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いつか誰かにおっぱじめてほしかった〝その先〟の物語――『ザ・ウォーキング・デッド』

 Amazon のプライムビデオのせいで(おかげで)この数カ月間、睡眠時間を削りまくって海外ドラマ『ザ・ウォーキング・デッド』5シーズン分を一気に駆け抜けた。めっぽうおもしろいのだが、これに多くの人々が夢中になっていることを不思議にも思う。ゾンビ(※)だらけの世界を舞台にした連ドラが5年も続くだなんて、かつて誰が想像しただろうか。本国アメリカではシーズンを重ねるごとに視聴率が高まっており、すでにシーズン7の製作も決定済み、さらには同じ世界の前日譚を描いたスピンオフシリーズまで始まったという。すごい。

 〝ポストアポカリプス・サバイバル〟とざっくり括るといかにも流行りそうだけど、なにしろゾンビである。ゾンビは人を食べる。子どもだろうと何だろうと食べる。噛まれれば子どももゾンビになる。2時間足らずの映画なら、「子どもゾンビが襲ってきた」とか「愛する人が噛まれてもうすぐゾンビ化」とかそういうのはいかにも衝撃的で恐ろしく悲しい要素として作品内に行儀よく収まる。が、そういうのが当たり前になった世界でなお生き続けていく人たちをエンドロールが流れ終わった後も追いかけていったらどうなるだろうか。連ドラでゾンビだらけの世界を描くとは、つまりそういうことなのだ。

 たとえば、シーズン1では主人公がゾンビを撃ち殺すときに「恨まないでくれ」と言ったり、倒したゾンビの懐から身分証明書や恋人の写真を取り出して「彼にもふつうの人生が…」と感傷的になったりしていたのに、シーズン3に入る頃にはゾンビの頭を棒で突き刺すのは単なる作業(3K)と化している。自分たちの仲間に敵対する人間の対処についても、シーズン2あたりでは捕虜をどうすべきかで何話もかけて熟考・論争していたのが、シーズン5では明確な基準に則って「有罪」と判断できたら即処刑である。そう、世界はもう変わってしまった。基本的には他人からよく奪える者が順当に生き残っていく世界にあって、わずかな生存者との遭遇は喜ぶべき奇遇ではなく、緊迫感溢れる探りあいとなる。主人公たち一行は、日を追うごとに新たな世界の理にいやがおうにも適応し、より強靭に鍛え上げられていく。

▲ もはや、よほどの不運や他者の悪意が
重ならないかぎりゾンビにはやられない面々

 このあたりに、私が『ザ・ウォーキング・デッド』から目が離せない理由がある。これまで数多くのゾンビ映画が「そして彼らはこれからも生きていく」で済ませてきたこと、「その先のこと」を、このドラマは律儀に描き続けているのだ。一体どうなるのか気になるのはもちろんだが、私はそれ以上にこの律義な姿勢、「彼らはこれからも生きていくのだから、誰かがその後のことも描いてあげないとだめじゃん!」という気概にどうしようもなく惹きつけられる。いや別に本当にこのドラマを作ってる人たちがそんな気概を持ってなくても全然よくて、むしろこの空前のヒットは綿密なマーケティングとか効果的な宣伝とかの成果なんだろうけど、自分勝手にそういう気概を設定して興奮するのがとても楽しい。いずれにせよ、これがいつかは誰かがおっぱじめるべき作品であったことは間違いない。

 というわけで先があれば延々見続けていきたい『ザ・ウォーキング・デッド』。現在最新のシーズン6が日本でも放映されていて、私はこれがプライムビデオにおりてくるのを心待ちにしている。『LOST』以来のハマりようである。登場人物たちへの愛着の度合いやユーモアの好みでいえば断然『LOST』に軍配があがるが、なんせ『ザ・ウォーキング・デッド』は現在進行形。この2作品には何かと対照的なところがあって、たとえば『LOST』がいかに物語を終わらせるかという課題に苦闘しながらも最高の形で幕を降ろした(個人的感想)のに対し、『ザ・ウォーキング・デッド』の使命は、終わりの先を描き続けることであるように思える。長い付き合いになりそうだ……


※ 「ゾンビ」という呼び名について――
 ゾンビ映画は好きだけど、登場人物たちのゾンビへの驚き方に常々違和感を覚えてきた。もし道端を歩いていてゾンビと出くわしたら、私ならまず「ああ映画のあれが本当に起こってしまった!」または「ぎゃーゾンビだあああ!」と驚くと思うのだが、彼らはみな決まってただたんに「なんじゃこりゃあ!」という反応を示す。つまりゾンビ映画の登場人物たちは誰一人としてゾンビについて知らない。ロメロ以降、たいていのゾンビ映画の内側の世界では、暗黙の裡にゾンビ映画が存在しないことになっているのだ。この〝暗黙の裡に〟というところが私はいつもどうも気にくわなかった。
 この点、『ザ・ウォーキング・デッド』ではなかなかニクい工夫がされている。人によってゾンビの呼び方が異なるのである。パンデミックによる大混乱のさなか、〝生ける屍〟たちをいつまでも「あれ」「やつら」などと呼んでいては何かと不便なので、人々はそれぞれ勝手に便宜上の名前を付けた。だから世界共通の正式名称はない。考えてみれば当たり前である。主人公たちの一行は「ウォーカー」と呼ぶし、彼らが出会う他のグループの人々が口にする呼び名は「バイター(噛む者)」「ロッター(腐人)」「ローマー(徘徊者)」などさまざま。「おまえらはあのモンスターたちをそんな風に呼ぶのかい、いいね!」みたいな場面もある。このような工夫が、「私たちはゾンビという概念が存在しない世界観を採用してます、意識的にね」という作り手の慎ましい主張となっているのだ。(それなのに、シーズン2のなかばで日本語字幕のなかに「ゾンビ」という言葉が登場してしまう、2度も。しかも個人的に全シーズンを通してかなり重要だと思われる場面で。細かいことかもしれないけれど、最低最悪のミスである)
 私は幸いなことに『ザ・ウォーキング・デッド』の世界の外側にいるので、当記事では「ゾンビ」で呼び名を統一した。


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