創作者って、基本的に「何かをこじらせてる人」だよね。
OSTER projectという人の創ったVOCALOIDの曲に、「フレンドシップ」という曲があります。女性同士の恋愛感情のことを歌った歌、俗に言う百合ソングなのですが。この曲、初めて聞いた時からとても気に入ってまして。今も飽きずに聞き続けています。
この OSTER project という人は、初音ミクという VOCALOID がニコニコ動画でブームになった当初から活躍していた人で、いろいろな曲調の曲とOSTER節とでもいうような特徴的でやたらややこしいメロディ、あとちょっと乙女チックで可愛らしい歌詞が特徴的な方でして。
私はこう、Jazzっぽい曲調の曲が好きなんですが、Jazz調の曲って意外と耳にする機会が少なくてですね。「なんかJazzyな曲を書く人がいる!」と喜びながら、ニ、三年くらいの間かな、彼女の創った曲を聴き続けていた時期がありました。……まあ、なんだかんだで VOCALOIDのブームが落ち着きを見せ始めるのにともなって、少しずつ聴かなくなっていったのですが。
そのあと、書店でなんとなく手にした小説で「小説家になろう」というサイトのことを知って。で、何を間違えたのか小説執筆なんてことを始めて。宣伝半分でツイッターも始めて。で、誰をフォローしようかなとか考えていたときに、ふと昔のことを思いだして、久しぶりに彼女の曲をいくつか聞いてみて。昔のままの懐かしい曲調とOSTER節、あと当時とはまた違った雰囲気の歌詞に、懐かしさ半分、新鮮さ半分な気持ちになりながら、色々と曲を聴いていって……
――で、この「フレンドシップ」という歌に出会ったわけです。
今でも、ふと思いだしてはこの曲を聞いたりしています。ええ、私はこの「十分に発達した友情は、恋愛と見分けがつかない」というテーマの歌が、本当にお気に入りなのです。
◇
このフレンドシップという曲を何度も聞いている内にふと、こんな恋愛を書いてみたいと、そんなことを思ってしまいまして。……いえ、正確には違いますね。過去に書いた作品を少し手直しすれば、こんな感じの百合作品になるのかなと、そんな気がしまして。元々自分は恋愛話が超苦手な人ですからね。「良い恋愛話(しかも百合)」が書けるかもなんて思ったらね、つい試してみたくなるじゃないですか。
で、『故郷の小さな神社の境内、篝火の前、昔なじみの「友達」と。』という作品を元に、『故郷の小さな神社の境内、篝火の前、昔なじみの「親友」と。』という百合作品を書き上げてみたのですが。
……そうですね。正直、書き上げた当時はその出来に満足しましたし、今も決して悪い作品じゃないと思っています。それでも、振り返ってみると思うのです。新たに書き上げた「親友」は、「フレンドシップ」という歌に刺激を受けて書いた話なのに「十分に発達した友情は、恋愛と見分けがつかない」というテーマからは外れた話になったかなと。あの作品で書いた感情は、はっきりと「恋愛感情」なんですよ。
まあ、「十分に発達した友情は、恋愛と見分けがつかない」というテーマは OSTER project という創作者の持っていたテーマですし、私がそのテーマで書けないのは何の不思議もないことだと思いますが。ただ、同時にこんなことも思ってしまったのです。
――「十分に発達した友情は、恋愛と見分けがつかない」というテーマにふさわしいのは、刺激を受けて書き上げた「親友」の方ではなく、むしろ元になった「友達」の方なのかなと。
つまり、私は私で、「十分に発達した友情は、恋愛と見分けがつかない」というテーマで男女の仲を書き上げるだけの「何か」を持っていて、その何かを刺激されて百合作品を書こうとした。だけど、私の中にはそのテーマで百合作品を書きあげるだけの「何か」がなかった。だから、「親友」の方は、違うテーマの作品になったのかなと、そんな風に思う訳です。
そう考えると、自分のことなんですけどね、本当に興味深いと思います。
◇
「思春期の困難な時期に、風景の美しさに自分自身を救われ、励まされてきたので、そういう感覚を映画に込められたら、という気持ちはずっと一貫して持っている」
新海誠というアニメーション監督が、過去にインタビューで語っていた言葉です。そうですね、実際、彼の作品を見たことのある人はこの言葉に納得するのではないでしょうか。それほどまでに、彼の作品に出てくる風景描写は素晴らしいと思います。
――ですが、あの人の描く風景には、その美しさとは裏腹に、とても残酷なものが多いと感じます。
彼を一躍有名にした「君の名は。」は、彗星の織りなす天体ショーに見惚れるシーンから始まります。ですがその彗星は、「君の名は。」という作品において、ただ美しいだけの存在ではありません。同時に、あの彗星を「美しいもの」として描いた新海誠という人は、本当に凄いし、同時に、とても「らしい」と思うのです。
この作品は「風景の移り変わりを追いかける人の物語」として見ると、とても興味深いと思います。夜空を彩る彗星や数多くの風習を今に残す田舎の風景を始めとして、実に様々な「美しい風景」が登場し、……そして、その「美しい風景」は、物語の中で、全てくつがえり、失われます。
夜空を彩る美しい彗星の風景は小さな田舎に襲いかかる災害となり、過去から伝え残された風習によってかろうじて難を避けることのできた人たちは、故郷を失い散り散りになる。過去から続く風習は災害を予見したもので、その風習は糸守という田舎の「美しい日常の風景」になっていた。そんな風景が、災害から人々を救ったと同時に、まるでその役目を終えたかのように、消えてなくなるのです。
――新海誠という人は、何を想ってあの作品を創り上げたのでしょう。少なくとも、その風景は物語の都合で失われた訳ではないと思います。だってあの作品は明らかに、「失われた風景を追い求める物語」として作られた作品でしたから。
思うに、新海誠という人は、風景の美しさに対して本当に思い入れを持っていて、だからこそ、その風景に対して「何か」を込める。でも、それはきっと、ただ綺麗であれば良いというものではない。同時に、その「何か」があるからこそ美しい風景になる、そう思うのです。
――新海誠というアニメーション監督は、「綺麗な風景」を書きたいのではない、「美しい風景」を書きたい人なんだろうなと。
その美しさの元になる「何か」はきっと、自分自身を救った「風景の美しさ」が元になっている。そして、それを追い求めるからこそ、寂しさ、儚さ、残酷さも一緒に込めてしまうのだと思います。
――自分の描く風景を、単に「綺麗な風景」にしないために。
まあ、それでも、「救われ、励まされてきた風景を込めたい」と言いながら「君の名は。」という作品を創り上げるのは、どこかこじらせてるような気がするなぁと、そんな風に思うのですが。
◇
思うに、創作者というのは基本的に、何かをこじらせているのです。誰もが綺麗だと思うものを綺麗に書いたって、それは綺麗なだけで終わるじゃないですか。「綺麗だね」で終わって、読み終わったら忘れられる。……そんなので満足する「創作者」はいないと思うのです。
――創る側も見る側も、どちらも「綺麗さ」を求めている訳じゃない。「何か」を見たいのです。
それは美しい「何か」かもしれないし、心に残る「何か」かもしれない。それはありきたりではいけないものだと思いますし、珍しければ良いというものでもない。
創り出すものがありきたりではいけない。だから、その「何か」は自分の中から取り出したもの、自分の中で育てた何かじゃないといけない。人の心を動すまでに育った「何か」でなくてはいけないのです。
友情と愛情の境目も、励まされるような美しい風景も、どちらもテーマとしてはありきたりなものです。だけど、「フレンドシップ」も「君の名は。」も、どちらもありきたりな作品ではないと思います。
――ありきたりなテーマをありきたりな作品にしない「何か」が、そこにはあるのだと思います。
◇
まあ、OSTER projectという人は本当に色々とこじらせてる人だとは思いますが。あの人、「くじらライダー」というとてもかわいらしい曲調の百合曲も書いています。くじらになるまでじゃれあいたいだとか、そんな感じの歌なんですが。……くじらって潮を吹く生きものですよね。そんなくじらになってじゃれあいたいって、もう、際どいにもほどがあると思うのです。……っていうか、「指に絡まる潮騒」って何だよ! 潮騒は指に絡まねぇよ! 大体、くじらライダーという曲名もアレだよね、そんなくじら(しおをふくいきもの)の上に乗って、一緒にどこかにいきたいと、そんな意味だよね。
もうね、どんな発想力なんだろうと思うのですよ。本当に色々とこじらせてて、見事な上級者になっていると、そう思う訳です。……昔はそんなことなかったと思うんだけどなぁ。十年も経つと、そんなこともあるのかなぁと。
――でもまあ、創作者なんて色々とこじらせてるものだと思いますし、それで面白い作品を量産してくれるのなら、その方が良いのかなと。気がつけば私も、そんな風に思うようになってしまいましたとさ、まる。
最後に
本エッセイで話題にあげた短編二編を紹介しておきます。
なお、「BL」「百合」「TS」「ノクターン」「ムーンライト」「ミッドナイト」という単語に該当する作家さんはみんな上級者さんだよねと、私はそんな風に思ってたりする人だったりします、まる。
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