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香港に行ったこと 8

最終日。今日も今日とて朝ごはんを求めて街へ繰り出す。宿のすぐ近くにあり何度も通り過ぎたカフェに入店した。朝から晩までやっているレストランチェーンのようなものだった。

トースト・スープらしきもの・温かいコーヒーのセットを注文した。今回の注文は順調だった。一番にやってきたトーストはガーリックバター風味で、黄身がドロっとしたタイプの目玉焼きで嬉しい!


ほかのセットメニューを待っている間に入店してきた人は、誰にでも聞こえるような大きな声で歌を歌っている。大声でなにかひとりごとも言うし、店員さんになにか話かけるときもある。言語がわからない私にはこれが周りの雑音同様、BGMに近いものに感じた。

のちにスープらしきものがやってきた。写真ではわからなかったがこれはスープではなく、お粥だった。大豆の風味とたまごの白身の食感がする。これがとても斬新に思ったが、味がついていないためテーブル調味料を活用する。どんなアイテムがあったか覚えていないがとにかくコショウがあったことだけは、わけあって強く覚えている。

スープと思っていたお粥

お粥に向かってコショウをひと振りしたそのとき、店内の強い冷房の風がコショウを別の方向へ吹き飛ばしたのがわかった。その方向は、隣で席についたばかりの夫婦だった。やばい!と思ってすかさず手で振り払っておいた。隣を見ると2人はなにも気にせず会話を続けている。

一旦ホッとして食事を再開した直後、隣の夫婦の女性がくしゃみをした。最初はなんとも思わなかったが、どうも止まらない様子。続くくしゃみに、女性はその原因が私の振ったコショウによるものだとわかり、つらそうに私を見たので私は謝った。謝ったもののクシャミは続くし、どうすることもできないし、超いたたまれない気持ちで残りの食事を食べ、彼女のクシャミが止まることを祈るしかなかった。夫婦にとっては隣からコショウ風を食らって朝からハプニング。後ろには大きな声で歌い、話す人。この混沌を感じながら、残りのコーヒーに砂糖を入れたりして味わった。

帰り際にもう一度隣の人に「ほんとごめんなさい」と言うと、「しゃあないしゃあない!」といった感じで苦笑いで私に微笑んだ。


どうも昨日からモーニングにハプニングがつきものだ。お店があそこでなければ、もっと無難に過ごせただろうか…そう思いながら歩き出した瞬間道端で、同室のシンガポールの人に遭遇。実は今朝、宿のフロント前でも会い「今日で帰るんだよね!?」「そうです」「またね」といった感じで明るく別れの挨拶をしたのだ。再び会えるとは!「どこか行ってきたの?」と聞かれる。

「そこで朝食食べてました」
「もう帰るんだよね?」
「はい。でもその前に今からあそこの裏山(丘)登ります。」
「良いね。私は今からそのへんをぶらぶらするから。楽しんでね!」
「良いですね。お元気で。」
「bye!」
「bye!」

良い人だったなあ〜。あのお店に行かなければシンガポールの人とまた会うこともなかっただろうから、やっぱり良かったかもしれない。

歩き出した直後、うしろから「moshi-moshi ! moshi-moshi ! 」と、聞いたことのある響きが聞こえた。"もしもし"?私に話しかけてる?振り返ると、さっき別れを告げたばかりのシンガポールの人だった。

「私も登る!いい?」
「もちろん!一緒に行きましょう!」

気が変わって、私の裏山上りを共にすることとなった。嬉しかった。その裏山は、宿泊している宿のすぐ裏にある丘のことだ。

「頂上までどのくらいかかる?」
「30分ぐらいじゃないですかね。たぶん」

きっとこの丘は、1950年代にこの辺りに団地が栄えた中で残された自然の一つで、大きな木にたくさんのお供えがあることから、大事にされているんだと思う。

シンガポールの人の名前を教えてもらった。Kさん。Kさんはよく喋る。

「階段続くね!息が上がるから今からちょっと、サイレントになるわ」
「もちろん。ゆっくり登りましょう」

Kさんのペースに合わせて休んだり歩いたりした。

シンガポールは多くの言語を扱う国で、Kさんは私に英語で話すし、すれ違う人に「早晨(ジョウサン)」と、広東語で朝の挨拶もする。それに続いて私も「早晨」と言う。Kさんがいるとだいぶ心強い。

「この山なんて言うの?知ってる?」
「ええ、わかんないです」
「あ、向こうから人が来る。あの人に聞いてみよう」

Kさんの社交性で、すれ違う人に教えてもらって山の名前を知る。ジャッドゥッサンと読むらしい。地図アプリには漢字で「嘉頓山」と書いてある。英名はGarden Hill。もしかして…この街にある香港のお菓子メーカー「ガーデン」はここから名前が来ているのか!いいな!

ちょっと登ればあっという間に良い景色。私が毎日のように練り歩いた繁華街や、その先の超高層ビル群も見えれば、その向こうに海も見える。中腹ですでに素晴らしく、鳥の声が美しい。

赤白ビルがお菓子メーカーGarden(右)

頂上に近いであろう地点でKさんは、しんどいのもあるのか、このあと荷造りを予定している私に気を遣ったのか、だいたい満足したのか「じゃあ私はここで降りるから、あなたは先に行ってていいよ」と私に告げる。おや、ここまで来たのに!するとベンチに座っていた地元のじいさんが「頂上すぐそこだよ」といった感じのことをKさんに言う。その言葉にKさんは最後の一踏ん張りをすることをあっさり決意。本当にすぐに頂上に着いた。

頂上には公園のようにベンチがいくつかあった。すでに何人かが普段からここに来ている風に座っていて、音楽を流したりしてくつろいでいる。日常生活にこういう山があるのはいいなあ…

そんなまったり空間に異質なオブジェがあり、裏側を見たら椅子だった。「すごいね、写真撮ろうか?」とKさんに提案され、別にこだわりはなかったけど一人旅で自分の写真を撮ってもらう機会はなかなかないので、オブジェの片目から顔を出して撮ってもらった。

落ち着かない椅子

山を下る。色々話す中でKさんは、日本語の中で"SUBARU"という言葉を知っていると話した。私は、車のことかなと思って聞いていた。Kさんは続ける。

「"すばる"って日本の歌であるじゃない。」
「"すばる"?」
「日本の歌手の歌。名前が出てこない…なんだっけ、とにかく有名な人」

私はすばるという歌を知らなかった。「絶対知ってるって!」とKさんは繰り返すが、私のライブラリには"すばる"がなく、一向にそこにピントが合わない。私にわかってもらうため、ついにはKさんはその曲を日本語で歌い始めた。すごい。でもわからない……どうしても答えを知りたくて私はスマホで"すばる 歌"と検索した。谷村新司か!谷村新司はもちろん知っているが、恥ずかしながら私は当時”昴-すばる-“を知らなかったのだ。動画を再生してボリュームを上げて聞かせると「それ!!」とKさん。

「”昴”を知らない!?」
「はい、知りません…」
「日本人なのに!?」
「知らないですねえ…」
「この曲で彼は世界的に有名になったの。知らないなんて!」
「でも私の親だったら知ってると思います」
「そう…あなたはニュージャパンね!」

ニュージャパン。そういうことにしておいてほしい。

「あなたはいくつなの?」
「34です」
「そう。私はいくつに見える?」

デリケートな難しい質問が来た。自分の親を基準に考えて素直に答えた。結果、私の予想よりも10以上は上の年齢で驚いた。この激烈に暑いなか一緒に登ってくれてありがとう、の思いだ!

私たちは街に降りた。私は荷造りがあるから宿に戻る。Kさんは「私はそのへんでココナッツジュースでも飲みに行くよ」といって街へ。最後に、お互い名前を確認するように復唱して別れた。

Kさんは明るくて、私が英語をあまり話せなくてもじゃんじゃん楽しそうに会話してくれて嬉しかった。連絡先ぐらい交換すればよかったとも思った。でも、旅先で山に登った仲なのだからお互い忘れはしないだろう。

荷造りは思いのほかドッと疲れた。旅先でときどきあることだが、疲れすぎると食欲が湧かなくなる。2日目に車を運転してくれたH君の身内がやっている餃子のお店に行きたかったが、それどころではなくなってしまった。ヘロヘロで荷物を持ったままスーパーへ立ち寄り、なんとかお土産を買った。時間は少し早いが、このまま空港へ行くことにした。地下鉄へ入る前に立ち止まってもう一度、最初にここに来たときを思い出すように街を見上げた。何日滞在しても歩き尽くせなかったこの街、しばらくさようなら。



昼過ぎ、空港着。暑さと疲労でクタクタだし、お腹もゆるい。椅子に座ってぼーっと休んでいたら、空港の職員と思われる2人がパタパタと駆け足で私の近くの椅子にしゃがみ始めた。なにかあったのか?気になってそちらを向くと2人は顔を付け合わせ、椅子を使ってなんと腕相撲を始めた。なぜ!!?なにかを賭けて勝負していそうだったが、キャイキャイ要素もあり、とにかく必死で楽しそうだった。少なくとも成田空港でこんな光景は見られないだろう。

そうだ、オクトパス(交通系IC)の返金を忘れていた…再びエアポートエクスプレス近くまで移動し、窓口に並んだ。このとき最も体調の悪さを実感した。私は水分だけはとっていたが食事をしていなかったために、貧血気味もしくは塩分不足で熱中症の手前なのかわからないが気分が悪く、立っているだけで精一杯だった。こういうときに限って窓口にたどり着くまでに時間がかかった。後ろに並んでいる人がずっと通話しながら並ぶ距離を詰めてくるので、近くで話し声が聞こえるだけでつらい。もし救護室へ行くことになったときのために、症状を伝えるための英語を調べた。貧血、英語……。

倒れることなく無事に返金手続きが済み、思い出したように自分のリュックから塩レモン飴を取り出して口に含んだ。それだけで少し元気になった。手荷物検査のあとに売店で、水と海老おかきを買った。空港価格で超高いけど、私には今このカロリーが必要不可欠なのだ…

約600円也
景色が綺麗なのにフラフラで心が動かない

15:30飛行機は香港を離陸した。行きの飛行機と違い、席一つ一つにモニタやリモコンがついていてテンション上がった。実際は操作がなにもできず、ときどきメニューが出てきて進展があるかと思いきや「Not Found」と表示される始末。外の様子もわからず、ただ箱の中で揺られるだけだった。スマホで音楽を聴きながらウトウトした。自分が作ったはずのプレイリストから、どこの音楽か不特定な音が鳴り、なんの曲だっけとしばらく聴いていたら、折坂君の「あけぼの」再録バージョンだった。その日本の歌に心の緊張がほどけて、そうだ日本には折坂君がいるんだとなんだか感動した。

そして香港を案内してくれた友人たちに、どのように礼をしたらいいか、まだずっと考えていた。私にだから優しくしてくれ、休日をフルに使って時間を割いてくれのだろうかと彼らを思うと、また胸が熱くなった。

寝ていたら軽食の温かいパンが来た。甘い。ピーナツバターのようで、しょっぱさもあり何味かよく分からないが、美味しくて久々の食事っぽいものが沁みた。最後の最後まで未知の美味いもので、本当に味の国だよなと思う。

カップかわいい!



21:00成田空港着。我が国の税関職員の態度がめちゃくちゃデカくて驚いた。こういうのはある程度の厳しさが必要であることは念頭にあるけど、厳しさを通り越すような圧を感じた。勢いのある口調で質問をされ、なにも悪いことはしていないのに自分に不備があるかのような微妙な気持ちになったが、日本に戻ることはできた。

家に向かって歩いていると一瞬だけ下水の匂いがして臭かった。それとは異なるが、香港の街の飲食店からかおる独特の匂い、臭ささえ恋しく思った。おかしいな、今朝は香港に居たんだけどな…家でいつもの日常を過ごしていることが不思議だった。スマホをいじっていたら急に8月がやってきた。



あとがき

この旅記を書いた理由は自分の思い出の記録でもあり、思い出のシェア、そして誰か一人でも多く香港に興味を持ってもらえたら最高、という思いからだ。

ずっと前から行きたいと思っていた香港だが、自分の音楽活動に時間とお金をかけたくて先送りにしていた。そうこうしているうちに香港は2019年に大きな変化を迎えようとし、多くの市民が民意を表明していた。2020年には国家安全法というものが施行されて社会が大きく変わり、約10万人がイギリスや台湾など他国へ移民。私は2019年以前の香港を見ることができなかった。今後自分は香港に行くことはあるのだろうか。いやいや、やたら高いビル見たいし、飯食いたいし、友達に会いたいし…香港の社会は変化したあとだが、知らないままでいたくない。それに友達に会いたかった。そして2023年夏、今回の訪問に至った。長くレポートしてきた通り、香港の街のつくり・食文化・考え方は面白い。記述しきれなかったことがまだまだある。それらを安心して楽しむことができたのも、社会が変わり、市民と政府との衝突がない"安全"な現在だからこそという結果だ。

この都市はこれからもきっと静かに変わっていく。エスカレーター、飲食店の回転率、ビルの建て替え、社会、なにもかもスピードが早い香港。大きいスパンの変化は、何度か訪れてようやくそれがわかるだろうか。現在がすぐに過去になってしまうならばと(香港に限ったことではないが)その尻尾を追いかけるように私は、同年12月に再訪した。そのことはどこかにまた記したい。

行った動機や理由をいろいろ並べたけど、とにかく知らない街は楽しい。楽しませてくれて、そこに居させてくれてありがとう、香港、友達。

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