シニアに学ぶ『退職後の輝き方』第13回 有岡正樹氏『五角形のコマを回そう』
この記事は、2012年~2017年にかけて当委員会で連載されたインタビュー企画である「シニアに学ぶ『退職後の輝き方』」を再掲載するものです。インタビュー対象者のご所属等については、掲載当時の肩書のままになっていますので、ご留意ください。
NPO 法人「社会基盤ライフサイクルマネジメント研究会」理事長
1943年生まれ。1969年(株)熊谷組入社、大阪で地下鉄の建設に従事後、
オーストラリア、パプアニューギニアでの海外勤務を経て、エンジニアリング本部に10 年間所属し、本部長、執行役員副本部長を歴任。建設省、内閣府などで日本の PFI 推進に貢献し、複数の大学で客員教授、講師を務めた。
インタビュー日: 2015 年 1 月 16 日
聞き手:山崎廉予,山登武志,高橋麻理
「Re-エンジニアリング」の考え
これまでの経歴を教えて下さい。
大学卒業後は12年間大阪の地 下鉄工事現場で、掘削残土を埋め戻しに使用する工法を研究しました。材料のリサイクルや施設の修繕管理、リハビリテーションも含めた「Re-エンジニアリング」を意識していました。その後8年間、シドニーのハーバートンネル建設工事など、南太平洋地域での海外勤務を経験しました。
退職後の主軸は、大学教育とNPO法人の運営です。1999年、日本にPFIを導入するにあたり、政府の委員会や、政策論の作成に従事し、各大学で講義もしました。特に立命館大学では、MOT (Management of Technology)の学 科設立に尽力し、客員教授として 研究室を構えて指導も行いました。
大学教育に区切りがついた66歳の頃、「Re-エンジニアリング」の考え方に社会基盤のライフサイクルを含めたNPO法人を立ち上げました。私が建設に関わった施設も耐用年数を迎えています。これ らの施設を長寿化させ、次の世代に引き継いでほしいというのが立上げの動機でした。
官でも民でもない立場
現在のお仕事の内容は?
NPO法人立ち上げ2年目の東日本大震災の際、行政や民間企業とは別の立場として、瓦礫処分の方法を提案しました。時間とコス トがかかる分別処理を最小限にし、丘や堤防の造成に使用する手法を、維持管理まで含めて提示しました。廃棄物から有害物を除き、津波汚泥とセメントを混合したソイ ルモルタルに封じこめ、防災・減 災のために有効利用できます。しかし環境省の方針により、現行法 通り分別処理することになりました。そこで、この技術を南太平洋の島 嶼国で津波の避難用に適用できないかと考え、トンガ王国へも提案しました。ヘドロを使い長寿命の防災・減災施設整備をするというプロジェクトです。ワークショップ などを開催し、実現に向けて尽力している最中です。
祖父、父の意思をついで
土木を志したきっかけは?
祖父が工務店を経営していましたが倒産してしまいました。父は、後を継ぐ予定でしたが断念し、教員になりました。押入れに仕舞い込まれていた測量器具やT定規などに幼い頃から触れており、土木に興味を持っていました。親や親戚の8割くらいが教員でしたが、土木の道に進むことを父に話すと、自分の夢を継いでくれることを喜んでくれている様子でした。「黒部の太陽」という映画の刺激を受けたことも、きっかけのひとつです。
存在感を示せる技術者に
思い出深いプロジェクトは?
1984 年から始まった、オーストラリアのハーバートンネル建設です。ハーバーブリッジが満杯になり、ハーバートンネルを建設することになりました。建設だけではなく、運営、資金回収までを請け負うBOT(Build-Operate-Transfer)の手法を採用しました。建設に5年、維持管理と資金回収に 30 年という35 年間の大規模な仕事です。市場(通行料と通行量の相関)、設計施工方法、維持管理法、資金回収の方法、これらを達成するための制度の整備、全てのバランスを整えないと、長期間の仕事はできません。私流に言えば、五角形のコマ(特別編参照)を回すということです。数十年先まで見通し、リスクを最小限にすることを意識し計画しました。
1993 年、シドニーオリンピック決定の際には、名指しで感謝して頂けました。何年経っても覚えていてもらえ、存在感を示せたことは、技術者にとって幸せなことです。
2020 年で開通から 30 年です。今のところ、資金回収は順調です。
心に残るエピソードは?
1985 年、ハーバートンネルの契約が迫っている中、銀行から融資条件でクレームがあり事業から撤退寸前になるというピンチがありました。すぐに帰国し銀行へ行き、事業が成功した際の利益と、失敗した際の最大の損益を隠さず正直に説明し、契約を続行することができました。マイナスのケースを
含め、綿密な分析結果を示したことで、信頼されたのだと思います。
オーストラリアから帰国後、大阪の地下鉄工事に携わりました。海外での徹底したリスクマネジメント認識が身に付いており、シールド路線と旧河川橋台基礎杭との関係や被圧水漏水対応など、回避・減少・転嫁の様々なリスク対策で難しい工事を乗り切ったときは、技術者冥利に浸りました。
3年サイクルで仕事し、25年サイクルで生きる
仕事上で必要なスキルや考え方は?
意思疎通の手段としての語学、様々な人種の考え方の基本となる歴史、解析や設計のための数学がスキルとして必要だと思います。
仕事では、いつからか 3 年サイクルを意識していました。『起承転結』がベースですが、次にすること『起』を考えながら『結』にいくことで『承』へ直接繋げられ、『承転結』のサイクルができます。もっとも、海外にいた際は『始』を含め 4 年は頑張る心構えでしたが、1 サイクル増え、7年余仕事をしていました。
仕事は何歳まで続けますか?
75 歳までです。人生を、25 年×3+α の春夏秋冬に見立てています。大学院の 25 歳までを『青春』、主体となって最前線で働いた 55 歳までの30年間を『朱夏』、退職後、経験を生かして働く 20 年間を『錦秋』と捉えました。外に働きかけることを終える 75 歳以降は、‘α’の『白冬』として自分自身の時間にしようと思います。これは、白いキャンパスに雪で絵を描くようなもので、他人に見えなくても、自分だけがイメージで見えていればいい時間です。
日本人は周期が長い
社会的な障壁を感じたことは?
日本は 80年周期説と言われるように、大震災や戦争などが積重なり、どうにもならない状況になってやっと振り子が反対に触れるという歴史的な背景があります。これは、日本人の DNA で変えられないのかもしれません。その点海外は、新しい提案や、外国人の提案も理に適えば受け入れてくれます。PFI の導入は日本の提案で、1985年に香港、1986 年にオーストラリアが先陣を切って実行しました。
大切なことは絞り込む
次の世代へメッセージを!
NPO 法人のいいところは、一つのミッションにより立ち上がり、終わったら解散し、また別の目標に向かって行くという柔軟さです。次の世代には、何をしたいか議論をさせ、その後、思いを伝えることを心がけています。
また、問題解決の答えが無数にある今の時代、一つの方向に絞り込む意識が必要です。これには、ある種の「勘」も必要です。土木の仕事の魅力である『自分がつくったものがそこにある』という思いを持って、「勘」を磨いていって欲しいです。
(文責:山崎 廉予)
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