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委員会裏話 第1回 委員長Tuffyの雑筆(1)

成熟したシビルエンジニア活性化小委員会 委員長のTuffyです。
土木学会にはたくさんの委員会があります。
委員会の実施内容、メンバー、雰囲気は委員会ごとに大きく違いますが、なかなか外部からは感じ取ることが難しいと思います。
本小委員会の活動裏話を発信することによって、本委員会、委員会活動全般や土木学会、そして土木関係者の方々に対し、親しみを感じてもらえれば嬉しいと考えています。

さて、私が本小委員会に参加したのは2011年、今から11年前になります。当時は30代後半でした。会社の大先輩に連れられ、土木学会の会員でもなかった私は、本小委員会の委員となり土木学会の委員会活動デビューを果たします。当時、委員会のメンバーの若返りを目指していたこともあり、その大先輩は私を身代わりにして(?)、違う委員会の方に移っていきました。

土木学会の委員会活動を始めた私ですが、実はあまり「土木」という言葉に親しみを持っていませんでした。会社自体は土木分野の業務が多く土木学会会員も多いのですが、海外の農業開発・灌漑開発のプロジェクトに携わっていた私は「農業土木」の人間であり、土木学会とは関係のない人間でした(農業土木の人間は、農業農村工学会(旧農業土木学会)に非常に親しみがあります)。

たわわに実る千葉の稲(2022年8月)

参加してみると、当時私と同年代の大学の先生が委員長を務め、20歳ほど年上の方が幹事長として委員会を運営し、そして私の父親ほどの年齢の方々が目をキラキラさせ熱く自分の考えを協議しあっていました。お父さんたちの熱量が凄いこと! 委員会は毎月1回開催、通常15:00から2時間ほど熱く議論したのち、場所を変えて更に3時間ほど千鳥足になるまで議論する(?)のが普通でした。

本小委員会の活動開始は、私が入る4年前の2007年です。当時はいわゆる団塊世代が60歳となり定年退職を迎え始めたころでした。現場・職場の第一線でバリバリに働いていた土木技術者が、定年を迎えそのまま社会活動から身を引くのは社会の損失であり、これらシニア世代の活動活性化を課題ととらえ、小委員会が発足しました。

発足後、本小委員会では議論を重ね、シニア世代が定年退職後にNPOを通じて社会で活動することが肝要であるとの結論を得て、NPO活動への中間支援活動の検討を開始します。そしてこれらの活動は特定非営利活動法人シビルNPO連携プラットフォームの設立につながり、土木学会シビルNPO推進小委員会に受け継がれました。設立当初から本小委員会で活躍していた委員のうち数名は、活動の重心をNPO関連に移していきました。私が参加したのは本小委員会の活動が曲がり角を迎えていたころであり、その後徐々に設立時からのメンバーから新しいメンバーに代わっていきました。

当時の委員長は設立時から委員として参加されていましたが、活動が一段落した2011年から新たに委員長に就任されました。定年退職後の技術者の雇用・活動に関するアンケート(企業向け・個人向け)、土木分野に関連するシニアへのインタビューなどを実施し、シニアを取り巻く環境・考え方・活躍する秘訣などを定量的・定性的に探る活動に重心を移しました。私も企業向けアンケートやインタビューを担当しました。これらの活動は、その後委員長が変わっても受け継がれていきました。

所属する企業・組織によって多少違いはありますが、基本的にこれら委員会活動はボランティア的要素が多く、仕事が忙しくなるとどうしても手がつかなくなってきます。私に委員長の話がきたのは、前委員長・幹事長が仕事でどうしようもなく忙しくなり、委員会の運営ができなくなった2020年のときでした。当時、前から続くインタビューを活動の中心としていましたが、新しい活動を検討すべき時期にきていました。さらにコロナ禍もあり対面のインタビューは実施できません。活動方針から一新すべき時となり、歴代委員長経験者から委員長の就任を打診されました。

話をいただいた私は、二つ返事でお受いたしました。この小委員会の活動(特に会議室から場所を変えての熱い議論)が好きで、低調となっていた活動をまた盛り上げたいと思っていた頃でした。しかし、私ひとりでは委員会を運営するには役不足です。いろいろなバックグラウンドを持つ委員が楽しく活動するには、委員会の活動目的が共有されていること、活動の意義が理解されていること、そして委員会活動がしっかりと運営されることが必要です。委員会を取りまわしてくれる幹事長を“しぶさん”にお願いしたところ、快諾をいただきました。運営面でしぶさんの力を得られれば百人力です。委員会活動再開に向けて、準備を始めました。(続く)

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