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「大東亜戦争の実相」 -大東亜戦争が気になるなら読むべき

戦争モノの本を読むことが好きだ。先般の佐藤優の著書もそうだが、国家という単位が未だ存在している限り、戦争というか国家間の何某かは起きる。ウクライナとロシアのことを語るまでもなく、日本においても、未だ課題や問題、状態がある。アメリカ然り、中国然り、韓国然り、北朝鮮然り、ロシア然り、その他もろもろ。

戦争ということを、今のウクライナのように兵器により実弾が飛び交うことだけに限定しない場合、どこも戦争状態ともいえる。実弾の飛び交わない戦争を外交といってもよい。日本が、アジアが忘れてはならない先の戦争での内情を、ここまで克明に語れるとは。

この本で語られる戦争は、戦争に至る文書と会議に焦点が当てられている。いわゆる政局だ。もちろん、満洲事変や支那事変などの状況の描写もあるが、白眉は、その戦争に至るプロセスに、どういうメンツでどういう会議があって、状況判断をいかにして行ったかを、正誤の意見を極力抑えて、語り尽くしている。「大東亜戦争」や「五族協和」など、一部左翼的観点からは目を背けたくなる表現もあるが、それがまた、この本の良さである。いかに我々戦後世代が、WGIP的な考え方に毒されているか分かる。

とくに日米開戦までの著述には、感情的な意見が極力なされていないにもかかわらず、当時の外交的努力の無念さが大いに伝わってきた。この本の元になったのがハーバード大学での講義だったこともあるのか。私は、もっと東條英機がバカヤローだと思っていた。たしかに、よっぽどのことがなければバカヤローが一国の首相にはならない。まあゼレンスキーを見ていればそういうこともあり得なくもないが、東條英機が巷間語られるような戦争一辺倒に傾いていたわけではなさそうだ。

「大東亜戦争」ひとつ取っても、普段使ってはいけないワードになっている。私の学生時代の思い出に強烈に残っているのが、韓国人の先輩にポロッと「大東亜戦争」というワードにどんな印象を持っているかを聞いたところ、物凄い剣幕で、「そんな言葉は使っちゃダメだ!」と怒られたことを思い出す。その先輩は相当リベラルな考え方の人だったにもかかわらず、だ。

臭いものにフタをしながら生きている人にはオススメしない。少しでも、拒否感とか違和感に疑問を感じているなら、良い気付きを与えてくれる。筆者の瀬島龍三はシベリアに戦後11年も抑留されていたらしい。陸軍に深く関わったが故の、罪なのか。誰よりも日本のために仕事したはずなのに。

個人的には東郷茂徳についてより深掘りしたく思った。鹿児島に記念館があるようで、行ってみたい。どうも朝鮮出身の陶工出身の家柄のようだ。

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