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「世界平和」について

中学生の頃から今日まで「世界平和」という単語を他人の目につきやすい場所(SNSのプロフィールなど)に掲げ続けてきた。

ここ一ヶ月、個人的にも世界的にも様々な環境変化が起き、私自身の「世界平和」への価値観が大きく変わったのでそれを綴る。

なぜこれまで「世界平和」を掲げてきたか。

両極端な2つの意志が在った。

1つは、素直に平和を願う意志だ。
自身含め周りの人に「世界平和」を考えるきっかけを与えて、身近なところから平和的解決を探すマインドが波及することを願っていたからだ。
この宇宙という壮大な時間と空間の中では、人の間に起きる争いはどれも本当に本当に小さなことだ。「みんな一度頭を冷やして、穏やかで平和な解決方法を探そうよ。」というメッセージを伝えるのが目的であった。

1つは、「世界平和」を語る自分への自戒だ。
「世界平和を語るなんて短絡的だろ。そもそも語るまでもない(誰でも分かってる。やるだけ、やることを必死に考えることが大事でしょ)。」と批判的に考える自分がいた。

「世界を平和にするために貢献できている証拠は数値的にあるのか??」
「世界の複雑な課題に対して死ぬほど勉強して、死ぬほど解決策を考えている人がいる。"素直"という建前でシンプルなことだけを選り好み、思考から逃げようとしてるんじゃないのか??」
「せいぜい20数年の人生で大義名分を背負っているかのごとく偉そうに「世界平和」を謳えるほどの器なのか??」

。。。沢山の言葉が常々頭をよぎる。

複雑さから目を背けようとする自分を自戒し、泥臭い経験を積んだ上で「世界平和」を本心で語れるような人間に1日も早く成ろうと思っていた。
そのために、「世界平和」をよく自分の目につくところに置いておいて、掲げる自分への嫌悪を感じながらも、自戒の頻度を上げようという気付けが目的であった。

MAKERS UNIVERSITYへ

2月、MAKERS UNIVERSITYという熱い夢・志を持つ仲間が集う同世代のコミュニティに参加した。

かなりの時間をここでの仲間たちと過ごした。
どの人も素敵で、夢ややりたいことについて考えていて、中にはとても実績がある人もいて。
でも、自分と同じように人として悩んでいることもあったり、そんな苦悩を優しく聞いて一緒に一生懸命考えてくれたり、とにかく人間味溢れ出てる人ばかりだった。

ロシア、ウクライナ侵攻

2月、ロシアがウクライナへ侵攻した。戦争が始まった。
Twitterを見ているとニュースが流れてきて、他の色々な情報源を見てみるどうやら本当らしい。そして内情も調べてみると世界規模に発展しかねない戦争のようだ。戦争が目の前に迫っていると感じた。

心境の変化。「世界平和」を本音で語る。

同期のMAKERS生たちが掲げている未来全てに目を通した。どれも輝かしくて、運営の内野さんが仰っていた通り、たしかに日本の未来がここに在ると思えた。しかし、一つ一つ全ての未来はあくまで平和が担保された世界でしか実現できないものだった。自分の活動ももちろん。そしてMAKERS生にとどまらず歴代実績のあるメンター陣もしかりだ。
もっと幸せになろう、今の世界をより良くしようと、尊い願いが生まれ続けている皆の意思は、銃声の鳴り響く社会の中では実現できず無意味なことになってしまう。この先皆が明日を生きるか死ぬかに必死になる生活が始まるかもしれない。

そこまで認識して激しい怒りが込み上げてきた。

だから、「世界平和」が大事だ。と本気で思えた。
でも、自分は今この瞬間ロシアの侵攻を妨げるほど直接的に「世界平和」を実現する手段は思いつかない。悔しい。

でも未来は変えていくことができる、もしかしたらここにいる未来をつくる仲間たち、もしくはその周りの人が道を誤り、何かのために戦争という手段を考えてしまうかもしれない。それを止めるのは自分含め、未来を創るMAKERSの仲間たちの役目だと伝えた。
同期の仲間達に向けて「未来の平和は俺たちが作ろう」と本音100%で語ることができた。

これまで掲げてきた「世界平和」の粒度よりも、絶対にこの場で「世界平和」を語らなければならないという意味を感じることができた瞬間だった。

そんなこんなで、結局戦争が起きたことでMAKERSに関わるみんなの夢叶わなくなりそうってことにブチギレて「世界平和」を語ることが腑に落ちてきた。
つまりは、平和ボケしてただけだ。
つまりは、主語として考えられる範囲が狭かっただけだ。
今になってみたら人としての深みなんてどうでも良いなと思う、自分の守りたいもののために本気で「世界平和」を語ることも手段の一つだ。

これからも掲げ続けよう

「世界平和」



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