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丸谷明夫氏の訃報に寄せて

ご冥福をお祈りします。みんなの憧れ、丸ちゃん。
吹奏楽関係、管打の世界で知らない人はいないでしょう。
享年76歳、昨日12月7日に膵頭部がんでお亡くなりになったとのこと。

あらためて丸ちゃんの演奏を聴きながら、想いを巡らせている。高校生当時、我が高校と淀川工業高校とは、天と地以上の差があった。当時から何度か丸ちゃん=淀高の演奏に触れているが、野外の演奏で爆音の演奏に触れたとき、「あれが同じ高校生なのか」と敗北感とリスペクトが交錯した、ドキドキした不思議な感覚だったことを思い出した。

今ほど全国区で丸ちゃんと淀高が持て囃されていなかった私の高校時代、それでも大阪では超有名で、吹奏楽するために淀高を目指すというヤツも周りにいたぐらいだ。そう、淀高は今はどうか分からないが、当時は工業高校で進学校とはいえない学校だったにもかかわらず、だ。実際、私も高校進学のとき頭によぎった。音楽にのめり込む恐しさ、その魅力。

丸ちゃんこと丸谷明夫氏については、もはや論じるまでもない程の超有名人。吹奏楽の甲子園である、毎年夏の吹奏楽コンクールでは全国に41回出場!そのうち32回の金賞とは。激戦区の大阪・関西を抜けてのこの実績。これがどれだけスゴイかを語るだけでひとつの文章になるので、これくらいにしておく。とにかくスゴイこと。

全国の吹奏楽連盟理事長もやられていたので、晩年は下駄を穿かされていた可能性は考えられるが、少なくとも毎年入れ替わるメンバーを率いてのこの偉業は、音楽文化への多大なる貢献であることは間違いない。

しかし誤解を恐れずいうと、吹奏楽界は丸谷明夫氏が亡くなられたことで大きな転換点を迎えている気がしている。コロナもあり、吹奏楽はとくに従来の活動が制限されてきた。コンクールについても全日本吹奏楽連盟の迷走もあり、全国大会を昨年は中止、今年は無観客。今年の春には理事長も石津谷氏に変わっている。従来型の吹奏楽の終わりのはじまりか。新しい吹奏楽のあり方、部活動のあり方を模索していくのであろうか。

従来型の吹奏楽が通用しない世界になりつつあるこの状況下で、強いメッセージも発信できずにやられるがまま、変化の波に飲まれていくのだろう。揺り戻しもあるかと思う。私は変化が加速することには肯定的だ。しかし、なるようにしかならない流れに身を任すのが正しいのかどうか。明確なビジョンを指し示せないものか。

コロナ真っ盛りの去年、全日本吹奏楽連盟が全国大会中止の発表をしたときの喪失感は、とても大きかった。私自身が今は吹奏楽の活動をしていないのにもかかわらず、また学生の部活動に関わっていない大の大人にもかかわらず。各支部の迷走も然り。そりゃ、全日本が迷走してるのに、支部が頑張るのは無理筋だ。

吹奏楽は、管楽オーケストラともいわれ、数十人のさまざまな管楽器と打楽器のメンバーで、ダイナミックでかつ繊細な音楽を奏でる。その吹奏楽コンクールたるや、老若男女が毎年の夏を捧げ、賞と上位大会進出を競う。出演団体は2019年度実績で10000団体以上。この規模のコンクールを、しかも毎年やってきていることは、世界的にも例を見ない。

しかしこのままで、本当に良いのか。肥大化したコンクールや吹奏楽連盟の運営を、ただただ成り行きで行われてきているのではないのか。

去年まで理事長だった丸谷明夫氏の責任は重い。たとえお飾りで神輿だったとしてもだ。死者に責任を追求するのは憚られるが、例の不祥事は言うに及ばず、組織としての問題が山積しているのではないか。ずっと感じている違和感を拭えない。
吹奏楽及び管・打楽器による音楽の普及・向上を図り、もってわが国の芸術文化の発展に寄与することを目的(全日本吹奏楽連盟のホームページから引用)としているのであれば、本来あるべき音楽活動ひいては音楽芸術文化の発展のために、できることはもっとあるのではないか。コンクール依存からの脱却はもっと強く進めるべきではないか。

理事長が毎年、自分が運営している団体の主催する大会で指揮をして金賞をもらって喜び、またそれがニュースになりメディアに乗る。美談になる。これはおかしい。音楽の中身を言っているのではない。丸ちゃんの音楽は本当に暖かく、素晴らしいものだと心より思っている。それはそれ、これはこれ。理事長としての丸谷明夫氏はじめ、連盟に対する違和感は500万人とも言われる吹奏楽人口の中で一定数が感じているのではないか。

吹奏楽コンクールを軸としたシステムに組み込まれていると、それが全てになってしまう(かつて私もそうだった)。たしかに、金賞をもらって、上の大会にいくことはとても難しいことだし、大変な名誉なことだ。このシステムから素晴らしい音楽家を多く輩出しているし、その多くの音楽家達を食わせてもいる。また私を含め管打楽器を生涯の友とした者にとって、このシステムこそが人生の重要な一部になっている。

違和感を残したまま、システムの肥大化を放置するとバブルのように弾けるのではないのか。音楽はもっと自由だ。もうすでに、変化の足音は聞こえている。Apple Musicをはじめとした音楽配信しかり、ベルリンフィルをはじめとしたライブ配信しかり、多くのYouTuberしかり。個人が発信できる時代だからこそ、集団芸術の吹奏楽に注目が集まることもあろう。吹奏楽にも、今の時代にフィットした形での変化を模索すべきではないか。吹奏楽連盟の自浄能力に期待するとともに、またこれからも、芸術文化の発展に寄与していただけることを、強く願う。

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