邪気ちっく

 「中二病」という言葉をご存知だろうか。「病」とつくものの、本当の病気ではない。思春期を迎えた子どもに起こりがちな思考や言動、行動を指してこう呼ばれている。

 例えば、妙にかっこつけたくて急にコーヒーをブラックで飲みだしたり、「所詮、これが世界なんだ……」とか呟いてみたり、「ふっ、どうせお前にはわからないさ……」なんてニヒルに去ったり、難読文字を使いたがったり、程度の差はあれ、そんなことをやってしまう。

 成長するにつれてだんだん物事を知り、こんな言動や態度もなくなるそうだ。だが、中には歳を重ねてもそんな風に振る舞う人たちがいるらしい。

 特に「邪気眼使い」と自称する人たち。彼らを見る度に、私はいつもうらやましく感じてしまう。
 だって彼らには邪気眼などないのだから。彼らを追う機関もいないし、魔法のような力も使えない。彼らが帰るべき魔界だってない。
 だから、安心して「邪気眼」を使っていられる。

 ため息をついて、私はトイレの個室の中でそっと制服の左袖をまくった。きっちりと巻かれた包帯にはじんわりと血がにじんでいる。
 鼓動が速くなる。私は袖を下ろしてぎゅっと強く腕をつかんだ。
「最近……間隔が短くなってきたなぁ」 

 私の中で息づく「もう一人の私」は、数年前から時おりこうして存在を私に知らせてくる。
 「彼女の声」が聞こえてくることもしばしばだ。
『クラスのみんなが嫌い……?』
 嘲笑うかのような声に、誰もいないトイレで私は一人呟く。
「そんなことないよ。みんな優しいもの」
『優しいけれど、それは偽りの優しさ。あんなクラス、燃やしちゃえばいいのに』
 それを少しでも想像してしまった自分が嫌で、怒気を強めて腕に爪を立てた。「ふざけないで。そんなこと……っ!」
 ふいに、女子のおしゃべりが聞こえた。トイレのドアのすぐ近く。続いてドアがきしんで開いた。
 「もう一人の私」が存在を消し、私も息をひそめる。私がここにいるなどと、気づかれてはならないのだ。
「そういえばマナとアキラくん、つきあったんだってー」
「とうとうか! マナ、頑張ってたもんねぇ」
 黄色い声で笑いながら交わされる会話を聞き、個室のドアが閉まるところまで聞き届けて私はそっとトイレを抜け出した。

 平和な学校だ。何も知らずに、平和な毎日を繰り返している。
 廊下を歩きながらぎゅっと握ったこぶしの先に、炎が揺らめいたように見えた。
 思わずぱっと手を開く。炎はすぐに消えた。唇をかみしめて呟く。
「私は……私は絶対に負けない。この身体は、渡さない……!」

 部屋を掃除していたら見つけた血糊と包帯に、そんなことを思い出した。
 わずか二年前の自分は、いったい何をしていたのだろう。しかもこの血糊と包帯、丁寧なことに錠がついた金属の箱に入れられ、蝋(ロウ)で封印までされていた。 
 引きつった笑いしか浮かべられない。けれど捨てるにはしのびなくて、もう一度箱にそれらを戻した。鍵をかけて大切に引き出しへとしまう。
 あまりに痛々しくても、これは大事な私の青春時代だ。青春を謳歌していた私の「記憶」だ。私の大事な「黒歴史」。
 話のネタくらいにはなるだろうと微笑みながら、そっと引き出しを閉める。
 次にここを開ける時は覚悟しよう。

 それからベッドにダイブした私は、枕に顔をうずめて思い切り叫んだのだった。
 二年前の自分に、拍手を送ろう。君は立派な邪気眼使いだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?