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自分の喜びのためだけに生きることでむしろ苦しみが増す

一生懸命、自分の幸せを求めて生きてきて、いろんな努力をしてきたのに、一向に報われない…と気落ちして失望したことが何度あったことでしょうか。

または、少しは幸せを感じることがあったとしても、心から幸福を感じることなく、スルスルと幸せがこぼれ落ちていくかのような喪失感を味わい、強烈な不安を覚えたものでした。

RAPTブログの有料記事を読む事によって、自分の幸せを求めているにもかかわらず、何故、思ったほど幸せを感じられないのかが分かりました。

それは、自分の喜びのためだけに生きていたからでした。

たとえ、誰かに喜んでもらえるようにとやったことでも、相手は喜んでくれるどころか、かえって迷惑がられてしまう、なんてことも意外に多いものです。

また、一見、誰かのために…と思ってやったことも、その実、自分の欲を満たしたいがためにやっていることが多いことも分かってきました。

そして、「いかにラクをして得するか」という世の中の風潮に乗っかって、いつしか私も、「いかにして簡単に自分の欲望を満たして幸福を感じられるか?」ということを基準にして生きていたのです。

自分としては、自分の人生をより良くしたい、と向上心を持って正しく生きているつもりでいました。

しかしながら、RAPTさんのお話を聞いて、自分が正しいと思って突き進んでいたことが、実は間違いであったことを理解するに至りました。

自分の思いばかりを通そうとすればするほど、どんどん辛くなるのです。このことに長いこと気づけなかったのです。

では、どうすればいいのか?

この問題を解決するため、また苦しみから解放されるためには、神様を知ることを避けては通れないことを学びました。


RAPTさんのお話を聞いているうちに、自分のことばかり考えて、自分の喜びだけのためにあくせく生きることが本当に卑しくて重い生き方だと感じるようになりました。

そして、自分の願い(欲望)を叶えよう、得をしよう、という虚しい考えを持って生きることよりも、むしろ、自分のことはもういい、と自分以外のことのために、つまり神様の願いを叶えるために一生懸命走ることの方が身軽で潔い生き方だと思えるようになりました。RAPTさんのお話を聞いて強く感じました。

神様のことを知らずにいたら、いつまでたっても、自分の欲望のまま、自分の考えのままに、ただ自分だけを喜ばせる生き方しかできない貧相な生き方しかできなかったと思います。

しかし、神様のことを知った上で正しく生きるのであれば、幸せがスルスルとこぼれ落ちていくことのない、恵み豊かな、何かを失うことを恐れることとは無縁の生き方ができるようになれることがだんだん分かってきました。

時に苦しみを感じることがありますが、そういう時はやはり、自分のことばかり考えて周りが見えなくなっている時です。

自分のことばかり考えて、何かをもらったり、何かを得ることによって幸せをはかっていましたが、例えば、まずは神様が願っていらっしゃることに沿って祈ったり、自分以外の誰かのために祈ると、本当に不思議なくらいに心が満たされるようになりました。

神様を知らないときは、「あれをしたら損してしまうかも…」とばかり考えて、自分が喜ぶことだけを考えて生きていましたが、神様を知った今では、気づけばそんな考えはほとんど抱かなくなったのではないかと考えます。何かを失ったとも思いませんし、損したと思うこともありません。

とは言っても、まだまだ完全とは言えませんので、これからさらなる努力が必要です。

世の中で当たり前に認識されていることや、正しいと思っていたことが実は自分自身を苦しめ、不幸にしているということがまだまだたくさんあると思います。

何かうまくいかないことがある場合は、何かが間違っているのだと教わりました。うまくいかないことが当たり前とされている世の中ですが、これを仕方がないことだと妥協して生きるのはとてももったいないと思います。

有料記事を読めば、人生がどうしてうまくいかないのか?うまくいくためにはどうしたら良いか?と解決方法が次々に見つかります。

その時の感激をぜひ味わってほしいです!


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