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光溢れる結婚式でなくて良い

  ウエディングプランナーは華やかなイメージの持たれる仕事だ。プランナーというよりは業界全体的にそのようなイメージを持たれているかもしれない。確かにその通りである場面もある。ふたりの人間が結ばれる「結婚」という確実におめでたいシーンに立ち会い一緒にその日を作り上げる。どんな一日にしたいか?どんな衣装を着たいか?誰を招待してどんな御礼のメッセージを伝えたいか?全てが幸せな決め事だ。筆者も、打ち合わせ中に迷いすぎて行き詰ってしまう花嫁さまに「この悩みも全て幸せな迷いごとですからね」という台詞でポジティブな世界に引き戻すことがよくある。

 その「結婚式」づくりの第一線に長年いてずっと心の底で思うことがあった。

 「もし、自分が結婚式を誰かと挙げるとしたら、こんなに幸せな風に見えるのだろうか?」ということだ。

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  これだけ長い期間この業界にいると、友人や初めて会った人に

「それだけ結婚式づくりが好きなら、ご自身の結婚式は相当イメージが出来上がってるのですか?」「どんなこだわりがあるのですか?」「参列してみたい!楽しみ!」とよく言われることがある。その度に思っていた。

 「そもそもお客様たちのような幸せな光溢れる光景が思い浮かばない」


 だからずっとこの仕事に想いを注いでこれたのかもしれない。なんでそんなに人の幸せのために自分の時間を使ってでも働けるのかと聞かれたこともあった。その時は「理由なくこの仕事が好きだから」と思っていたが、本当は自分にはとうていイメージできないその日を、私を頼ってくれる目の前のお客様の願いを叶えることで投影させていたのかもしれない。

 そんな自身の想いに気付き始めてから、お客様の結婚式づくりにおいても「なぜおふたりは結婚式をしたいのですか?」という質問を必ず問いかけるようになった。筆者のように、胸の奥にひっかかった何かを抱えながら準備期間を過ごしてほしくはなかったからだ。もちろん、初めて会ったスタッフに本音を全て打ち明けてくれる方は少ないし、それで良いと思っている。まずは、私たちプランナーが「なぜするのか」ということについてふたりで考える時間のきっかけを作ることに意味があると思った。

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 個人的にこの質問を繰り返しているうちに、ほとんどのお客様が「なんとなく入籍したら(もしくはその前に)するものだと思っていた」「親にやりなさいと言われたからやります」「相手がやりたいと言っているので」という主体的に目的を考えて式準備に踏み切っているわけではないことに気付いた。

 だから悪いという意味でなく、ほとんどの人がそうだと思う。日常的に考えなければならない議題でもなければ、当事者となっても考えずに行えてしまうことでもある。考えなくても支障はない。

 ただここで筆者がわかったことは「良いも悪いも、結婚式という人生でのハイライトシーンにおいて、あまりにも興味を持ってない人が多い」ということだ。しかも、筆者が接するということは結婚式場に足を運んできてくださっている方だ。つまり、興味をそれほど持たないままなんとなく結婚式というシーンの登場人物になろうとしている。

 興味がないことに対してお金を掛けたくないのは自然な話だ。近年では、結婚生活スタート後のことを考えて式にはお金を掛けない、もしくはそれが理由でやらない、記念の撮影のみにするという人が増えている。これはコロナ渦前からの話だ。

 それでも筆者がこのようなお客様と実際に話せる機会があるということは、イメージが出来ない方々も一度は結婚式について知りたいと思い、式場に足を運んできてくれている。今は興味がなくとも、もしかしたら興味を抱くかも?いや、抱けたら嬉しいかも、とにかく知ってみたいというある程度の人口はいるのだ。

 ここで目の前のお客様たちと筆者の胸につかえていた何かがストンと同じ場所に落ちた気がした。結婚式をやりたくないのではない。むしろやりたくて来ているけれども、参列してきた結婚式やテレビ・映画で見るような結婚式シーンの中に自分が衣装を着て佇んでいる姿がどうやっても想像できないだけなのだ。

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 元々自分自身の結婚式をイメージできる・現に夢見ている人にこの話は理解できないかもしれない。ただ、おそらくそのような人は多くないのではないか。なぜなら、いわゆる結婚式イメージそのものが今の結婚式検討中のひとりひとりの価値観・日々の生活と乖離(かいり)してしまっているからだ。それを実際に体験したエピソードがある。

 筆者が10年ほど前に学生時代の友人の結婚式に参列し、そのときある男性の友人がこう言った。

 「将来結婚式をやるとしても、こんなに素晴らしく感動的にまとめられる自信が俺にはない」

 首を縦に何回も振った。参列した他ゲストもそう思っていたに違いないと思わされるほど、感動の涙を流すには完璧な条件が揃いすぎていた結婚式だった。学生時代の友人からサプライズビデオレター、新婦職場同期からの余興、新郎の教え子たちのサプライズ登場と先生(新郎)への手作り応援歌、結びに新婦の妊娠報告と新郎から謝辞に加え親御様へサプライズの手紙。

 誤解を生みたくないのだが、これらを否定しているわけではない。実際会場中が感動で溢れかえっていたし筆者も友人が引くほど号泣していた。しかし、この光景を目の当たりにした時に

 「自分は将来結婚式でこの中のひとつも出来そうにない...」

 と瞬間的に思ってしまう人の方も多いのでは?ということを言いたいのだ。

「自分もこれをやりたい!そのためにこれから色々頑張る!」と思う人は是非そのままご自身の人生を目標に向かって歩み続けてほしい。たどり着いた日は私たちのような結婚式大好き人間たちが精一杯実現に向けて努力する。しかし、筆者が気になるのは先に挙げた「自分には出来そうにない」と思った人の存在だ。

 そもそも、私たち三橋の森ラ・クラリエールが掲げているのは

 「結婚式:ふたりの日常の延長にある大切な日」である。

 10年前に誕生したときからこのコンセプトを掲げてずっと結婚式づくりを行ってきた。それに共鳴して選んでくださったご夫婦の数は計り知れない。しかし、それでもまだ「結婚式」のイメージの幅を広げきってあげられてないのではないか、先のイメージで結婚式を諦めてしまっている人がまだいるのではないかと思っていた。なぜなら、「日常の延長」を表現してもまだ感動的で幸せ溢れる内容がほとんどだったからだ。

 結婚式という節目において、今のふたりの日常を表現するということは、その日常を作り上げる基盤となったこれまでの人生まで振り返る必要があると思っている。

  この話は三橋の森の結婚式づくりにおいて何度も発信しているので今回は簡単に説明するが、私たちはスタッフ全員「人生の棚卸し」をしている。まずは自分の人生にも向き合う経験がないと、他人の人生ハイライトシーンを演出する手伝いなど出来ないからだ。その棚卸し内容を見てみると、お世辞にも「幸せな出来事ばかりの人生だったのですね」と言えるスタッフは少なかった。もしくは、きちんと棚卸しをしようとしたときに、温かい思い出とは逆の出来事の方が鮮明に思い出されたのかもしれない。普段はそれらを胸の奥に秘めて生活をしているからこそ、整理したときに棚の奥から出てきたということもあるだろう。

 つまり、きちんと自分に向き合い今の自分に至るまで・大切な人に出逢い結ばれる結婚式までの人生を表現しようとしたときに、必ずしも感動的で笑顔溢れるシーンばかりではないということだ。

 それなのに、幸せな思い出ばかりが登場する結婚式に参列すると「自分の人生とは違うルートを歩んできた人なのかな」「自分は思い出を振り返ってもゲストを感動させられないな」と結婚式を挙げることに対して自信がなくなり興味が消えてしまうのだ。当然の心理である。

 そんな想いを一度でも抱いた人に伝えたい、「大丈夫だよ」と。参列した結婚式の新郎新婦さまが眩しい人生だけを歩んできたわけではない。自分と違うルートの人生だったわけでもない。少し光溢れる思い出が多かったり、それを表現しやすい環境だっただけだ。そして私たち三橋の森では、それに気づいてから「誓わない・無理に祝わない」結婚式を独自に作り上げたのだ。 

 ではどんなことをするのか。

 「ただ、これまでの人生・感情を分かち合う、共有する」だけだ。

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  どういうこと?と思う人がほとんどだろう。共有する「だけ」とあえて表現したが、この行程こそが、新しい家族のこれからの結びつきを大きく左右する一番大切な作業である。

 そもそも、大切なパートナーに・育ててくれた家族に・兄妹に「今」思っていることを伝えることはあっても(それすら避けてしまいがちなこともあるが)、「あのときどう思っていた」ということを伝えることは少ない。なぜなら、あえて伝えなくても共に生活を進めていくことに支障がないからだ。何なら、マイナスな「こう思っていた」という想いなど口が裂けても伝えたくないだろう。

 私たちが独自に作り上げた「つむぎ式」はここにあえてフォーカスした。

「結婚式は、嬉しいし、楽しいし、すこし寂しい」

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 これは、新郎新婦さまを送りだす親族さまの本音を表現している。 

 結婚の報告を受けた日から式当日まで、長くもありあっという間だった。ついに新しい家族を築くまで大人になってしまって、いつの間にそんな他人とそんな関係性を結べるようになったのか。小さい頃はあんなに私たちの誰かが視界に見えていないとすぐ泣いたし、なかなか登園できずにお友達ができるか不安になった日もあった。そんな感じだったからいつまでも干渉的に接してしまい、うっとおしいと思われていたことも知っている。それでも、この社会が厳しいと先に知っている以上、そこに出ていく姿を見て言ってあげたいことが溢れ出てしまった。それが故に傷つけたときもあったと思う。子供を育てると自分でも驚くほど初めて抱く感情だらけで、コントロールできずにぶつけたことを今でもずっと悔やんでいる。あのときは悔やんでも悔やんでも繰り返してしまっていたから、自分が嫌で仕方なかったよ。

 親族さまの気持ちを赤裸々に新郎新婦さまに伝えることからつむぎ式はスタートする。これは実際のつむぎ式で気持ちを伝えてくださる皆さまの1/4にも満たない量だ。式の結びには新郎新婦さまがこれまでの自分の人生を振り返るシーンがある。御礼でなくても良い、感動的でなくて良い、ただ、自分の人生についてこんなことがあったとその場にいる大切な人たちと振り返る作業をするのだ。

 すると、そこに立ち会っている人々の中にある感情が生まれる。それは

「自分の人生が、この人の今日に至るまでに少しでも影響を与えていたのだな」というものだ。

 振り返るうちに、親族さまが先に話したエピソードと繋がる話も出てくる。何十年もそれについて触れたことはなかったけど、本当はお互いにずっと胸に秘めていた想いがあるのだ。そしてそれが今の自分に至るまでの価値観に間違いなく影響を及ぼしている。

 辛いこと、悲しいこと、たくさんの折り合いを乗り越えて、他人の助けを貰いながらも最後は確実に自分の手で新郎新婦が掴んだ今の幸せ。人生を共にするパートナーを見つけ、これからの困難も共に生きていく。このふたりが人生の棚卸しを共有するということは招待されている全員にとっても、他人の幸せに貢献できていたのだと実感させてくれる作業なのである。

 感動的なありがとうでもない、あのときごめんでもない、

「いてくれたから、あの出来事があったから今の幸せな自分がいます」
をただ知らせ、お互いに分かち合うという時間。

 これだけシンプルなのに爆発的な存在肯定感を与えてくれる時間は、新郎新婦さまはもちろん立ち会う人にとっても今後の人生でなかなかないだろう。

 振り返り、分かち合う。

 それが伝える相手を認めるメッセージになる。

 うん、大丈夫だよ。今のままで大丈夫。

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 自分のままで大丈夫。

 結婚式をおこなうために光溢れる思い出をひっぱりだすのではない。振り返る途中にたまたま一瞬それがあっただけ。正直に、そうでないこれまでの人生も認めてあげるだけの結婚式があって良いのではないか。


 そうすると今度は、結婚式のあとにスタートするふたりの幸せな未来を示してくれる新しい光が溢れてくるはずだ。


 三橋の森だけでなくとも他のいろんな場所で、ひとりひとりの人生をそのまま認めてあげられる結婚式が挙げられることを祈りながら

 明日からまたここに足を運んでくれる人たちを大切にお迎えしていこう。







おわり*.

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 本日もお立ち寄りありがとうございました*.  

 また次回もお楽しみに♪   

▼クラリエール独自の「つむぎ式」 


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