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「今しかできない」は危険

たまたまホテルでテレビのCMを観た。「今しかできない、思い出を(なんちゃら)」という、子どもと今しかできない思い出を共有する、とかいう内容。

私の四十数年の人生のうち、9割がた「今しかできない」を謳歌してきた。このことに後悔はほぼない。ほぼないというのは、少しはあるということだ。つまり、その少しの後悔こそ、今回のテーマ。

(イキっていた)大学時代、「刹那」という言葉が好きだった。将来が不安な大学生にとって、刹那に生きることがイキだと思っていた。貯金もしなかったし、勉強もロクにしなかった。音楽に打ち込み、人との交わりに浸かった。

刹那に生きることは、社会人になっても変わらず。生きていくために、仕事はそれなりにがんばった。持ち前のコミュ力だけで、乗り切った。音楽にも打ち込み続けた。将来に備えようという気は、なかった。「絶対結婚なんかしない」と言い放っていた。

それでも、結婚した。子どもも、二人も授かった。いよいよ、将来のことを考えるように、少しだけなった。保険もはじめて入った。それでも長年の生き方がそう直ぐに変えられなかった。それが、結局離婚に繋がった。そりゃ、将来のことを考えない夫など、妻からすれば不安でしょうがない。今更ながら、アホやな、と思う。

今、将来のことを考えるようになった。貯金もしている。保険も加入している。この歳になって、人生計画を立てている。刹那は、ずいぶんと辞めた。まだ食事だけは、「今しかない」をやってしまう。最後の仕上げは、そこなのだと、思う。

「今しかできない」「今しかない」は、危険だ。私の場合、それが離婚と子どもに会えないことを呼び込み、それが体重を増やして健康を蝕み、それが経済的な豊かさを得られるチャンスを減らした。「今しかできない」をしないことこそ、「今しかできない」をすることより大事な気がする。「しない」決断。「する」決断より、とっっっっっても難しい。「しない」決断がもっとできるようになってこそ、一人前かなぁ。

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