入院記 DAY7

5:00 入院生活最後と思われる、朝どれ採血。今日いてぇ〜…!しかしこの看護師は針を刺すことに不安感など微塵もない様子で、むしろ針を刺すことが好き、自信があるようにも感じた。その方が安心するものだ。実力の結果は別として…

看護師たちの、いわゆるコミュ力がすごいといつも思う。幅広い年齢層の人と話して明るく接して、同調しすぎず暗い気持ちになるべくさせない。みんなのことすごいと思う。けど、相互の関心なのか、私はあまりそういう人たちと盛り上がらないというか、まあ別に盛り上がることを求めてないのだが、私とはそんなに話して楽しいわけではないのだろうなと。
それは悪いこととも捉えてなくて、面白いなって思ってる。

8:00 レントゲン。
10:00 ウトウト
10:45 主治医の先生現わる。抗生剤をやめてから数値が悪くなることはなく、もう点滴の必要もなく、明日や明後日には退院してよいとのこと。(歓喜!)ただ、これがただの虫垂炎だったのか、ほかの病気が原因になっていないかを見定めるため、再び外来で来てもらい、検査して知りたい、大腸の内視鏡検査をおすすめする、と。ヒヤー!でも、こればかりは逃げない方がいいかもな。

今日のランチから普通飯!白ごはん、生揚げ五目あんかけ、おくら生姜和え、かきたま汁、オレンジ。よく噛んで半分は食べた。すぐお腹いっぱいになる。

今日は、相部屋でこれから手術する方がいる。陽気な人だけど、初めて顔を合わせる看護師がなにかを説明して去った後に、その看護師の態度に不満があったのか、「言葉が足りない!」とひとりごとで怒っていた。手術直前も、貴重品をナースステーションで預かるというのに、頑なにそれを拒んでいうことをきかなかった。同じ部屋でその様子を聞いて、私は、胃がキリキリしそうな思いだった。耐え難いときは、そろ〜りと院内を散歩して、景色を眺める。
きっと手術前の不安が大きいのだろう。そうせざるを得なくてそうしているんだろう。私は物心ついてから手術したことないからその恐怖心がどれほどのものかわからないが、ちょっと前に健康診断の結果に落ち込んだときも、怒りやすい自分がいた。抑制がきかなかったり、人を傷つけないように(傷つけてみたくもなった)発散の方向を必死で探った。
彼女のたった数分以内の行動を見て「こわい人」として認識するのではなく、そういうことは起こり得るのだと言い聞かせた。

それにしても、ここを一日でも早く出たいと思った。

退院の日を相談するため、家族に電話した。母的には、人員のいる2日後が希望だったが、私はなんとしてでも明日には帰りたかった。妹に応援を頼んで人員を確保し、明日退院することが決まった。

14:00 点滴が解除された!!!
私を主に担当している看護師Qさんによって。抜いた針を改めて見ると、やはり、なかなかしっかりした造りをしている。

「そんな針が入ってたんですね…」
「これ実は、針じゃないんですよ」
「ええ」
「こういう、柔らかいプラスチックなんです」

Qさんは針と思われてた先端をペナペナと曲げるように見せた。細いプラスチックの管だった。刺すときはそれに針の機械を通すが、刺した後は針を抜き、管が血管に入っている状態となる。金属の針を血管に入れたままにすると細菌が発生する恐れもあるからだ。なるほどなあ。

15:30-17:00 朝が早かったからか、寝てしまった。
今日は雲が厚いのか広いのか、富士山はほぼずっと隠れていて、山頂が見えたり、夕方は裾の広がりだけ見えたり。グラデーションと雲の上には、はっきりとした細い月が浮かんでいる。おとといまでなら一分一秒のがさず見張っていたかもしれないが、今日は、退院にあたり連絡をとりながらせわしい。
宵の暗闇の方では既に、港区、新宿から池袋にかけての都会のビルたちがそれぞれの明かりを灯している。本当に美しい。その新宿の先にある修行先にも電話し、退院の旨を伝えた。

宇多丸のラジオを聴く。
「赤子の手をひねる」=簡単にできること。
しかしアフター6ジャンクションでは、抵抗する力のない赤ちゃんの手を、こっちがやろうと思えば簡単にできるなんて、道徳的にどうなの!?みたいな。言葉の使い方それでいいの!?と、この慣用句を取り締まり対象としている。代わりになる言葉として、じゃあなんて言い表すかという話になる。「…自宅の、ドアを開けるようなもの?」「自分の家に出入りするようなもの!?」と考えてて、その句を実際使うことの不自然さに笑ってしまった。

相部屋の方の手術は無事に終わり、体力を使ったのか、麻酔が尾をひいているのか、夜はしっかり寝たり、看護師と会話している。ちゃんと終わってしっかり休めててよかった。あの声はQさんかな。乳がんの支援会みたいなのがあり、手術をした患者に向けて、お手製バッグを患者にプレゼントしている。

「わざわざ作ってくれたの?」
「そう」
「うん。ありがたいねぇ」

穏やかに受け取っていて安心した。

家に電話。母が出て、よかったね、じゃあクララが帰ってくる前に美味しいご馳走を食べ尽くしておかないと…と言われる。父にかわる。今日の病院食の夕飯がうなぎ丼で美味しかったこと、明日の段取りについて話した。知ってる人と話すとやすらぐ。
病院の外の、住宅の明かりを見たり見なかったりしながら話した。


眠る前にふと、大腸の果てである盲腸や虫垂がなぜ存在してるのか疑問に思った。寝付けぬ病床で調べたところ、ラジオの子ども相談室で既出の回答があった。「人間の盲腸は必要ないらしいですが、なぜ盲腸は必要ないのですか?」という質問への解答があった。

ウサギなどの草食動物には栄養を摂るために長い盲腸があり、そのように、人間の進化の過程の中で、盲腸が重要だった時期があったが、人間にはぶっちゃけ必要ないらしい…

(抜粋)
人間は、一番最初、つまりお母さんのお腹の中にいる時に、細胞一つから始まるんですね。その時、お母さんのお腹から出てくるまでの間に、人間までの長い進化の道を、全部再現するんです。水の中で暮らしてた頃の形もとるし、は虫類みたいな形もとるし、短い間に全部再現しているの。だから、盲腸のように、進化の分かれ道にあった「あと」が残ってる、ということもあるんですよ。

宇宙開発事業団医師・村井 正 先生
TBS 全国こども電話相談室

人間の神秘すげえ…そして、自分もそこを通ってきたのかと思うと、なんだか涙が出てきた。

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