。昨日と同じ三つ揃いのツイードヘリンボーンスーツに蛇の目のネクタイで金のペガサスの把手の杖を持つ男は、少しの間席を外していたあと号外を持って戻って来る。しばらくそれに目を通していた後わたしにも見せてくれる。わたしはぷるおんを椅子に座らせ、ボストンバッグの中からミルキーのあめ玉を出してやる。ぷるおんはお気に入りのウサギのぬいぐるみを膝の上に抱えてあめ玉を口に含み、ミルキーの包み紙を丁寧に広げてしげしげと見つめはじめる。
号外の記事に目を落とすと、「連続殺人犯、市外へ逃亡か」という大見出しが載っている。一昨日再開発地区で遺棄されているのが発見された遺体。昨夜月読神社の社殿に捨て置かれた首なし死体。今日未明銅像の掲げる両手に挟まれていた首と続いて、午前11時頃月見荘203号室の住人から異臭がするという通報。同じ月見荘に住む102号室の住人が、天井から液体が漏れてくるという苦情がアパートを管理する不動産屋にあったため、警察が月見荘202号室を捜索したところ、風呂場に血だるまになった兄弟と思われる二人が凄惨な遺体となって発見された。二人は2年ほど前から月見荘202号室に住んでいる住人で、昨夜10時頃まで声がしていたという。
事情を聴くため当局が206号室(おかしなことに201号室であるはずのその部屋は、ドアのプレートに206と記されていた)を訪ねたところ、不在でほかのアパートの住人が昨夜、部屋の明かりが点いていたのを確認している。不審に思った当局が捜索したところ、慌てて立ち去った形跡が見られたという。当局は206号室の住人が事件になんらかの関わりがあったとみて足取りを追っている、というものだった。
わたしは自分の住む町、それもごく身近で起こった怖ろしい事件にも関わらず、それがやはりハプニング劇めいた、架空の絵空事のような気がして興味が持てなかった。ぷるおんはきれいに延ばしたミルキーの包み紙を今度は小さく折ろうとして、なかなかうまく折れなくて口からミルク味のよだれが垂れている。わたしはハンカチを取り出しぷるおんの口を拭いてやる。わたしの向かいに座った男は、あなたのお名前を訊いていませんでしたねと、ぷるおんを墜落したUFO(未確認飛行物体)に乗っていた宇宙人。ふたりのFBI捜査官によって捕えられ、ふたりの間に挟まれて両手をつないでいるボズウェルに墜落した宇宙人でも見るような目でぷるおんを見ながらわたしに話しかける。
「楡ぱちぇこです。」
それはいい名前だと斜視の男は体の前に突いた杖の、金のペガサスの把手に置いた両手にそっと唇を寄せて言う。そしてこの子がぷるおんだねと、こんなことを言う。男はどこでぷるおんの名前を知ったのか。知らず知らずわたしが口にしていた娘の名前を聞き逃すことなく、捉えて離さなかったのか。
そんなことはわたしにとって大した問題じゃなかった。楡は夫の姓でわたしの旧姓は昼顔だ。男がどうして娘の名前を知っていたのかということより、わたしの頭の中を占めていたのは、彼が夫のことを知っているという確信だった。こんな確信がどこから来るのか。斜視の男は夫と同じ匂いがした。
わたしは夫のことを訊こうか迷ったけれども、あんまり唐突でもし訊いて「知らない」と答えられたら、わたしは恥かしくなるだけだと思ったから、
「あなたのお名前をまだ伺っておりません。」 とだけ言う。
男はジェフ・ギルドと答える。どこの国のひとなのかよく分からない。惹き込まれるような目をしている。どこにいても違和感はないけれど、不思議と浮き上がってみえる男。ジェフ・ギルドは夫と同じ匂いがする。その声に甘ったるさは一切なく、鋭利なメスの刃の切っ先で五臓六腑をいじくる外科医的な容赦なさがある。わたし男の取り出した写真銃を思い出して身震いする。
生理学者エティエンヌ=ジュール・マレーが飛行中の鳥を撮影するため発明したと言われる写真銃は、一枚の乾板に12コマ撮影でき13コマ目に被写体の魂が綴じ込まれる。あの時、とっさに魂の銃だと直感したわたしは顔を隠した。容疑者が服を被って顔を隠そうとするのは、写真を撮られることが私刑を意味しているからだ。あの銃は命取りの実弾が込められているのではない。魂抜きの光化学スモッグが綴じ込まれる銃だ。あれで撮られたら最期、魂を失い肉塊と化す。マレーがそれを発明した時、多くの被写体が魂を失い幽鬼のように町をさ迷い、残された一縷の思考の残り香を嗅ぎえた者は自ら命を絶った。あまりに危険なその銃は製造が禁止され、世紀末の時代の闇に葬り去られたと思われていたのに、この男はそれを持っている。
この禍々しい凶器持つ男とわたしはいる。ぷるおんもいる。これからわたしはどこへ行くのか。ぷるおんを連れてどこへ。車窓のすべてが砂漠と淡い空の色でいっぱいになった大地に敷設された線路の上を、周回軌道を外れた衛星のように列車が走る。勢いを失って落下する恒星が今わの際の輝きを放って瞳を閉じた時、無窮の大地に死の舞踏の音が轟く。
眠ってしまったぷるおんを壁から引き出した寝台に入れ、毛布を掛けてやる。ほつれた髪を揃えてやり、和毛の生えた白桃のような頬に触れていると、眠る夫の横顔にそっと手を添えるわたしがいる。夫の顔が醜く歪み腐臭を放って、枕に乗った髑髏の頬を撫でている。空疎な目をわたしに向けてくる夫が煙のように消え失せる。
 寝息を立てるぷるおんを残して、斜視の男ジェフ・ギルドに誘われ食堂車に向かう。キャビアの乗った南瓜のスープ。ムール貝とあさりのシチリア風料理。仔牛肉のステーキ。サーモンとオクラのカルパッチョ。モッツァレラとグレープフルーツのシャーベット。ボヘミア産のメルネクワインを傾けながら、ジェフ・ギルドはラジオ体操に覚醒したきっかけを教えてくれる。
ラジオ体操教師ジェフ・ギルドは子供の頃から世界は見えるものだけでできているのではない、見えないものの方がずっと大きく強く激しく、偉大で怖ろしいものだと気付いていたと言う。霊感が強くて幽霊が見えていた訳ではない。とにかくそれは厳然たる事実、動かすことのできない絶対の現実として肌でつねに感じられていたのだと。えてして人はこうだと勝手に自分で思い込んで、違うと知って幻滅する。これはすべて自分で自分を呪縛し洗脳し壁を作る、愚かで無知な人間の戯れ。自分の可能性を狭め歪め作り出した幻影。悪魔と踊るサテュロス騒ぎ。バッカス踊りだ。
わたしは真理を知る旅に出た。物事やひとを判断するにはまず、知ること。真実を知ることから始めねばならない。この世界の真の姿。ありのままの形。現実そのものを知った時、わたしは好悪の情。先入観。特定の価値観。観念。思想。状況に捉われることがなくなり、すべての物事、ひとを愛することができるようになるだろう。この愛は無限である。無尽蔵である。あるがままに知られた世界は大海に浮かぶ花である。咲き匂う花となって宙に舞うわたしは世界の王である。
わたしは旅に出た。世界の姿を知るために。トランスヒマラヤをラクダに乗って行きネパール側に出たところで一服した。旅を続けようと立ち上がろうとするが一指も動かない。これはどうしたことかとわたしは必死で体を動かそうと力を込めたがまばたきひとつ出来ない。わたしの両脇、額から頭頂部から、股から手のひら足の裏、全身から汗が噴き出しわたしはプルプルと震えだした。ヤクの毛皮とゴブラン織りのマントを羽織っていたからちっとも寒くはなかったのだが。わたしは瘧に罹ったように震え続けとうとう幻覚を見るようになった。アメジストの鉱石でできた谷間を行く象がいた。象は額からねっとりとした蜜、これは象が発情した時に出る強烈な匂いを放つフェロモンなのだが、そのねっとりとした蜜を額から滴らせて、象は谷間を一気に駆け下っていた。わたしはアメジストの陰で象が下って来るのを見ており、ひとりの男、これはわたしの父親だという気がしていたのだが、その男が背丈の二倍はある大弓を引き絞って鏑矢を、狂乱して駆け下って来る象の額めがけて狙い定めるのに気づいた。わたしはアメジストの紫煙る谷間の陰でそれをまんじりと凝視している。目を離すことができない。
とうとう時間が引き延ばされるように大弓の矢が男の手から離れていくのを、わたしは今か今かと待っていて、その瞬間が訪れるのを見たか見ないかで現実に引き戻される。その時、天空に浮かぶヒマラヤからラジオ体操第一のピアノ伴奏が奏でられ始めるのをわたしは聞いた。わたしの体の呪縛が解けてわたしはラジオ体操を行ない始める。こうしてわたしはラジオ体操教師になった。すべての動きの基本はラジオ体操の中に含まれている。世界を内包するこの体操は神と繋がる普遍の糸だ。ピアノ伴奏を聞いた時、わたしの体は狂喜した。世界と一つ、宇宙と無二の体になったこの肉体は、わたしの友となった。真理の入口に立った感じがしてわたしは笑った。
それ以来、わたしはラジオ体操を教え広めるために今日まで生きてきた。世界の姿・形を知るために始めたわたしの旅は、ラジオ体操を通して全世界の人々を真理の入口に導く洗礼者ヨハネとしてその生涯を終えるだろう。
きみはサロメの役を演じることになる。ヨハネの首を所望する大事な役だ。くれぐれもわたしに情けをかけたりして舞台を台無しにしないでほしい。これだけは約束してくれ。決して目撃してはならないと。
 わたしは斜視の男ジェフ・ギルドの話を真面目に事実として受け取ってよいのか、架空の物珍しいお伽噺として聞けばよいのか分からなかった。天空のヒマラヤからラジオ体操の音楽が聞こえてきたなんて、ちょっと想像してみただけでも思わず吹き出してしまう。あまりに突拍子もない現実離れした話だということは、ちょっと考えてみなくても分かる。しかしジェフ・ギルドがテーブルの上に両肘を突き、指を突き合わせて作ったドームに唇を寄せて話す口調は、極めて真面目で真剣であり、笑ってはいけなかった。
そして最後に言われた言葉。「決して目撃してはいけない。」
これはなにを意味しているのか。わたしのことは何もかもお見通しだということか。多くのひとがわたしと同じように社会の中、世間で目立たないよう角が立たないように調子を合わせ、空気を読んで生きている。変わった者。異質者。弱者。敗残者。被害者。前科者。少数者(マイノリティー)を無視することでそれらを打ち、罰し、抹殺してきた冷酷非情なヒットマン。狙撃者。懲罰人なのだということを知らない。
わたしは体操教師の言葉にうなずく。コンパートメントに戻ると、体操教師は後ろからわたしを抱きすくめる。わたしは何も思わないようにする。しかしわたしは思わずにはいられない。見ることを禁じられ体を弄ばれてもわたしの思考。記憶。想像だけは奪えない。そして蛇との契約が成立する。

                           づつく






 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?