超短編小説「右手にドラム、左手にクリーム」

決して寒くはない。

セミダブルのベットの上で僕は今、布団の一つもかけずに仰向けになっている。左手にうっすら見える時計は午前0時を37分ほど過ぎた時刻を指している。

感情を表に出すことが苦手な僕でも、女性と一夜を共にする際には、多少なりとも表現することがある。そして、先ほども、気持ちを自分の外側に打ち出したところだ。今、僕の左手には1人の女性が僕とは反対側を向いて眠っている。

その女性とは何度か夜を共にしているが、詳しいお互いのことは何も知らない。顔も体つきも性格も、どの点においても秀でていることはないが、決して劣っている点もない。ただ、その女性に会うたびに、自分の感情が多少なりとも動いていることを、とても受け入れ難いが、僕は感じてしまっている。これが一般的に総称される、どの様な感情に分類されるのかはわからない。しかし、確実に形容可能なものであろうことは、理解できる。

彼女は僕より六つほど年上で、ある雑誌編集の会社で働いているらしく、とても語彙力に長けている。常に、僕の体験しているこの世界を、僕の知らない言葉で表現し、伝えてくれる。その一言一言に、僕は感銘を受け、また言葉の深みを純粋に楽しんでいた。しかし、いざ、行為が終わると、彼女は、まるで言葉を話す機能を誰かに奪われてしまったかの様に、その鮮やかな輝きを含んだ言葉を一切吐かなくなる。そして、決まった様に、僕の左側で、僕とは反対側を向いて、眠り込むのだ。

別にそのことに対して不満なんて感じない。正確には、感じていなかった。どんなに燃え上がった夜であろうと、別に関係はなかった。しかし、今はどうだろう。僕の左手にいる真っ白で、跳ね返る様な弾力の肌を持つ彼女に対して、僕自身が、何か甘美で、色彩豊かな言葉を喋りかけたいと感じてしまっている。可能か不可能かという問題ではなく、実際にその様に感じ、考えてしまっている僕がいるのだ。そして、いざ、どの様な言葉をかけるか考え、文章を構成し、脳内から言語化しようとする際に、毎回、自分の右手に大きな音が鳴っているのを感じる。それが自分の胸の上に置いているが故に感じる鼓動の音なのか、はたまた、もっと生物的な、血流から来る音なのかは、わからない。しかし、その大きな音は必ず僕の右腕に感じるのだ。

そして、そんなことを感じながら、もう一度左手に薄っすら見える時計に目をやる。

午前0時を40分過ぎた時刻を指していた。


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