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【感染者のつぶやき3】コロナで入院のリアル:呼吸困難

リアルリポートでも散々書いたので、繰り返しになる内容もある。ちょっとまとめてみた。

私の場合、ホテル療養当日からの入院搬送となった。私と一緒にかかったI氏の場合、最初から入院だった。その基準は保健所の判断にあるように思う。私の場合、最初の陽性の電話連絡以降、2日経ってからのホテル療養だった。遅れた理由はわからない。

18日陽性連絡で、20日ホテル搬送。ホテルで半日療養後、高熱が続いたためホテルにいる看護師さんと医師の判断で病院に搬送された。それから、26日までA病院にいた。この7日間で、高熱は良くなったり悪くなっりを繰り返し、肺炎は知らずの間に進行し、呼吸困難がひどくなり、26日の午後にH病院に搬送された。そこでは集中治療室(ECU)に入れられて、28日まで3日間いた。高濃度の酸素注入器のおかげで呼吸困難が改善し、K病院に搬送され、K病院に5月11日の退院まで15日間いた。合計23日間の入院だった。

肺炎による呼吸困難が悪化すると、重症患者になる。私の理解では、①呼吸の補助と、②人工呼吸器、そして③エクモの3段階になると思う。私の場合、①の呼吸の補助で酸素注入器(人工呼吸器の一種ともいえるらしい)を使ってもらい、何とか改善した。重症患者扱いは恐らく集中治療室にいた3日間のみだったと思うが、呼吸困難が悪化していれば、②や③になっていた可能性がある。A病院からの搬送時は、「エクモになると思う」といって送り出された。血中酸素濃度はじめ、いろんな数値を参照して、H病院の医師がエクモまで行かずに高濃度の酸素注入で様子を見るという判断をしてくれたのだろう。それでも、正直言って集中治療室の初日は、本当に生きた心地がしなかった。呼吸が、まともに出来ず、夜もロクに眠れなかった。脳まで酸素が到達していない感覚すら、あった。

その後、K病院に搬送されてからも、しばらく高濃度の酸素注入器を使って毎分50リットルの加湿付き酸素を注入してもらい、酸素注入量がだんだん減って行き、最後は注入器が取れて、退院できた。酸素注入器に頼らずに息ができるようになっていく過程は、とてもうれしい気持ちだった。息ができるということは、まさに生きているということだ。

現時点はまだ肺炎も残っているし、完治にはしばらくかかるだろう。呼吸に関しては、ほぼ戻っていると思う。酸素注入だけで改善して、本当に良かったと思う。病院からもらったCT画像やレントゲン写真を見ると、肺が白くなっていたり、CTだと網目模様の肺炎が、しっかり写っている。毎日レントゲンを撮っていたときは、日々改善してるように見受けられる。

ちなみにI氏の場合は、肺炎があったがそれほど呼吸困難を伴わず、熱はあったのでアビガンを投与し、半分くらいの日程で退院した。K病院で隣りに後から入って来たS氏も同様で、熱が高いが呼吸困難が伴わない場合は、アビガン等の投与で経過観察するようだ。私はアビガン投与はなく、A病院の頃からステロイドで一貫していた。飲み薬から点滴になって、飲み薬になったが。

もちろん、私よりも症状が悪化してエクモになった人もいらっしゃるだろう。エクモは開始すると1週間かそれ以上、意識がなくなるらしい。エクモになっても症状改善せず、そのまま亡くなる方もおられるようだ。その一歩手前まで行ったということと、もし自分がそうなっていたらと思うと、本当に恐ろしい。

入院して治療を受けたこの23日間、医師の先生と看護師さんには、本当にお世話になった。入院生活については別途書きたいが、何よりも手厚いしっかりとした医療体制。それも防護服を着た状態で。まさに今、大阪などではひっ迫していると聞くが、先生方看護師さん方には、本当に頭が下がる。日本の医療は、もしかすると凄いのかもしれない。病院に行くことは個人的にはキライだけれども、この度は、本当にお世話になりました。皆さまのおかげで、生きることを続けられます。ありがとうございます。

息ができること、すなわち生きていることに感謝。普段、呼吸を意識することなどないと思う。それを気付かせてくれたという意味で、コロナに感謝すべきなのか?いやはや感謝すべきは、先生方と看護師さん方だ。コロナをやっつけるために、今この瞬間も戦っておられる全ての方に、心からのエールを送ります。

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