超短編小説 「Week 1」

月下の光に照らされて、一人歩いて帰る終電後のこの街は、無数の無音と共存していることを改めて実感することができる唯一の時間である。「私は何をしているのだろう」。自分で考える分には、とても深く、また時間を割いて考えるに値する問いなのに対し、「お前は何をしているの?」と、他人に問われた瞬間に、全てがマイナスの感情に転化してしまう。いや、そうではない。マイナスに転化してしまうのは、きっと私に明確な回答がないからなのであろう。いや、これもまた少し違う。明確なものが私の中にはある。しかし、それらを言語化して外に飛ばすことができないでいるのだ。全ての原因はここにある。とは言っても、物事をいくら考え、理解していたところで、それらを何かしらの形で自分の外側に出さなければ、それは、他人から理解されることは無い。

烈火の如く、時間は過ぎていく。誰しもが平等な1秒を持つこの世界では、如何なる物事において、時間を理由にすることは罪となる。あなたの1秒と、私の1秒は等しく、秒針が6度進むことを表しているのだから。

水面に移る、私の顔は、科学的では無いが、その頬が赤らんでいることが容易に分かる面をしている。誰と時間を共にするわけでも無く、お気に入りのIPAを少々嗜み、気づけばこの時間になっていた。「こんなことが以前にもあった。」とこの続きに書き記すような文学を何冊も読んできたが、私の場合は、こんなことは、生涯で今回が初めてだ。こんなことが幾度も起こるような人生ならば、私は潔く死を選ぶだろう。

金木犀の香りが、ふと、自分に嗅覚があることを思い出させるかのように、どこからとも無く香ってきた。その方角には、何があるのか。一体、何が原因で私の嗅覚は、その能力を思い出し、機能を取り戻したのだろうか。その正体を私は確認することができない。なぜなら、私の視覚は、未だそれ自体の存在と機能を忘却したままだから。

土管の中に入れば、異世界にいけるのだろうか。または、人生に2度目のチャンスを与えてくれるような、不思議なキノコに巡り合えるのだろうか。そして、私の人生の中には、お姫様を救い出すというタスクは、果たしてプログラミングされているのだろうか。否、されてはいない。なぜなら、自分で描いた記憶がないからである。人生というものは、外部的要素の介在に耐えながら、自分で書き記していかなければならない、残酷なものであるからだ。

日が、「おはよう」と言わんばかりに、顔を覗かせ始める。こうして時間は流れていく。誰にも止められず、誰にも逆らわれず、そして、誰にも疑問を抱かれずに。

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