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就活時のメモ(広告編)

広告っていいイメージがあんまりない。作り手について考えたことがない(要するに私が消費者の目線しか持っていない)ことがかなり影響している。そもそも、広告という言葉に初めて触れたのは完全に新聞に挟まってるお店に売ってるものが載ってるあれ。母親が広告取ってと言えば、私が手に取るのはあのうるさい紙である。物の値段が載ってて、私にとっては本当にただの情報でしかない物だった。あと、テレビCMとか。これも広告ってことは分かってたと思う。子供からしたら買い物に行ってもなんの意味がない情報がほとんどだった。私にとって広告は情報だった。しかも、自分にはかなり関係のない情報。そりゃあ好きにはならんよなって感じ。YouTubeで出てくるのうざいし、押し付けられる広告は今も好きじゃない。でも、就活になれば広告ってもっとすごいものみたいな感じじゃん。テレビのCMやウェブのコンテンツとかイベントまで大きく見れば全て広告になっていたり、映画の予告とかそういったものもおそらく広告効果はあるし、私が最近好きなJO1はファンが自分たちで広告を作るし、しかもOOHなんてお手のものって感じでどでかくやってるし。なんか色々あるんだっていうのが広告。それを仕事にするってどういうことなんだろうって自分の言葉にするのは難しいけど、私は全部がウィンウィンに繋げる(つながるようにがんばる)仕事なのかなって思う。例えば私が好きなものを誰かに知って欲しいって思うとき、それをプレゼンしたり紹介したりってことがある。これをどでかくやるのが広告の仕事だって思う。私は自分なんてって思うところがあって、自分を売り出すことは下手かもしれないけど、私が好きなものには自信があるし、JO1もSexyZoneも文房具も友達も好きだし、それには理由があるし、みんなにその良さを知って欲しいしいつでも紹介しますよのスタンスで生きてるなって思う。だから、例えばクライアントにこれを紹介したいんです、この広告打ちたいんですって言われたらとことん調べたいし、自分が好きになりたいし、理想の形を追い求めたいし、って気持ちでいる。例えば今JO1のことをプレゼンしてくださいって言われたら、どうしようかな、どういう側面を伝えたら彼らの良さが最大限伝わるかなとか考えるのは楽しいし、それをしてお金を稼げるのってすごい幸せなことかもしれない。電通とか博報堂とか聞いてもなんも知らんかったしわからなかった時代、東大卒の人が自殺したニュースを見てすごい怖いイメージがあった。広告会社はそんなもんっていうのももちろん正解だと思うし、実際本当にそうなんだと思うけど、夢中になって色々考えて、大人で頭悩ませてって環境にはすごい憧れるし、生活が仕事に支配されても私は楽しいんじゃないかって考える人。でも今まで好きな広告なんて触れてきたことがなかったし、考えたこともなかった。

で、JO1から応援広告っていうのを知った。付箋広告もすごいことらしいし、47都道府県のジャックとかすごい楽しかった。今はもう昨日で終わっちゃったけど新宿ウォール456とかもいけたから、見に行ったしよかった。こうやって好きなことだとこうやって興味持てるけど、知らんことだとなかなか難しいなとは思う。なんかわからんけど、アニメとかツイステとか??見たことあるけど立ち止まったことはないし、でもOOHってかなりすごいとは思うんだよね。(中略)

話は変わって、広告の人がかなりの確率でいうものづくりという言葉について考えたい。まじでこれに関してはカッコつけてるやんって私は思ってるのですが、ものづくりってなんなんですか???まじでわからない。全てそうじゃんと言えば終わりだし、私の中でものづくりって陶芸的な、ワッパのお弁当箱的な伝統工芸みたいなイメージがあるんです。広告のことをわざわざものづくりっていう理由がわからないのと、おめえらカタカナばっか使うくせに日本人感出してんじゃねえよという気持ちになる。広告やるってそういうかっこつけに付き合うことなのかなとかも思うよ。なんかプライド高そうだし。知らんけどね。私は何を仕事にしたいんだろうか。本当にわからない。シンプルに言えば、バイトでもできるようなことはしたくない。なんか知性が問われて、そういったところでアイデンティティを感じたいし、なんか直接誰かに届く感覚はいらないけど自分が必要とされて、でかいことがしたい。多分働かないことは違うって感じてきた。多分その生活には飽きる。やっぱりなんか頭いいとか賢いって思われたいし、なんでかそこだけは譲れなくてやだなーでもある。でもそこでしか評価されてこなかったから、それしか自分にはないからって思っちゃう。可愛くなくて、愛嬌もなくて、運動もそこそこ、走るのが速くてもまあ別に何にもならないしねと言われた。絵も描けないし、音楽もそこそこ、歌も上手くない。本も読まないし、音楽のことはわからないだろうし、美術のことを理解できるわけじゃない(美術は理解するものなのか??)美味しいと食べるものを否定され、好きになったアイドルを否定され、好きな歌手を好きなことを否定され、なんだ私の人生。否定されてしかいないじゃん。悲しい。唯一期待されたのが勉強だけだった。なんなんだろう。なんにも残らなかった。私の感覚ってどこにあるんだろう。ここで死にたいとか思わない気の強い人間に育ったことだけは感謝してる。普通に取り返そうとしか思わない。でも、今からじゃ遅いんじゃない??って思う。アイドル好きだけど、表面でしかその魅力を語れない。情けないよ。顔がかっこいいとか、歌が上手いとか、ダンスが上手いとかそう言った目で見える部分しか、自分が他にいいと思ってるところがあるはずなのに、それがなんなのかわからないの。自分の価値観とか何もわからない。あーやだな。だって、親が来るから本を片付けたほうがいいかなって思った。それくらい、もうだめなんだ。多分、自分のことを信じられないし、自分がいいと思ってることを信じてるのに否定されるから。だから話したくない。もういい。って思った。「他の人はそんなふうに嫌味を言わない」って言ったら、「親じゃないからね」って言った。そうじゃないだろうがと思った。「責任がないからね」って言った。は???どういう責任の話をしてるのか、聞かせてよって思った。私が考えられない人間だと思ってる??しかも事務とかで良いじゃんって言ったくせに。それってあなたの考える責任ですか?????????????????????????????????私が子供だからそう考えるのかな。子供に事務職になって欲しい親の責任ってなんだよ。(今まで散々嫌味言われて育って、就職すら文句言われて、嫌味の根源は親の責任というのに、最終的に事務職しかわかってないような親だった。前提がそれなのに何が言いたいのかわかるわけがないだろうが)まじでなんなんですか?????????自己分析したらいつもこうなるな。どんだけ影響与えられてんのうぜーーーーーーーーーーーーーー。もっと自由になりたかったよーーーーー感性とかもっと豊かでありたかった。この先どうにかなるのかなーーーーー。私は自分の意思で生きている人が好きです、積極的に自分のしたいことに向かって行動してる人が好きです。それは自分ができなかったからかもしれない。それを一番やってる人、目に見えてその努力がわかりやすく語られる人がアイドルっていう存在だった。だから、本当に人間として憧れるとこがあるし、環境やその人の意志の強さが輝いて見える。私にはなかった世界だーーーって思う。歌って踊ること私も好きだし、真似っこしてそれでよかった。やっぱり、自分を支えてくれたのはアイドルだし、そうやって夢を叶えて高みを目指す姿って素敵だと思うし、アイドルの人がよくいうけど、誰かを元気付けたくてやるっていうことよりも私からしたらその人がしたいことを全力でやるってことが一番素敵な生き方なんじゃないかって思う。そして、そういう考えはここ(自分の過去、それでも私に希望をくれたアイドルたちの姿)からきてると思うんですよ。だから、私もそれをしたいし、やりたいことをするだったり憧れに近づきたいって気持ちはかなり強い。
やりたいことって難しいし、それが一つにまとまらないと思うんだけど。一つ言えるのは、誰かと一つのことを作るってことが好きだって思う。時間を共有したり、どうしたらもっと良くなるかって考えたり、例えばそれが結婚式ならプランナーさんなんだろうし、文房具なら企画の人とかになるんだろうね。広告業界である理由って伝え方にあるんじゃないかなって今思った。さっきまで、「天野祐吉のことば集 広告の見方 ものの見方」っていう本を読んでたんだけど、広告は結局人に伝えるってことなんだって私は考えた。その方法が映像だったり、イベントだったり、ネットの何かだったりするんだけど大体は言葉が必要で、それによって誰かに届くんだと思った。私は言葉が好きだと思う。文章を書いてても、正しい言葉を使いたいし、話す時も面白い言い回しとか、その人が一番現れるのが言葉だったり話し方だと思う。考え方とかがモロ出ちゃうし、らしさって言葉には出ると思う。だから、私は気をつけたいなーって意識してるしどんな言葉を使うかって品性の問題だとも思う。すぐ声を荒げる母親の元で育って本当に嫌だった。(ごめんこれはメモだからずっと綺麗な話し方じゃない)第一にうるせーの。冷静にえっ???ってタイミングで声がデカくなったりする。うるさいというと、何回も言ってることだからと言われる。それは理由ではないだろう。私、多分どっかで何かのスイッチが切れたみたいに感情の振れ幅がバカみたいに狭くなった。多分、その他にもいろんなことがあったけど、制御が勝つようになってきた。それって良いことなのかなんなのかはわからないし、それのせいで気が強いって思われることもあるけど、なんか全てどーーーーーでも良かったりしてる。説明が難しいが、心ここに在らずみたいな感覚になる。逆にフラットに誰とでも話せる時もあるけど、いつか常識がないと言われてしまうから学生のうちだとは思う。心の広さと興味のなさが紙一重的な言葉を見た時本当にそれだって思った。とりあえず、母親とは距離ができた。でもこれで良いと思う。なんか気を使われてたけど、知らんわと思った。経済的にまだお世話になってるのは本当に感謝しなければならないところだけど、私はもうこの一年が終われば一人で生きれると思うから。でもなあ、JO1を見てると大体家族に感謝してる。苦しいなあ。

まあ、それでさ、私は自分の好きなものとかには自信持ちたいし、良いものを勧めたいっていう気持ちがかなりある。これは本当だし、JO1も友達も私が好きなものは私の世界でとてもいいものだし、みんなその良さを知ってよって思う。これってさー、なんだろうねそのものの良さを知ってほしいのもあるし共有したいし語りたいしっていう自分のあれもあると思うんだよねーーー。でもやりたいことなんだもん。
幸せの瞬間って人それぞれだと思うんだけど、私は自分のしたいことをする瞬間。誰かとそれを共有できたらもっとハッピーだと思う。好きな人といる時間がそれの人もいるだろうし、ご飯を食べてる時がそれであったり、人それぞれだと思うけど。わからなくなってきちゃったーにこ



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