審査員の言葉 イングリット・フリッターさん(リーズ国際ピアノコンクール2024)[8]
アルゼンチン生まれ、ユンディが優勝した2000年のショパン国際ピアノコンクールで第2位となってキャリアをスタートさせた、イングリット・フリッターさん。若い音楽家たちや牛田さんに対して、言葉を選びながら真摯に語ってくれました。
最初に話しかけたときは、誰かの電話待ちかなにかでお取り込み中だったのですが、あとからわざわざ声をかけてコメントをくださいました。やさしい。伝えるべきことがあるとお考えだったのでしょう。
最近あまり日本で演奏できていなくてさみしいとおっしゃっていました。早くきてほしいですね!
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―まず、優勝したジェイデンさんについてお聞きします。どのようなところが評価されたのでしょうか?
私はジェイデンの演奏がとても好きです。鍵盤に手を置いた瞬間から、素晴らしいことが伝わってくるピアニストでした。
彼がラヴェル「鏡」の1曲目「蛾」を演奏し始めた瞬間、彼の演奏の質の高さが伝わってきました。彼がどんなピアニストかを理解するのに、2小節しかかからなかったのです。とても深く、正直で、その年齢にして信じられないほど成熟していると思いました。
彼にはオーラのようなもの、人を惹きつける何かがあります。ステージに立つ音楽家には、聴衆とコミュニケーションをとる力、聴き手を自分のしていることに巻き込む力が必要です。それによって聴き手の興味を大きく発展させることができます。
その意味で、ジェイデンは私の興味を大きくふくらませてくれる人でした。彼が次に何をしてくれるのか、何を見せてくれるのか、ずっと関心を持つことができましたから。そこが私が彼の演奏を気に入った理由だと思います。
技術的にどんなところが優れていたかを話すこともできますが、それはあまりおもしろくないでしょう。もっとも重要なのは、彼が聴き手の注意を惹きつける力を持っていたということです。だからこそ、彼のメッセージは十分に届きました。
彼は強い意志を持ち、その考えを信じて喜びと共に伝えてくれました。
―2位のJunyanさん、3位のNhiさんはいかがでしたか?
審査員の間でそれぞれに違う意見があったと思います。
ファイナリストはみんなすばらしく、それぞれに伝わってくるものがあったので、敬意を表したいと思います。さまざまな音楽の魅力を味わう機会になりました。その意味では、誰が誰よりも上だったということは重要ではないのです。
大切なのは、芸術というものに若者が情熱を持って自らを捧げているということ。それを見ていると、私も希望やインスピレーションを受け取ることができます。
世の中には、彼らのような存在が必要です。人類のすることはいつも正しいわけではありませんが、芸術を信じる若い人たちがいるということは、人類の最高にすばらしい点のひとつだと思います。
―審査員が現役の若い演奏家中心だったのは良いことだと思いますか?
フレッシュな感性を加えることには役立ったと思います。
私たちはステージに立つことの意味をよくわかっています。それぞれの作品を一音一音どう弾くべきかもわかっています。
ただ私は、コンテスタントをジャッジするという感覚に陥らないよう、彼らのしていることに共感することを心がけながら演奏を聴いていました。審査員としての役割をリフレッシュする感覚を持つ努力を続けていました。
何度も聴き、勉強した作品だからといって、それがこうあるべきだという先入観を持たないことが大切です。
若い演奏家がしていることのプロセスを理解する身でありつつ、先入観から自分を遠ざける、そのバランスを保つことは簡単ではありません。
あのフレーズをなんであんなふうに弾くのだろう、私がなら違うふうにするのにと思ってしまうことは、審査員として適切なスタンスでないと思います。私たちは、いろいろな考えを受け止め、観察する存在でなくてはならないからです。
―聴衆賞を受賞した日本の牛田智大さんの印象はいかがでしたか?
私は牛田の演奏が大好きでした。彼の音楽がとっても大好きでしたし、とても評価しています。
―ではファイナルに進めなかったのは…
わかりません。コンクールでは数字の集計の都合でこういう不思議なことが起きてしまうのです。スポーツの大会とは違います。
他の審査員が何を考えているのかわからないので、私が今話せるのは私自身の彼の印象だけですが、彼がファイナルに進めなかったからといって何かが足りなかったということはないのです。
彼は素晴らしい音楽家で、音楽が深く、正直で、誠実でした。音の質もすばらしく、何か大きなコンセプトに向き合って演奏していることが感じられました。音楽の扱い方からは、謙虚さや献身が感じられました。これは彼の大切な資質で、私はとても評価していますし、素晴らしい未来があると信じています。
実際、彼は聴衆賞を受賞しましたよね。これはすばらしいことでした。彼の音楽が人々に語りかけたということです。
ですから、彼は自分を信じ、今やっていることを続けていくべきだと思います。自分のしていること、音楽のためにしていることを誇りに思ってほしい。
そして日本のみなさんは、彼のようなピアニストが育ったことを誇りに思うべきです。私は長年日本の音楽業界を見てきて、日本人アーティストの進歩を目の当たりにしています。牛田はその一例です。私自身、今後彼が音楽的に必要なことがあったらサポートしていきたいです。
―それだけおっしゃってくれる審査員の先生がいる一方で、コンクールの結果はわかりませんね。
私たち審査員が扱っているのはとても抽象的なことなので、本当に難しいですね。
でも、私が思うに、牛田は晴らしいキャリアを築くために必要なすべての資質、ステージで自分のストーリーを語るうえで必要な資質を持っているので、心配する必要は全くないと思います。
コンクールはキャリアを確立するための唯一の方法ではありません。自分をより良く知るための場だと捉えるべきです。
このことについては彼にも直接伝えました。この機会に、自分をよりよく知り、音楽を学んでいくために常に自分の声に耳を傾けてほしいということ、コンクールの結果があなたの価値を決めるはずはないということ、多くの人があなたの音楽を信じていることに確信を持ってほしいと伝えました。
牛田は美しい音楽人生を送ることになるでしょう。なぜなら、彼の音楽には歌があるからです。人柄も良いのだろうと思います。今回は残念でしたが、人生とはそういうものです。
私も成功した経験ばかりではありません。うまくいかない出来事もたくさんあっての今なのです。
―多くの若いピアニストがそういう難しい状況を乗り越えていかなくてはならないのですね。
そうです。そしてその中で一つ一つ、探究を続けていかなくてはいけません。
日本語でいう「イキガイ」ですね。もし演奏することが自分の生きがいでないと感じてしまうようなら、厳しいようですが、その時は自分の声に耳を傾け直す必要があるでしょう。また別の音楽と歩む道があるかもしれません。
でも、これが生きがいだと確信が持てるなら、そのまま進んでほしい。いろいろな可能性に対して常にオープンでいて、自分を信じてほしいのです。そして自分自身を喜ばせることを続けてほしい。
もちろん、必ず成功が保障されているわけではありませんし、とても長い道のりですが、自分自身に耳を傾け、直感を信じることが重要です。
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リーズ国際ピアノコンクール2024 現地レポート
10月26日(土)13:00~14:30