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私たちが事実婚を選んだ理由

そもそも私と夫がなぜ事実婚(内縁関係)なのか、婚姻届を出していないのかについては、これまで書いて来なかった。結婚してからこのかた「なぜですか?」と訊かれることが何度もあったので、ここでも少し書いておくことにする。ほぼ個人的な話ばかりなので、ほかの人の参考になることは少ないだろうが、人にはいろんな事情があるのだなあと想像力を広げる一助になれば幸い。なお、これは私(妻)側の視点からの記述であって、夫が細かい部分では私と異なる見方をしているかもしれないとは注記しておきたい。

私と夫が事実婚を選んだ最大の理由は、互いに姓(氏)を変えたくないからである。姓を変えずに法律婚できるようになれば(すなわち、選択的夫婦別姓制度ができれば)、おそらくきっと法律婚するだろう。

では、なぜ姓を変えたくないのか。ひとつは、どちらが姓を変えるにしてもたいへんなコストがかかるから、もうひとつは、互いに自分の姓に愛着があるからである。

われわれは仕事柄、姓を変えると大変に面倒なことになる。なぜなら、私と夫はこれまで10年以上、研究者として今の氏名で活動してきたからだ。これまでの研究業績はすべて、今の氏名で世に出されている。書店に並んでいる本も、学術誌に載っている論文も、すべて今の氏名だ。婚姻届を出すと、戸籍や公的証明書に記載されている氏名と、これまでの研究業績の氏名とのあいだに齟齬が生じる。

もちろん、同じような状況で婚姻届を出し、氏を変更して研究活動を続けている研究者がたくさんおられることは百も承知している。研究者としての活動は旧姓で続けているが、履歴書や公的証明書は戸籍名、という研究者はあまたいる。しかし、そういった方々がたくさんおられるからといって、諸手続きが面倒でない、というわけではない。人事にあたって戸籍名と履歴書・業績書の名前が異なっていることを逐一確認したり、大学に「旧姓使用届」を提出したり、といった書類仕事も生じる。

じっさい、ひとによっては、結婚を機に研究上で使用する名前が変わったことによって、業績をトレースしてもらいづらくなったという人もいるだろうと思う(ちなみに、20世紀後半に活躍した、とある日本人女性科学者についての歴史研究が、結婚を境に姓が変更されていたせいでたいへん困難なものとなっていた……という実例もある。この話は機会があればまた今度)。

私にとっては、海外で調査したり海外に招聘されたときに面倒が生じる可能性がある、というのが何より大きかった。外国に入国するとき、イミグレーションではしばしば、お前は何者で、何のためにこの国に来たのか、と尋ねられる。自分は研究者で、これまでかくかくしかじかの研究をしてきて、これからこの国ではこういうことをするのだ、と説明するのだが、その説明にあたって証拠を求められたときに、これまでの業績に使ってきた名前とパスポートの名前が食い違っていると、これはたいへん面倒なことになる。まずは「日本では法律婚をすると法律の定めによってfamily nameをどちらかが必ず変更せねばならないのでこのようなことになっているのです」と現地語で説明することになるのだろうが、それで分かってもらえるとは限らないのが辛いところ。

現に、私が2016年から在外研究で米国に1年間滞在していたとき、「マイは法律婚していないというが、なぜなのか?」と友人や所属機関の研究者から何度も尋ねられた。そのたびごとに私は上のような説明をしたのだが、すんなりわかってもらえた試しがなかった。なぜなら、結婚にあたって「姓を変えない」ことを選べない国は世界中にほとんど存在しないからである。「法律婚しても元の名前をキープすればいいだけでしょう?」(できないんです)「なんでキープできないの?」(日本の法律の定めでそうなっているから)「そうだ、ミドルネームに旧姓を入れればいいのでは?」(日本の名前にミドルネームはないのです)「2つの姓をくっつけて新しい姓を作ればいいのでは?」(それもできません、たしか民法750条関連)……毎度毎度、ものすごい時間をかけた問答になったものだ。これを現地語でやらなければならない。私はだいたい英米圏で研究しているので英語で済んだけれども(夫は東アジア・東南アジアの国に行くので、英語では済まないだろう。健闘を祈る)。

米国のイミグレーションでそんなこと訊かれる?と思う人もいるだろうと思うが、米国のイミグレーションは場合によっては本当に面倒で、私は今までに「研究者? 本当に? なら、今の研究プロジェクトについて詳しく説明しなさい」と言われて、5分以上にわたって自分の研究について語る羽目になったことすらあるほどだ。そうやってイミグレーションでトラブったとき、もしも持参しているパスポートとこれまでの業績表の名前が違ったりすれば、ややこしいことになりかねない。不要なトラブルの種は蒔きたくない。なので、姓を変えたくないのである。

もうひとつ、私と夫はいまの姓にそれぞれ愛着というか、それなりのこだわりを持っている。まず夫は全国におよそ200~300人しかいないような珍しい姓の持ち主だし、夫が自分の姓を変えたくないと考える気持ちはよくわかる。一方、私の場合は2人姉妹の長女として生まれたことが効いているのだろうと思う。私の実家は、江戸時代に四国から大阪にわたってきて廻船問屋を営んできた家の「東の分家」で、祖父の代までは醤油屋を営んでいた。分家してから私で確か7代目だったか。私が10歳のときに他界した曾祖母は4代目にあたる総領娘で、同居の曾孫を本当に可愛がってくれた。私は曾祖母から「あんたもわてと同じで、養子娘(婿養子をもらった跡継ぎ娘)になるんやで」と幼い頃から聞かされて育った。それを完全に真に受けていたわけではないけれども、私は幼い頃から、結婚したからといって女性が自分の姓を変えなければならないとは、全く思っていなかった。だって、現に家で一番「えらい」人だったひいおばあちゃんは、生まれたときから90歳で死ぬまでずっと同じ姓だったわけだし(さいきん昔の戸籍を見たら、曾祖母の代の戸籍筆頭者は曾祖母その人だった。彼女は制度的にも「家長」で、いつも上座に座っていたものだ)。そんなわけで、私は自分の姓が変わる想像をあまりせずに育った。私と夫は、それぞれ自分の姓にアイデンティティを見出していて、だからこそ互いに姓を変えたくないと考えてきたのだろうと思う。

運転免許証や銀行口座、クレジットカードなどの名義変更が面倒だ、というのは、いまさら言うまでもないことだ。互いに独身で、独立してやってきた時間が長いものだから、いったん変えようとなると変えるべきものが山のように生じるだろう。その膨大な作業量、想像するだけで尻込みしてしまう。

こういった理由で、私と夫は事実婚を選び、そのまま結婚5年目をめでたく迎えた。事実婚のまま、可愛い子どもも授かった。大学教員のシニアの先輩方の話を聞くと、家などの共同財産があり、かつ相続が生じたときには面倒なことも起きるらしい。そうなる前に法律が改正されて、選択的夫婦別姓制度ができれば楽なのだが。これからの流れを注視するほかない。

#事実婚 #選択的夫婦別姓 #夫婦別姓

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