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初めての新宿二丁目

↑こちらに内容を改めました。
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これを書いてる今は、夏である。
年々警戒レベルの暑さを記録し、外出することさえ危険なくらいなのに、新宿二丁目では、楽しいパーティやイベントが毎週開かれている。
良い出会いが、楽しい気分が、あるいはあわよくばセックスが、と様々な期待や欲望がこの街へと向かう原動力となり、そして、交差する沢山の喜怒哀楽が、この街を新宿二丁目へと形作っている。

私が初めて新宿二丁目に行ったのは、まだセクシュアリティを自認していなかった大学時代の冬休みだった。高校の同級生たちと新宿の居酒屋で小さな同窓会を開き、終電を逃して屋台でラーメンを食べた後、始発までどう過ごすかを話し合った。カラオケか漫画喫茶くらいしか案が出ない中、「ノリだけど、新宿二丁目に行ってみない?」と提案することにした。ノリと言いつつ、少しの決心がそこにはあった。ニヤニヤしたり、怪訝な顔をしたり、それぞれの反応が混ざり合いながら、私たちは新宿二丁目へと向かった。

仲通りに面し、店先がオープンな作りの店に入ると、そこは基本的にセクシュアリティを問わない営業スタイルだという。
カウンターには、ゲイ雑誌やコンドームが置かれ、友人の一人と一緒にゲイ雑誌をペラペラとめくって見ていたところ、その店のスタッフから「興味あるの?」と聞かれ苦笑いをして否定するも、「興味あるんだ〜!」と囃し立てられたのを覚えている。明らかにバレていたのだ。

ビールを一杯だけ飲んで、私たちは街を後にした。
これが私の、初めての新宿二丁目だった。

その数年後、一緒に行った友人の一人から、メールアドレス変更のメールが届いた。
「久しぶり。元気してる?」と返すと、「久しぶり。返信ありがとう。なんだか救われたよ。本当にありがとう。」とその友人から返ってきて、私が「また会おうね。」と返してやりとりは終わった。

社会人になって、落ち着いたらまた会えたら良いなと思っていたが、そのメールが彼との最後の会話になった。彼はもうこの世にいないからだ。

あの日から、15年程経った。

ある時、いくつか店を回ってひとしきり楽しんだ後、ため息のような深呼吸をして仲通りを歩き、初めて行ったお店の向かいでタバコを吸った。少し疲れた身体に、タバコの煙は少し重い。その重さが、享楽とは別の気分を呼び起こし、あの日の記憶へと私を転送する。

よくよく振り返れば、あの日の同窓会は奇妙なメンバーだった。元々仲が良かったわけでは無く、周囲と重力が少し違う者同士が、ささやかながら友情を育み、気遣い合えるようになったきっかけの日だった。私はセクシュアリティに、彼は対人関係に悩み、その他の友人もそれぞれに苦悩し、孤独を持ち寄っていた。

そうした関係性の萌芽と、その数年後の私とのメールのやりとりが、彼にとって何かしらの意味を持ってくれていたらと願う。さらにもう一歩近づいて、寄り添うことができていればな、と寂しくも思う。

吐いたタバコの煙を追って、こんな想像をした。
この店で、あるいはこの街で、初めましてと、久しぶりと、またねの他に、無言のさよならも沢山あっただろうと。

誰しも、初めての新宿二丁目を忘れることはないだろう。
忘れないということは即ち、その時に存在した人、出来事を証明することになる。
よって私は、早世した彼の存在を証明することができる。

あの日、彼は、この街にいた。確かに存在していたのである。


おわり。


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