入院記 DAY1

3日前からお腹が痛かった。

おととい内科へ行き、盲腸の可能性も触れられたが、盲腸ならもっと痛いはずということで"胃腸炎"と診断された。胃腸炎は違くね…と思いながらも処方された抗生物質を一応服用して様子を見た。

が、2日経ってもまだ痛かった。

痛みで寝付けず、横になったり座る姿勢になったりした。いろいろ調べた結果、私なりに虫垂炎(いわゆる盲腸)と確信した。
友人は同じパターンで別の病院に行ったところ盲腸と診断され入院が決まったことがあるらしく、私にセカンドオピニオンの受診を勧めてくれたが、これが大変にナイスアシストだったのだ。友人は随分前に"う○こ"のつく名義でどこかのライブバーに出演したが、名前が不謹慎なのかその後は出禁になったらしい。余談だが。

そういうわけで眠れぬ私は、朝が来たら別の内科に行って大きい病院を紹介してもらうつもりでいた。果たしてそこまで待って手遅れにならないだろうか?炎症が進むと、虫垂は破裂してしまう。(ってネットに書いてあった)

朝4時。意を決して119、ではなく救急搬送の必要があるかを相談する、救急安心センター#7119に電話した。心臓がドキドキした。ビビって一回切って、もう一度かけた。コールが長く、めちゃめちゃ忙しいんだろうなあと察する。躊躇いが生じた。あっ繋がった…

「…ですか?」
 (よく聞こえなかった)

「本人です。昨日から右下腹部に痛みがあって今もずっと痛いんですけど、動けないほどの痛みではなくて、でも虫垂炎の場合、手遅れにならないうちに治療したほうがいいですよね…緊急性がどのくらいなのか、ご相談したいのですが」

安心センターの方が穏やかな声で、質問や聞き取りをした。痛みが急激に大きくなっていないことから、救急車を呼ぶ判断までは至らず、この時間に診察できる内科を案内された。それはどこも大きな病院だった。もしくは、明けて午前中に私が検討している内科に行くことを勧められた。結局自分の判断に委ねられる、なんとも言えない回答だ…

電話を切ったあと、私はまたしばらく考えた。ケチな私は紹介状なしにぶっつけで大きい病院へ行くことに躊躇いがあった。ケチっていうのかな…10月から病院の料金も値上げしたようだし。

深刻に電話している声が聞こえたのか父が起きてきて、一緒に考えたが、答えが出なかった。

冷や汗が出るほど痛くなったら受診すると自分で決めて、力尽きたのか5時とかにようやく寝ついた。(今思えば、冷や汗かくほど痛くなってからでは苦痛なため、そこまで我慢しない方がいいと思った)

8:30すぎ朝飯も食わず、最寄りの内科に行く。

「ジャンプしてみてもらえますか」

昔からお世話になっている内科の先生に初めてそんなことを言われた。いや、誰から言われても人生初。

「どうですか?」
「響きますね…右が」

続いて触診。寝そべって「痛いところを自分で押さえてみてください」と言われ命中させると、あーそこは盲腸ですねと。次に先生が押してみると、やはり明らかに痛く、虫垂炎の疑いがくっきり浮上した。大きい病院への紹介状を用意してもらうことになった。ご飯は食べない方がいい、すぐに病院へ行ってくださいと。

父を付き添いにして病院へ向かう。まさか入院するなんて思わず、そのままの格好・荷物ですぐに出た。バスに乗っている間、昔から知っているスーパーの横の下り坂に、昔からあるといった様子の小さな長崎ちゃんぽんの店を見つけた。

「こんな店あったんだ」
「うまいだろうね」

ほどなくし病院到着。

病院で発行された書類から、私が以前に受診したのは2010年・1990年であることがわかった。90年は私が2歳の頃で、喉にできた腫れ物をとるため手術したそうだ。退院時に父が迎えに行ったときの話を聞いたが、3月その日に限って東京では珍しく大雪が降り、私をおぶって歩いて帰ったという。そんなビッグイベントすら私の記憶にはすっかりないのだから、自分の人生の記憶は3歳くらいからなんだろう。

血圧、採血、心電図、様々な検査を案内され、フロアを行き来しながらようやく外科の診察を受けると、CTスキャンを撮ってくださいと指示を受けた。検査の精度を上げるために体に投入する造影剤の承諾書にサインをした。署名をするほどのものなんだと思うと怖い。

CTスキャンの部屋の前に“磁場発生中”とランプが赤くついており、なんちゅうところだと緊張が高まる。扉の中に入ると、テレビとかで見たことあるあの大きな丸い機械が現れた。はじめは造影剤なしで撮影。寝そべって人がいなくなり、動く機械と自分だけになった。機械の輪の中に入ると、撮影しているのか、輪の中が猛スピードで回転した。すげー。撮影はこれで済めばいいのだが、やはり次に造影剤を投与するらしく、説明が始まった。

「じゃあクララさん、今から造影剤を入れます。これです」

口から飲んで入れるものだと思っていたが、目の前に示されたのは、昔スーパーで見たデカいマーブルチョコの筒ぐらいのサイズの注射器でビビった。私は体重が少ないため、通常より少ない量の投入で済むと聞いてまだ安心したものだ。

「今からこれを入れますが、まれに副作用があります。また入れたあとに、最初は体が熱くなりますが、これは異常ではなく、造影剤を入れたら起こる通常の反応です」

とは言うものの、ええ熱くなんの!?とさらにビビる。ここからの撮影は、スタッフたちが常に横にいて声をかけてくれた。機械の輪に入ったタイミングで確かに体が熱くなってきた。ウオーッ!アツイ!最初はビビったが、何秒かするとその感覚がなんだか気持ちの良いものに感じた。撮影完了。検査の中でCTが一番恐ろしかった。もう採血なんて屁でもないと思ったぐらいだ。

外科医のところへ行く。なんと、外科の診察時間がすぎてしまい救急外来の方に引き継がれることに。そして、まさに今しがた別件で、人命に関わる緊急の手術が入ったところで、必要な患者を優先するため、しばらくお待ちくださいとのことだった。そう言えば、一回目の診察のときに後ろの人が忙しなく電話してた。もちろんそちらを優先してもらって構わない。

指定された待合の椅子に座った。近くには、小一ぐらいの女の子が、とても苦しそうにゲーゲーしていて、お母さんが常に背中をさすったり、袋を寄せたり、言葉をかけたりしていた。若いのに大変だねと思う。そのそばで、いつ呼ばれるかわからないまま、父と座って待っていた。一時間ぐらいだろうか。待っている間は入院するものだとは思ってもいなかった。

「ラーメンとか食いたいわ」
「……ラーメンでも食って帰るか」

父のそういう提案は、健康だったらフィール的にこれしかないという感じでストライクなのだが、状況としてはどう考えてもNGだった。

ついに外科医に呼ばれた。外科医のそばに何人も医師なのか研修医なのか色の濃いユニフォームを着た人たちがいる。なんか大事な説明がされる気がして、父も付き添いとして同席。

外科医の先生がCTの写真を見せて説明。自分の体の中身の形を見て思わず「おお」と言ってしまったが、とにかく右下腹部がほかと比べて真っ白だ。結構炎症しちゃってる。これを放ってしまうと広範囲に菌や炎症が広がってしまうし、盲腸での炎症は虫垂へ。さらには虫垂に膿が溜まり破裂してしまう。早い段階で「入院が必要です」と断言され、まさかの展開に私は笑ってしまった。私はちょっとした恐怖には一旦笑って散らす傾向があるのだ。

「もし点滴を続けてもこれが残る場合は、大腸を切除したりと手術が必要になります。でもそれは大変なので、初期段階で確実に抗生剤を効かせるために、お腹に食事も飲み物も入れないようにして、入院によって管理をして点滴を続けます。それで経過を見ていきましょう」

異論なし。しかし、ぶっつけでここから入院か。展開の早さにやはり笑ってしまうのだが、「入院だってさ」と横に座る父の顔を見ると「ショックー」と口にしていた。そうだよな。

病棟を決めるため、念のためPCR検査を受け、再び一時間待った。看護師が出てきて、PCRでネガだったことを笑顔で伝えられ部屋が決まった。この足で、言われるがまま父と共にエレベーターに乗って案内された。

場所は11階と、高いところ。あちこちふらつく癖のある父が、広い共有スペースから景色が見れることを発見し、教えてくれた。富士山が見える!!やったー。

「クララさん、こちらです」

相部屋とはいえ思ったよりも広く、安心の入り口寄り。案内されるなり早速病床であるベッド(パラマウント)に横になり、点滴の針を刺す儀。これは採血のノリで構えていたが、そんなものではなかった…この針を刺そうとしている看護師がどうやら不慣れのようで、私の血管の浮きがちな腕でも刺す場所を探していた。隣についた先輩が一緒に探して「ここ、ここ」と示し、そこに針を刺す。おおっ痛いぞこれは…顔をしかめる。どうやら失敗したようで、反対の腕に刺すことが決定した。「すみません…」いっそのこと先輩に一発で決めてもらいたいものだが、実践で経験を積んでもらわねば。私の腕で学んでくれ!ポイントが決まって針が刺さると、おおっ痛い。場所はそこで確定したようだ。色々貼り付けて、点滴が完成した。見ると、針(針なんだろうか?)は皮膚の中にすっぽり入って見えなくなって、想像以上にしっかりした作りの管が腕に固定されていた。これは、これから始まる一週間の点滴生活で体に必要な水分や養分を送り込むための大事なものだった。それは採血とノリが違うわけだ。

お父さんはもういいですよ、といった感じで父はこの場所だけ知るためについて来れたようなものだった。あっけなく、しばらくさらば。このようにして私の入院生活が始まった。
(ショックよりも、ワクワクしていた)


これから、食事はもちろん、水を飲むことも禁じられている。普段服用している薬を飲むことも禁止。別にいいんだけど、一応没収されて痛快。

私は起き上がって、景色の確認などしただろうか。父以外の家族と連絡を取り、持ってきてほしい荷物を注文した。(父は携帯不所有のため)

また横になると、白いカーテンが少しオレンジ色に光っていることがわかった。今頃きっと、富士山が夕焼けにくっきり姿を映しているに違いない!見に行こうかとも思ったが、横になっていた。実感はしていなかったが、色々な動きがあり疲れたのか、安堵したのか、そのままいつの間にか勾配の非常に緩やかなエスカレーターをくだるように、浅い眠りについた。気持ちよかった。

20:00 クララさーん、と看護師から名前を呼ばれ、荷物が届けられた。ついでに父が廊下から手を振ってくれて、一瞬で去っていった。コロで面会禁止なのだ。

21時 3日ぶりにBENが出た。

病棟は消灯し、暗くなった中で考える。お腹が空いてる今、つぎの朝、つぎの昼、つぎの夜、ご飯を食べる楽しみがないまますごすって、どんな気持ちだろう?ひとつの楽しみを諦めた代わりに、なにか別の楽しいことを考えるようになったりするのか?そう思った。

夜勤の看護師が、点滴の薬を取り替えにくる。カーテンを隔てて隣の人の点滴を取り替えているとき、看護師の影と、暗闇を照らすライトと、点滴袋の反射と、点滴の機械の青い光がカーテンにスクリーンのように写り、すごくきれいで、写真や動画に収めたいぐらいだった。

断続的に何度か目を覚まして、夢をたくさん見た。

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