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YouTuberぼんじゅうるとブロガーpontaの、特に深くもないし長くもない関係について語ってみる

お疲れ様です、pontaです。

最近、毎日、何かを書こうと思っています。

私の口癖は「素人の全力投球より、ダルビッシュの手投げのほうが速い」というものです。

これは、素人がどんなにイキって速い球を投げようと思ってもその投げる球なんてたかがしれたものだし。


逆にほんとうに実力があれば、軽く投げてもけっこうなスピードが出るという戒めです。

どうせ自分の実力通りの球しか投げられないんだったら、どんどん投げまくったほうがいいです。

一番よくないのは、160キロの最高の球を投げようとするあまり、ボールを手でもてあそんだまま、マウンドに立ち尽くすことです。

そうやって肩を温存したまま、なんとなく時間がすぎるまま、ウデマエが鈍っていくのが一番よくない。

文章でいえば書くこと。YouTubeだったらアップすること。それがいちばん大事だと、私は思っています。

さて、今日はなにについて書こうかな。

今日はぼんじゅうるさんについて書こうと思います。

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といっても私とぼんさんは、それほど深いつながりがあるわけではありません。

年恰好の似た同僚っていうところですかね。残念ながら、彼の命の危険を救ったとか、救われたとか、幼なじみで1人の女の子を取り合ったとか、華のあるエピソードはありません。なにひとつありません。

彼との出会いは、私のドズル社入社直後、なんとなくドズルさんとぼんさんと三人で飲んだ席がそれでした。

彼が遅れて席に着いたとき、彼に対し、何か感じるものがあったわけでもなく、とりたてて面白いことを言われたわけでもなく。

その洗練された動作に心打たれたわけではなく、強烈な嫌悪感に眉をしかめたとかもなく。

では私はいったいなぜ、この文章を書いてるんでしょうか?

誰か教えてください。

記憶に残っていることといえば、その場はドズルさんのおごりだったこと。

あとは帰りの駅のホームで私とぼんさんが2人きりになり、とくに何も話さなかったけれども間が持たないということもなかったということでしょうか。

この、初めて会った人に気を遣わせず、間が持たないこともないというのは、ぼんさんの今に至るまでの得難い長所だとは思っています。そう確信しています。たぶん。きっと。いやそうなんじゃないだろうか。知らんけど。

その後、ふと思い立ち、渋谷の喫茶店で彼にこれまでの人生についてインタビューしたことがあります。

彼は困惑したように言いました。

「俺をインタビューしても面白いことなんてないよ?特に変わったこともオチもないし」

私は笑って首を振りました。

どんな人生にも歴史があり、思いがあり、軌跡がある以上、面白くないことなんてあるわけがない。

クズならクズで、料理の仕様がある。

そういう思いでいろいろとヒアリングしましたが、びっくりするほど平坦であり、ほんとうに面白くもないし、オチもなかったです。

多額の借金を踏み倒したとか、女を妊娠させて捨てたといったクズエピソードもなく、一瞬芸能界で上り詰めたとかもなく、平ら。もう。まったいら。

例えるなら、ドズニキの人生をいろは坂とするなら、ぼんさんの人生は東名高速道の静岡-豊田IC間くらい平坦さ。

いや、なんなら、帯広から旭川にゆく道程(ただし富良野はないものとする)くらいの何もなさでした。

彼くらい頭の回転が悪くなくて、行動力があって、それでいて名を成していない人は、ふつう中年になるまでに女やお金がらみの失敗をしているものです。

それらの失敗がないということは、本当にそれらの欲望に勝るくらい、いろいろ面倒くさかったんだなと思いました。

そんな彼が今ではYouTubeの人気者なわけで、感慨深いです。

彼がもし「かっこいい」のおかげでモテているのであれば、あと5年もすれば陰りは見えるかもしれません。かっこいいは減点式なので。

ただ現状、「かわいい」とか「面白い」のでモテているのは強いです。
かわいいは加点式なので。加点式には勝てんしき~(これが言いたかった)


そんな彼と私の共通点を探すと、ないんですけど、無理やり探すとふたつあります。

ひとつめは一人っ子であること。

孤独を好むために、大勢集まる飲み会や旅行にはあまり参加しません。

ふたつめは、20歳や30歳ではなんともならなかったことです。

私もですが、彼も、40を過ぎてから「本当にやりたかった仕事」でご飯を食べられるようになりました。

彼も40近くまでバイト生活でしたし、私も、年収300万円くらいで20代の後半に差し掛かったときはマジで焦りました。

どこで間違えたんだろうなあとか思いながら、日常の中に浪費される自分の若さに絶望していました。

別に何が幸せかは年収とか職業で決まるもんではないんですけど、「いま、自分がいるべきはここではないのではないか」という思いで働くくらいつらいことはないですよ。

その後、とある商社に転職して給料は満足いく水準には達したんですが、それでも自分のやりたいこととは別の職種であり、複雑な思いをかかえたまま働き続けていました。

やりたくもない仕事で成功したり失敗したり、その会社が人生の中心という人たちから褒められたり罵倒されたり、仕事に全身全霊を込めないまま老けていく己を嫌悪したりしながら。

そんなことをやっているうちに、いま、いつのまにか元ネカマとか、サングラスおじさんとかと仕事しているわけですよ。

偉そうなことを言える身分でもないんですけど、20歳で将来に悩んでたり、30歳で人生終わったとか言ってたりする人を見ると、「いやー逆にいうと、まだ、そこじゃ終われないよ?」とは思うんですよね。

死にたい夜があっても、翌朝には美味しい寿司を食べて、ご機嫌になっているかもしれない。

いまは退屈な仕事にうんざりしていても、5年後はサングラスの遅刻にエキサイティングな気持ちにさせられているかもしれない。

未来が暗いか、明るいかは知らん。でも想像を超えてくるのだけは確か。

将来に絶望した時は、私とサングラスのおじさんを見て、「生きてればようわからんこともあるかもなあ」と思っていただければと思います。

10代、20代の想像する自分なんて、たかが知れているので。

以上、よろしくお願いします。


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