長女が中学校を卒業した話
長女が中学校を卒業した。
進路も、中3初期の成績からすれば望むべくもない都立高校に合格してくれた。ありがたいことだ。
桜の花が咲き誇り、スギ花粉舞い散る校庭に、彼女の笑顔があった。
泣くことはないと思っていたが、彼女を見ていたら涙が出てきた。アレルギー的な意味で。くしゃみも出てきた。鼻もアツい。感動ではない。花粉症だ。40代も半ばにきてついに発症なのか。
その点、じくじたるものがある。
思えば彼女の中学校生活は、コロナウイルスに苦しめられた3年間であった。そもそも入学が遅れた。
時差通学により全員の顔をあわせたのは中一の秋口だったという。
マスクのせいで同級生の顔も知らない。高原教室、スキー合宿もスキップだ。そこで生まれるはずだった青春も、思い出も失われた。
学力や体力の機会損失もあったろう。
我ら中年、そして高齢者は、若い人たちの未来を犠牲にして命や健康を救われていたのだと、あらためて思う。
ただ、悪いことばかりでもない。コロナのために、都内のリモート授業の準備は急ピッチで進んだ。決まるまでは遅いが、ふわっと合意がとれたら、あとは一気に進むのが日本なんだなと思った。
みんなが「いつかやらなきゃ」と思っていたことをコロナのせいにして一気に進めた感がある。それは不幸中の幸いだ。
そして、彼ら彼女らは、リモート授業でzoom画面のスクショを撮って、好きな人の顔写真をこっそり持っていたそうだ。変わっていく世界のなかで、変わらないものもあるなと感心した。
そんなクラスの中で、娘は、謎にモテていたようだ。学校だけではない。塾のやつらはだいたい友達。受験の教室で親友を作った。卒業アルバムのメッセージは数十に届くという。
ガチの陽キャすげえなって感じだ。
僕は内省的で、心は閉ざすためにあるもので、モテってなにそれ?という逆のタイプだったので、そこは本当にすごいなと思った。
父である私の特技は「悪口」なのにも関わらず、娘は「他人の悪口を言ったら口が腐る」という哲学を持っていて、彼女の人望はそういうところにあるのかなと思う。
彼女が生まれたときにはただの赤ん坊だった。なにもできずに、放置したらすぐに死んじゃうような小さな生物に過ぎなかった。
それがいまでは、私の知らない友だち、私の知らないアプリ、私の知らないアーティスト。そして私の知らない哲学を彼女は知っている。
そのうち私の知らない彼氏を連れてくるのかな。
それはそれで楽しみだ。強がりではなく。本当に。
当たり前だが、彼女は私と全く別の生き物だと思った。もう、一人でもけっこう生きていけるやつだ。
そんな長女は、私の母によく似ている。
私の母は早めに亡くなってしまった。それからしばらく、母の夢を見ては泣いて目が覚めることを繰り返した20代だったけれども、長女が生まれた日を境にその夢を見なくなった。
長女が生まれたあの日に、たぶん私の欠けたものが埋まったんだろう。心理学者に聞くまでもなく、たぶんそう。
次女や三女と比べるわけではないけれども、それをしてくれたのは、長女だ。
私が母の亡くなった年齢に近づいてきて、私も人生の残り時間を考えることがある。すぐに死ぬつもりは毛頭ないけれども、ふっと、「今日が終わりだとしたら何をするかな」と考えたとき。
たぶんゲームでもなく、仕事でもなく、娘たちと時間を過ごすと思う。
ご飯を食べたり、遊んだり、ありがとうと言うと思う。
それくらい大事な存在なのに、普段は怒鳴ったり叱ったり、YouTubeを見たりしている。丁寧には生きられないものである。
ただこうして節目のときくらいはきちんと言わなきゃなあと思ってこうしてnoteを書いている。
卒業おめでとう。生まれてきてくれてありがとう。
苦しかった3年間だったと思うけれど、高校生活がそのぶん楽しいといいなと思う。
彼女の、そしてコロナに苦しんだ若い人たちの門出にあたり、未来がひかりと笑顔にあふれていますように。
祈りをこめて。
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