メルカリデビューと市場経済の話



今更ながらメルカリにはまった。
9月半ば以降に初の出品をして、それからはまってちょこまか売り(このちょこまか、がメルカリの特徴だと思う)、今はちょっと落ち着いているところ。

相当今更である。

思えば、アカウントだけは割と早い時期に作った。飛騨に来る前なので、もう8年前?もっと前?とにかくよくわからないくらい前に作った。「メルカリっていうのがある」「へー」っていう、そういう会話が成り立っていた牧歌的時代に、アカウントだけ作った。

あれよあれよという間に日本人のデフォルトなフリマサイトとなり、子どもも売ってる、簡単だからやったほうがいい、等、周りもみんな言うようになり、「副業」と並んで「メルカリで売る」ことが「お金を得る手段」として並列で言われるようになり、断捨離の手段として必ずあげられるようになり、友人なんぞは「仕事がなくて不安なときに(←フリーランスだからw)、メルカリでモノを売ったら気持ちが落ち着いた」なんて言っていた。タワマン住んでるくせにメルカリでもの売って気持ちを落ち着けるって何。。

とにかく、やってはみたいなー、となんとなくは思っていた。
が、どーにもめんどくさくて、なんだかよくわからなくて、放置していた。

でも売りたいな、いつか売ろう、というわけで、なんとなく、「これは売りに出したらいいのでは」というものは捨てずにおいておく、ということをなんとなくレベルでしてはいた。(で、押入れに不用品が溜まっていた。)

…というだらだら期間(数年)を経て、今秋初のメルカリデビュー。

というわけで、アカウントだけは持っていたが使ったことがなかった状態だった。
一番初めにモノを出品した(本を出品した)ときは、出品したものの、IDやらパスワードやらわからなくなって再ログインできず、カスタマーサポートに問い合わせ…という、めんどくさいステップを踏む羽目になった。
初心者はこういうところで躓いて萎えてしまうが、とにかく今回は、まずは本を売るぞ!と宣言したこともあり、サポート問い合わせ、返事待ち…というメンドクサイステップも乗り越え、晴れて私はめでたく「メルカリでモノを売るデビュー」を果たした。

最初に出品した本は、カスタマーサポートにログインの方法を問い合わせている間に売れていた。早っ!!

売れるスピードにびっくり、なんとか家にあるプチプチ封筒に入れて、セブンに歩いて向かい、店員さんに聞きながら、発送。

やり取りメッセで、
「初めてのお客様です」
と書いたら
「初めてのお客様(に)なれて光栄です!」
と返事が来た。w
メルカリ界、意外と良い人が多いな。

というわけで、それからまずはもう使わない本を立て続けに出品、その後いろいろ出品…たまに心温まるやり取り…(こちらが売る際も買う際も)して今に至る。
今や前述の友人に発送方法を教えるまでになり、恐らく近所のセブンでは「毎日メルカリ発送を複数個する人」と認識され(1個だけ発送したときに「これだけですか?」と言われたことがあるw)、これまで70個ほど販売・購入トランザクションしたらしい。(うち3個は購入行動、なので67点売った模様)。毎日のように何か発送していたが、今は若干落ち着き中。

さて、やりたかったけどやっと動いた!というのも大事なんだが、
やりたかったのになぜできなかったのか、という話をしたい。

なぜできなかったのか。よくわかんなくてめんどくさかったから。

めんどくさいとは。
まずは梱包をどうしたら良いかわからなかった、というのがあった。
100均に行けばメルカリ用と思しき梱包材が売られ、コンビニや郵便局にもメルカリ用の箱だの、バーコード印刷機だの、なんだかよくわからないものが並び、これらを全部知ることは、とてつもない労力、という感じがした。

また、何より私からメルカリデビューを遠ざけていたものは、
「そんな労力かけても、割に合わない」
ということであった。
本に関してはこれまでに段ボール箱に詰めてブックオフに一気に出していくら!っていうことは何度かやっていた。
これはもう、お金を得るためではなくて、モノを減らすため。
モノを減らす目的であれば、一冊ずつチマチマ写真を撮って説明文書いて、人とやり取りして、梱包して、発送して…
って、「労力かかりすぎ!!」
そんなことは「割に合わない」と思えた。
多大な労力をかけて、多少モノを売って、送料手数料引いたら残るのは雀の涙程度。チリツモでも数万得たところでなんになろう。
というか、数万なんてちょっと働いたら得られる額じゃないか。
だったら、チマチマ労力かけるより、捨ててしまった方がなんぼ早い。そっちの方が「割に合う」行動だ。

ということで、実際、キレイだがもう読まない本をリサイクルボックスにバーッと廃棄(チラシやカタログとともに)したこともあった。

今それを大後悔中(大した冊数ではないのにw)
ああ、捨てちゃったあれ、メルカリに出してたら絶対売れたのにな~…と…

さて、一冊目そっこーで売れたことに味を占め、まずは本を出品することからやってみたら、まー良く売れた。(結果毎日セブンに通い詰めることになった)

そして、これにより、予想外のことが起こった。
私の世界が一気に広がったのだ。

いくつか挙げてみると

・朝散歩の習慣がついた
メルカリ発送のために、歩いて片道10分のセブンまで行く、という行動を取るようになり、それを毎朝の散歩に位置づけてみた。朝6時半くらい。7時を過ぎると、もうどうやらみんな仕事を始めるらしく、一気にがやがやしてくるので、できれば7時前に家を出るのが良い感じ。そして、散歩のために、毎日決まった時間に起きるようになった(私は「勤め」てないので、決まった時間に起きる必要がないのだw)。

そうすると、これがまあ気持ちよかった。毎朝変わる季節の移り変わりが感じられるし、日の長さも違うから本当に毎日景色が違って飽きない。この時間だと犬の散歩か年配の散歩か、みたいなのに出くわすのも面白い。今日はどの犬に遭うかな~、とか。
そして、歩いていると気持ちがいいだけでなくて、思考が活性化する。頭がいろいろ動いて、発想がしやすくなる感じ。京都の「哲学の道」は、なるほど散歩していると哲学したくなるのかwと合点がいった。あと、気持ちがいいので、むやみになんだかポジティブになってくる。とにかくこんなきれいな景色が見られて私はなんて幸せなんだ!と。別に変ったことは何もないんだけれど。とにかく、自分の足で歩けて毎日移り変わる季節を感じて呼吸できることがこの上なく幸せ!と思えてくるのである。

もちろん健康にも良し。ていうか健康のためみたいなもんですけど。でも単に「健康のため」だけだったら続かないと思う。単純に気持ちが良いのだ。

そんなわけで、メルカリで売るものがなくても散歩は続けているし、散歩のネタが得たいがために、メルカリで売るものも利益はどうでもよい、という感じになり、利益ほぼゼロでも出品している。

・世の中の仕組みがわかる
仕組み、というとちょっとビッグワードすぎるけどね。
メルカリに出して、すぐ売れるものといくら安くしても売れないものがある。安いのにそれでも値切ってくる人のタイプとそういう財、安くもないけど値切らずに買われるタイプの財。本で言うならば、すぐ売れたものは手芸系の本とナチュラル系料理の本。対して全く売れないのは、昔はやったビジネス本…。つまり、ビジネスものはそれだけ移り変わりが早いということだ…。同じころの発行、例えば2010年ごろ初版の本だとすると、料理本や手芸本は売れるが、ビジネス本は売れない。「古典」レベルにまでなるものは別だが、恐らく割合的に少ない。そもそも読み返す価値のあるものは売らない。
これ、人間も同じでは…「流行りのビジネススキルつけました!」と言っても、みんなが「出品」していたら、違いわからないし、流行りはすぐ陳腐化してしまう。流行りに乗って資格とったりセミナーに出たりして、「俺・アタシすごい!」って思ってるようだが人の言うことばかり繰り返すだけで自分の意見がなく、中身がない人とか…割といるような気が…それは売れなくなるビジネス本と同じでは…後々も値下がりしないよう、人間としての価値をあげなければ…。

本以外だと、とにかくジャンク品が売れる。「ジャンク」とつけたほうが、つけないものより売れるのではというくらいだ。特にApple製品の売れ方はすさまじい。Appleのブランド力をここでも実感。直して売る人がいるらしい。あとは分解練習なるものをする人もいるそうな…。ジャンクものを5点くらい出品した日は、出品した瞬間、購入音が鳴り響き、一日やりとりと発送作業に費やした。「ジャンク」としたものは全部売れた。そして、例えば「バッテリーチャージができません(ので「ジャンク」扱いで出品します)」と書けば、「どういう状態ですか?」と詳しく症状を聞いてきて、「それなら買います」と速攻…ということは、おお、この人は直せるんだ!(メーカーも修理は受け付けていないので私はなすすべもなし。)すげーー!!かっこいーー!!姿も形もわかんない人だけど、デブでハゲのオタクかもしれないが、いや、私自身、もう、見た目なんてどうでもよくなっている歳だ。とにかく、直せる技術があるだけでかっこいーー!! そして、実際、直したと思われるものを出品している人もいる。すげーー、これで生活できる?時代なのか…。てか、今時はもう、モノを買うより、こうして、モノを直してリサイクル、アップサイクルする時代なのではないか?もっと言うと、田舎だったら、近所の人の要らないものもらってきてメルカリで売るだけで生活できるのでは?(食べ物もらえるし、家も空き家だらけだし。)今時はモノをどう手に入れるかより、どう捨てるかでみんな悩んでいるのだから。

さて、こんな感じで、散歩の習慣に哲学?の習慣に妙な幸せ気分に、世の中のしくみのわかる面白さ、社会とつながってる感(購入時の知らない人とのやり取りで)、未来を考える希望(←要らないものをアップサイクルするビジネス妄想??)までを私はメルカリを始めることで得たわけである。
メルカリとは、ただの「断捨離の手段」「不用品でお金を得る手段」ではなかったのだ…。

で、ここからが本題である(←こんなに長く書いて、まだ、本題じゃなかったw)。
私は、これまで「割に合わない」という理由で、メルカリを始めることができなかった。
結果、これまでは、先ほど挙げたような「価値」を得ることなくいたわけだ。
これってつまり、「割に合わない」と経済的尺度のみで判断すると、同時に得られたはずの「お金以外」の価値を得る機会を逃してしまう(ことが多々ある)、ということなのではないか?
(これは経済学で言うところの「市場の失敗」というやつ??)

仕事や世の中のいろいろなこともこれと同じことが起こっているのでは?
ビジネスだと、なんでもお金次第。お金を提示されると、「この金額ではここまで」という感じで、予算で内容を決めざるを得ない。予算がこれしかありません…といわれ仕事の質を下げざるを得ず、結局よくわかんないアウトプットになり、やっていても面白くない上に価値も低くて、こんなのやらないほうがよかったんじゃ?という結果になるとか…。
面白そうだけれどお金にならないものより、超つまらないブルシット・ジョブだけど金額が高いからそちらを受けてしまうとか…。
まあ、ひくい予算のプロジェクトに多大な労力入れて、ということをしていたらただの搾取され状態になってしまうから続かないわけだけども…。

何であれ、「お金にならないからやめよう」というとき、本当はそこで得られるはずだったお金以外の価値を捨ててしまっているのかもしれない。

というわけで、お金はもちろん、大事だけれど(お金は欲しいけどもw)お金以外で得られる側面も世の中にはたくさんあり、そこを含めた判断が大事なのだな、と思った、という話。

メルカリから広がりましたww


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