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フリーランスになった訳(エピソード4:WEBに手を出す)

映像関係をやっていたころ、企業さんは会社案内・製品案内をビデオテープでつくって、たくさんダビングしお客様に配るというのがプロモーションのトレンドでした。ただ、予算が次第に減ってきてそのやり方も陰りが。

インターネットってなんじゃ?

当時は、阪神大震災で被災地連絡用にインターネットが活躍したというのがトピックになるぐらい、インターネット黎明期でした。
ある時、元いた音響メーカーさんの知り合いがIT系の会社を起業するということで、半分お付き合いでその方の主催するインターネットイベント(?)に参加したりしていました。クラブのような薄暗い空間に多数のPC、Netscapeというブラウザには英語版のYahoo!が表示されていました。全世界につながっていてこれで、なんでも調べて表示することができる、ホームページを作れば世界に自分を発信できるらしい。まだ私もあんまりわかってなくて、
「ふーん、すごい時代やねぇ。。。」って、感じ。
自分にはあんまり関係ないやろと構えていました。私がやっていたのは、せいぜいモデムを使ったパソコン通信サービスで、これでCGの画像をフィルムに焼き付けてもらうために東京のフジカラーにデータを送るのが精一杯の状態です。

  1. モデム:アナログ電話回線でデータを送るために、デジタルデータを音声に変換する装置。エラーが多く、とても遅い。

  2. Netscape:Firefoxの前身。当時ネットをみるのはこのソフトと決まっていた。IEが本格的に出てくる前。

  3. CGのフィルム:DTPも一般的ではなかったので、CG画像を印刷するのにはデジタルデータを写真と同じポジフィルムに焼き付けて入稿しないといけなかった。

ただ、CGを使ってちょくちょくアート作品っぽいものをつくっていたので、これをアピールできる場がほしいなとは思っていました。

”かたわく”
”軌跡”


ちょうどその頃、大阪のWEB会社で低価格で作品サイトを作ってくれるというサービスを発見しました。

自分の作品サイトを作りたくて、WEB会社に依頼

でも、やっぱりデザイナーの端くれなんで、WEBったってグラフィックデザインと一緒やろって感じで自分でトップページのデザインは作ったりしました。その会社にそれをHTML化して公開してもらい、初めての自分のサイトが出来上がりました。
その会社とはその依頼をしたのがきっかけで割と親しい感じになりました。で、一体どんなことをすればこういうサイトが出来上がるのかを少し教えてもらえたんです。HTMLという文字列を書いていけば割と簡単に作れるというのがわかりました。(なんせ、最初のCGソフトが文字列で立体を作るというシステムだったので、割とすっと受け入れられました)
見様見真似で、HTMLを書き、しょぼいデザインのサイトぐらいは打てるようになりました。HTMLの教科書なんてないです。当時HTMLはVer 3.2。CSSなんてなかったテーブルレイアウト時代です。
このことをその会社にアピールすると、手が足りてなかったようでサイト制作の仕事依頼が来るようになりました。最初は既存の崩れてしまったサイトの直しとかだったと思います。ホント流れでいろんなことをするようになってしまう悪い癖が。。。
ま、面白そうって思っちゃったからねぇ。。。

次第にWEBの仕事が増えてきて

世はインターネット・バブル。
当時はインターネットっていえば、
”ははぁ・・・すごいですね!うん百万払います!”
っていうおかしな時代。

企業さんもわからないので、インターネットと言うワードだけで予算が取れた時代です。フォトショップでちっちゃいアイコンやバナー画像を作る程度でも、まとまるとそこそこな仕事になりました。その後、次第にサイトまるごととかできるようになり、仕事の幅も広がってきました。
ただ当時はブラウザ環境がひどいもので、後発で登場したIE(マイクロソフトのインターネットエクスプローラー)がWINDOWSに抱き合わせで広まってきたので、Netscape VS IE 対決時代でした。どちらも独自の仕様で作られていたので、サイトを両方で崩れずに見れるようにするにはかなりの苦行を強いられました。
ある大学のサイトを制作会社(富士通系列)と一緒に受注した際は、この対応に泣かされる事となりました。大学のセンセイが発注窓口だったので、いまでもあるHTMLlintというHTML文法採点サイトを使って100点取れたら納品してもいいと言う条件が提示されました(先生だけに)。Netscape と IEでちゃんと見れて、100点はかなり困難(というか無理)ボックスモデルの解釈が2つのブラウザで異なって作られていたので、確か終いにはJsを使ってブラウザ判定して、別のコードに振るような仕様にしてしまったようなおさめどころだったとおもいます。それでも、最終90点台でしかHTMLlintで出せませんでした。制作会社の方も私も夜通しコードと向き合い、夜中の3時頃にメールで ”今80点まで行きました!”とか言って頑張ったのを思い出します。

袖を広げるときは慎重に

前記事で述べたように、チャレンジは大切ですが、何でもかんでも手を出すのはなんでも屋になってしまいます。今になってみると、このなんでも屋が講師業に活かされたのでまずまずでしたが、こんなに色々手を出さなくても良かったとは思います。デザインだけでやってます!っていう大先生はほんとに憧れます。
時代的には、また大きな変革期です。自分が”ワクワク”しそうだったら、AIでもメタバースでもトライしてみるといいですね。

James OsborneによるPixabayからの画像


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