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フォロワーが羨ましい話

私はTwitterの名義とは別でこのnoteを書いている。フォロワーにはほとんど教えていないし、おそらくこの記事に辿り着くこともないと思う。

自己顕示欲のある私が何故Twitterと別名義なのかと言えば色々ある。Twitterでは口に出来ない愚痴を吐き出したかったというのもある。それに、このnoteは自分を見つめ直して、自分という人間について知り直すために始めたものだからだ。それはTwitterという趣味でしか繋がってない人間にはきっと興味のないことだと思うし、私自身私のことを知る人に内面まで入ってこられるのは正直きつい。

ネットで知り合った友人は何故か年下ばかりだ。
ネットというのは良いもので、文字のやり取りだけなら表情も伝わらないから、上辺だけの言葉を並べても相手にその通りを伝えることが出来る。
私のことを「お姉さんみたいな存在」とか「しっかりした人」だと言って貰えるのが心地よかった。友人がただ上辺だけの言葉を並べていただけでも、実際の私には程遠い評価だと思っているから、そう思われているのかもしれないと夢見るのはとても心地良い。
出来ればここのnoteに書いているような、フラフラとした思考で、とんでもなく自己中心的で、それを必死で隠して、自分を見つめ直しているんだなんてことは知られたくはない。私はしっかりとしたお姉さんみたいな人でありたいと思う。

フォロワーの友人達がnoteを使っているのを知った。
書かれているのは恋愛に関するエッセイ等。内容は色々だが、自分の思考回路を素直にフォロワーに吐き出せるのは少しだけ羨ましかった。
私が隠している内面を、フォロワーは外に出してそれでも認められているのだ。少しだけ羨ましかったし、ちやほやされていいねえ…なんて気持ちも浮かんできてしまう。


こんな自分だからこそ このnoteは晒せないと改めて思い知った。私はあくまでも年上のお姉さんみたいな人だというキャラになる為に、実際は幼稚な思考な事がバレないようにネットでも生きている。


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