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三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実

note、アプリからでも有料記事買えるようにしてくれませんかね。アプリで開いて、あ、この人の記事は買いますってなった時に一旦ブラウザから入るっていう、わたしは何の遠回りをさせられているんだ?っていうね。試されてんのか。お前、本当に課金するのか?一旦面倒な手順挟んだら冷静になれるやろ、どや?というおせっかい?
いいんですよ。衝動で課金させてくれよ。本当にこれどうにかしてほしい。

さて三島由紀夫が喋ってる映像が見れるぞ!ということで「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」を観に行きました。映画館復活めでてえな。地元の映画館は元々超絶空いてるのでソーシャルディスタンス完璧でした。

わたしはシンプルに三島由紀夫の文章のファンなので、ここ数年少しずつ作品を読んで行っているのですが、何が好きかってとにかく表現する言葉の豊かさ。推しを語る時には是非三島のように美しく形容したいものですがこの文章でお察しの通り足元にも及びません。圧倒的にナルシスティックで美意識が高いところが好き。

作品に作者の自意識が透けて見える様な、そういうナルシスティックな作家というのは結構いると思います。私はそれを邪魔だなと思うことが多いけど三島はいいぞもっとやれくらいに思う。彼のキャラが突き抜けてるからだろうか。

この映画を見ていてもやはり三島はエンターテイナーだと感じました。そして終始大人だった。大人であろうとしていたのかもしれない。20歳くらい年下の子たち相手にしてるしね。お話もわかりやすく皆に聴かせようとしてくれてる感じ。こうなりたい、こう見られたいという理想が強くあって、それに向かって生き続けた人なんだと思います。

映画としては、討論をもっとじっくり見させてくれるのかなと思ってたから少し消化不良なもやもやが残りました。特に全共闘側の話がところどころしか聞けなかったので。もっと彼らの主張が聴きたかったな~と、ただでさえ私のアタマではよくわからないお話が多かったので、せめてカットせずに聴けていたらもう少しついていけたのでは?と…まあこの辺は書籍なども出ているのでこれから補填したいと思います。
なんかでも、思ってたより哲学的なお話が多かったですね…難しかったよ…
そもそも学生運動というものもあまり理解できてなかったので、一応映画を見る前に少しは学んでいったんだけど、文章で概要を読んでも昭和後期生まれ平成育ちのわたしにはいまいちピンと来ない部分が多くてですね。親がそういうものに参加していたりしたら話聞いたりもしてたかと思いますけど、うちの親は北海道の田舎で育った中卒なので…世代的には彼らと変わらないんですが…きっと親の周りにもそういう人はいなかったと思われる…

東大随一の論客なんて触れ込みだった芥さん、確かに雰囲気あってほかの学生たちとは一味違うぞという感じでしたが、彼だけ向いてる方向が少し違うというか、闘ってるものが彼はまた別次元でない?という印象。三島は彼の話をなんとかみんなのレベルに下げて話そうとしてくれていたように思うけど、結局噛み合うことなく彼は退屈だと言っていなくなってしまったしなーんか、論客っていうのとは違うような…自論をひたすら並べ立てて、彼こそオナニー野郎に見えました。
ヤジを飛ばしてきた人を煽る姿は良かったですね。いざそいつが壇上にやってきたとき、三島の前に壁になるように立ったのは殴らせねえよという気持ちがあったんだろうか。
私はこの人とても好きではないな、と思って、でも観終わった後に彼のことを検索してしばらく見てしまったから好き嫌いはどうあれ引き付けるパワーのある人間なんだわ。現在70代になった芥さんが全然ブレてないのはすごいと思う。他の人たちはいろいろ経てある程度丸くなったように見えたけど、彼だけは今も尖り続けていた。でもあんなん言ってても日本に住んでて税金も納めてるんだよな~とか思うとちょっと可笑しい。

ところで火のついたタバコ持ったまま子供抱っこするのは絶対にやめましょうね、私が子供の頃父にそれやられて、30過ぎた今でも手にやけどの跡があるんですよ。

当時あの場に居た方たち、楯の会のメンバーだった方たち、現場を知る皆さんの声を聴けたのはとても良かったですね。
木村さんは当時も今も柔らかく温厚な雰囲気で、でも学生運動の終焉を「敗北」という言葉で表現されたときの一瞬ピリッとする感じが、彼らにとってはただ若き日に無茶した思い出なんかじゃないんだなと思って。
山崎賢人似で素敵に見えた小阪さんはもう亡くなられていたようで残念。
学生運動で積極的に闘っていた人たちがその後どんな風に自分と現実の社会に折り合いをつけて生きていったのかとても興味があるのですがこれに関しては別の物を見た方が良さそうですね。

楯の会1期生だった方が当時を振り返って、三島はこんなに僕たちにやさしくしてくれたよ、というエピソードを語っていた時に「今で言うスッチー」って言ったのも引っ掛かったし(今でいうならCAとか客室乗務員な)、「そういう方たちをたくさん集めてね…(ニヤニヤ)」のニヤニヤがめちゃくちゃ嫌でしたね。あの話は切ってくれてよかった。
あと妙におどろおどろしいBGMを付けるのとかも違和感あったし、この出来事であったり三島由紀夫という人物に対するイメージに於いて作り手と自分の間に隔たりを感じました。途中ジャズっぽい曲がかかったのは良かったんだけどな。そういう感じ、細胞が沸き立つような緊張と興奮のイメージなんだけど。重苦しい沈み込むような緊張ではなくて。

結局、真実とは…?という感じではありましたが、三島のことは少し知れたような気もします。何せ動いてる姿なんて見たことなかったし、ミスターダンディに選ばれるほどのスターだったなんて事も私は知らなかった。
三島の没後に生まれている私はまず「極右、切腹、やべー奴」というイメージから入ってるので。彼と同じ時代を生きていれば最初に若き文豪というイメージから行けたんだよな~、そりゃ全然違うよね。
印象的だったのは戦中を生きた世代の、「自分の運命は国家と共にある」という言葉。正直私にはそんな風に思ったこと一度も無い。きっと70年代以降に生まれてきた世代は殆どそうじゃないかしら。個人にとっての国というものの在り方が全然違う。
ここから色んな事を知りたくなる、そういう作品でした。



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