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【詩的感情放出】私は、ひとつだから。また歩こう。
いきどころのない感情を、ただ言葉にしたいという願望が強くなって、ツラツラと書いてみる。
自分がやろうとしていることや、向かおうとしている道が、うまく進まないことに対する憤りや焦りの心は、それが無駄だとわかっていても、どこからとなく自然と、そしてたっぷりと湧き上がってくる。
焦れば焦るほど、それは大きくなり、逃げれば逃げるほど、心にズンと重くのしかかる。
「そう簡単なことじゃないから、仕方ないよ。」
「よくよく考えてみたら、少しは進んでるじゃない。」
「焦らずゆっくり、どっしり構えていればいい。」
私が私の友達なら、そんなふうに言って、元気づけようとしたと思う。
けどごめん、そんなの全然、響かない。
「そんなの綺麗ごとだし、人ごとだから言えるんでしょ。」
「全然、進んでないよ。」
「まわり道して言い訳して、ぐるぐるまわってるだけ。」
そんなふうに自分を責めて、反論したくなる。
今の私には何をいっても無駄だ。
だって、私はスネているから。
特に「正しいこと」なんて、いちばん響かない。
だけど、だからってスネることが無駄かというと、そうでもない。
事実、そうやってスネてる自分をじいーっと見つめてみると、あることに気づく。
うまくいかないから、イライラする。それだけではない。
うまくいかなくて、手が止まる、動きが止まる。この流れが、過去に何度も何度もがんばろうとして挫折してきたモーションと重なるのだ。
そう。私の感情は、過去をとらえている。
こうやって私はまた、夢から遠ざかる。
こうやって私はまた、本当に自分がやりたいことを、投げ出してしまう。
こうやって私はまた、誰の人生だかわからない道を歩く。
人生のなかで、もう何度も何度も繰り返してきたこの「行ったり来たり」の作業に、うんざりしているのだ。
そしてこうやっているうちに過去と同じように、あっという間に時が流れることが、一番、怖いのだ。
もうそんな時間はない。
ただでさえ、時は過ぎた。
未熟なとき「まだ未熟だから」と世に出ることを恐れた。
今ではそれが人生におけるもっとも大きな後悔となっている。
未熟だからこそ、未完成だからこそ、ほとばしる情熱や不完全な自分の嘆きを表現できるのに。
そんな後悔を繰り返したない。後悔の記録更新をしている場合ではないのだ。
幸か不幸か、そういう時期を少しすぎた今も、私のなかにはそんな未熟な私がたくさんいる。
これを今、出せなかったらもう、そういうチャンスが巡ってくることはないと感じている。
少し大げさかもしれないけど、あるいは真実かもしれない。
いやむしろ、遅いとか早いとか、そんなことは関係ないかもしれない。
若いとき、誰かの言葉に埋もれた、自分のなかの大切な感情たちを、今、外に出してあげたいのだ。
それなのに、また同じように私は、滞っている。(ように感じて焦っている)
どこに行きたいんだろう?
どこに居たいんだろう?
行きつく先は、ただ、終わっていくこの人生の。その旅の途中に、少しでも美しい景色を見たい。それだけのことで、良いんだから。
もう一回、頭を柔らかくして、向き合ってみるのがいい。
私の身体は、ひとつだから。
私の時間は、ひとつだから。
また未来をみて、歩いてこう。
#詩的感情放出 #コラム #日記 #独り言
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