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人はつい「自分にないもの」の価値を高く見積もってしまいがちだけれども―長所を見つけ、作り、活かして成果を出していく方法について

お疲れ様です、pontaです。

先日、娘の高校入学説明会に参加したときのこと。

進路指導の先生が「進路選びは、高1の秋から始まります。君たちがどう生きるかは、いまのうちから考えておいてください」と語っておりました。

うっせぇお前は宮崎駿の新作かと内心毒づきつつ。

娘の生き方を決めるうえで、彼女の志望や特性、個性というのが重要になってくるので、今日はそのあたりについてオッサン、書いてみようと思います。

人間はもともと、長所を活かして生きてきた


人間にとって最良の働き方は、断言しちゃいますが、“長所を活かし、短所を使わないこと”です。

そして、もともと人間は長所を活かして生き延びてきた生物です。

原始時代のホモサピエンスこと人類は、狩猟の得意な人が獲物を追いかけ、釣りの得意な人が魚を集め、老人は木の実を拾い、子どもは水を汲む、そんな役割分担で生きてきました。


長所と短所によってきっちり働く場所がわかれていたんですね。

ただ1万年くらい前の農業開始で「個性よりむしろ、人数が大事なんじゃ~!」というふうに人間の“使われ方”が変わりました。(労働集約型といいます)

さらには200年くらい前の産業革命で「人間の長所短所で、効率が左右されるなんてクソ!誰が働いても均一な品質!同じ量だけ生産しろ!」みたいな感じになりました。(トヨタはその理想形ですね。いい意味で)


これらの働き方はいいところもあります。

「9時に働き始めて、17時に仕事が終われば、能力に関わらずお金がもらえる」という安定感ですね。

狩猟時代はどうしても「飢えたら、弱者から〇ね!」とか「強い奴がいちばん偉い!」みたいなところがあるんでね…。そんな時代、いやでしょ。

そして現代。ネットが発達し、働き方も変わり、AIも出てきて、長所と短所によって所得やアウトプットが大きく変わるようになってきました。

優秀な人がAIを使うことで、単純作業が省略でき、それまでひとつのチームでとりかかっていた仕事が1人でこなせるようになっていきます。

これまで100人が3年がかりで作っていたゲームを5人で作れるようになったり、コンサルが土日休み返上で作成していた精緻なデータを1秒で取り出せるようになるでしょう。

背景などをAIに任せられるようになれば、自主制作アニメが量産され才能発掘もすすみます。

そんな時代になり、自分の長所をきちんと把握している人はさらに伸びるし、自分の短所ばかり意識している人は、伸び悩むと思います。

近世までの農業や工業から原始時代への揺り戻しですが、とはいえ、自分が得意なことで生きているって気持ちがいいですよね。

長所は、自分が当たり前にやっていることのなかにある


そして、誰にでも長所はあります。絶対に。ただ長所はめちゃくちゃ見つけづらいです。

なぜかというと長所は「自分にとって当たり前にできること」だからです。

たとえば私は「800字くらいのコラムをいつでも書ける」とか「YouTubeやブログを毎日続けられる」とか「人生のリスクをとって新しいことをする」といったことは苦もなくできます。

ただ、これらは僕の中では価値が低いです。実は。

なぜかというと「僕にとって当たり前にできることだから」です。自慢とかじゃないですよ。

なんなら、「コンビニに行ってガムを買ってくる」よりラクまであります。「15分の価値しかない」ので。

逆に、苦手なこともあります。

「同じ作業を繰り返す」とか「知らない人たちと話す」とか「音符を読む」とかです。

僕としては、これらができる人は尊敬に値するし、ものすごいことをしているなあと思います。本当に。

僕にとってみれば「経理」なんて1日仕事なので、12時間ぶんの価値があるんです。

つまり、経理担当者は、文章を書くやつの48倍イケてるように見えます。

ただ、そういう人と話をしてみると「自分は平凡です。pontaさんの〇〇がうらやましいです」と言われたりします。

お互い、ないものねだりですね。

人はつい、「自分にないもの」の価値を高く見積もってしまいがち


人はつい、「自分にないもの」の価値を高く見積もってしまいがちです。

たとえばですが、私の長女は、自分の顔の一部が気に入らないようです。

私は彼女の鼻と口の形がいいと思っているのですが、彼女が気にしているのは、劣等感を持っている箇所のことばかりです。

いますでに持っているものの価値は「当たり前」だから低くて、別の人のいいところばかり見てしまう。

他人だと「時間の無駄だなあ」なんて気軽に思えちゃうんですが、僕自身、同じようなことをやっているんでしょうね。

能力的にも、私の長女は理科社会がニガテですが、短期集中参加型の学習塾で全員と友だちになって帰ってくるコミュ強なので、そういうところに伸びしろがあるなと思っています。

どうか、ニガテに縛られず、得意なところに目を向けた生き方をしてほしいなと切に思います。

自分と他人の得意を尊重しあって生きていけたら、最高じゃないですか?

チームの中で活きるうえでも長所が大事


社会においても、チームとしてみた場合、欠点より長所が大事です。

組織が突き抜けた成果を出すためには、平均点の集団よりも、尖った才能の連中のほうがより容易だからです。

RPGでいえば「戦士」が多少呪文を使えるよりも、体力に尖ったほうが運用しやすいし、「魔法使い」が多少の筋力をつけて物理ダメージを増やすより呪文をひとつでも多く覚えろって話です。

ドズル社で例えるなら、ぼんじゅうるさんの歌がいまより200%うまくなったとしても、トーク力が5%下がったら、彼のバリューはむしろ下がる気がします。

マーケッターの森岡さんがよくいうこれっすね。

自分も、(個人事業主に毛が生えたみたいなひとり社長ですが)うちの強みって何かなあと考えたとき「なんでもできます」だと誰も買ってくれないなあと感じます。「〇〇だけは負けません」が強いですよね、やっぱり。

長所の見つけ方

で、自分は何が長所で何が短所かわからないという人もいると思います。森岡さんは「動詞がカギ」と言っていますね。

「サッカーが好き」という名詞ではなく「作戦を考えるのが好き」という動詞に落とし込むと、自分の強みが見えやすいんです。

僕は、「集団に飛び込むこと」と思っています。

個性や長所は「相対化」から生まれます。つまり、他人と比べることで初めて見えてくるんですよね。

たとえば身長175センチあって、他人と並んでみないことには高いか低いかは比べようがありません。(オランダなら低いし、日本なら高いほうでしょう)

バイトをしてみれば、自分は料理を作るのが早いなとか、お金の勘定を間違えないなとか見えてくることもあるでしょう。

行動して、他人と比べる機会を持つと、ラクに自分が見えてきます。

当たり前ですけどね。これをせずに家でばっかり考えるから悩んじゃうんです。家で一人でグチグチ悩んでいると、「自分」&「自分」&「自分」でウンコみたいな思考になりがちなんですよね。

長所の作り方

僕は40すぎてますけど、スマホゲームのコミュニティにおいては長老です。ただ、群馬の田舎の町内会に戻れば若手です。

スマホゲーム界隈では年齢マウントとりつつ、若さという長所で戦いたければ田舎に行けばいいんです。

私は昨年12月から「信長の野望」のYouTubeを始めましたが、歴史の知識が武器になるジャンルで活動しているのも、いまのスキルを活かすためです。

ただこれがもし「歴史学会」というガチのところにいくと僕の知識はカスレベルです。場所しだいなんですよね。

「圧倒的な成長」も大事ですが、成長するのを待ってから戦うのも、ボロクソに負け続けながら成長するのも非効率だと思っています。

個人的には、いまある武器が輝く場所に行くというのを、おすすめしたいです。人生は短いので。

というわけで、私の社名は「向いている」「長所を活かす」というところから名付けました。

以上、よろしくお願いします


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