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語学者という生き方:関口存男

私が関口存男という名前を聞いたのは大学に入って二年ほど経った夏休みごろ、この夏はドイツ語を一丁仕上げてやろうと思い立って『関口・初級ドイツ語講座』を手に取ったときであった。日本のドイツ語学習者で彼の名前を知らない者は少ない。この人はまさに語学者と呼ばるるに相応しい人物だと思われる。

そんな関口の人物像を詳しく伝えている本に『関口存男の生涯と業績』(三修社, 1959年)がある。彼に関わった者たち——身内や弟子や同僚——が文章をかき集めて作られた分厚い本である(古いものなのでなかなか入手しづらかった。わざわざ遠くの図書館まで行かねばならぬほどだった)。その中に関口自身が自らのドイツ語学習を振り返って勉強法について述べている箇所がある。「くそ勉強に就て」と題されているエッセイだ。

ただモウとにかく机にかじりついて、遮二無二、馬車馬のように、人に笑われようが、頭の好い人たちにどう批判されようが、そんな事には一切お構いなく、めくら滅法に、とくにかく勉強勉強また勉強、…… (164頁)

昨今よく言われるような「効率の良さ」とは決して相容れない態度、昨今批判されがちな精神論のみで形成されているような勉強法。語学に精を出す人間なら、しかし、この「くそ勉強」に対してはエールを送りたくなるのではないでしょうか。

「語学をやるのにそこまでして苦労するの?」と眉を顰める方もいるでしょう。「然り」、と関口は言います。

本当に語学を物にしようと思つたら、或種の悲壮な決心を固めなくつちやあ到底駄目ですね。まづ友達と絶好する、その次にはかかあの横つ面を張り飛ばす、その次には書斎の扉に鍵をかける。(156頁)

これはもう狂人の態度と言わざるを得ない!語学をやるからと言って友人関係を途絶えて母親を殴るというのは。しかし、このようなムサ苦しいと言うか痛々しさのようなものは語学者にはつきものでありましょう。

狭いアパートにひっそりと生きている私などは、「書斎?書斎なんて御立派なものうちにはないよ」とブツクサ文句の一つも言いたくなるけれども、すかさず彼はこう言い足す。

「書斎の無い人は、心の扉に鍵を掛ける。その方が徹底します」

「心の扉に鍵を掛ける」——これはなにより実行可能性が高いアドバイスではないでしょうか。むしろ、彼は家族をぶん殴ることを勧めているのではなく、それほどにまで徹底した心持ちでいること、そうでなければ語学というのは物にならないことを示しているのだ、と言えましょう。

ファッショナブルから程遠い、時代に逆行するような、あまりにも洗練されていない、泥臭さが匂い立つような彼の文章に、一語学者たらんと欲する者として、驚嘆と畏敬の念を抱かざるを得ない。

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