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両親が私にくれたもの

私の名前は、人とかぶらない方だと思う。

最近の子はそんなのが当たり前になっているかもしれないが、昭和の終わりに生まれた私の子ども時代は、すごく珍しがられた。
漢字自体はそう難しくないし、読ませ方もそのまま。
万葉仮名づかいで、一つの音に対して漢字が一つ使われている。
だけど音として聞きなれないのか、初見ではたいてい読み間違えられる。


今そんなことしようものなら大問題になるだろうが、私の名前は新学期になると先生方の持ちネタとして扱われた。
新学期。新しいクラスで初めての点呼。
先生はクラスを笑わせるために「わざと」私の名前を読み間違えた。


何故わざとと言い切れるか?
私が通うのは地方の、ド田舎の小さな小学校・中学校でありクラスは1学年に最高でも3つしかない。
担任じゃなくてもクラブ活動や集団登下校の担当などでたいていの先生とは面識があってしかるべき、という状況下。
地味な存在だが名前がレアという点で悪目立ちする私を、先生は当然認識していた。

それをクラスメイト達も知っている。
先生が「知っているのに読み間違える」から面白いのだろう。
新学期、クラスメイトの前で名前を読み間違えられた私は体を小さくして俯くばかりだった。
教室が笑いに包まれ、責任感の強い子が私の名前の本来の読み方を先生に告げる。

今思い出すと我ながら不憫だ。
顔を上げた先にいる先生は、新学期早々生徒の心をつかんだぞ、と笑っている。
消えてしまいたい、私はそう思いながら自分の名前を呪っていた。

小・中学校と進級するたびそんな目に遭ったので自分の名前がすっかり嫌いになってしまった。
思春期の多感な時期、私は母に直接言った。


「なんでこんな変な名前にしたの!」


おおお、若かりし私よ。変な名前とはきっついことを。
母は結構おおらかな人だから、変?え?変?と首を傾げるばかりだった。
実は傷ついていて今も気にしていたらどうしよう、今度謝っておこう。


私の名前は、両親がつけた。
名前の音を、父が。
名前の漢字を、母が。
それぞれが考えてくれた。

そうやって私は望まれて生まれてきた。


だから私の名前は読み方ありきの名前だ。
呼びやすいように、との気持ちが込められている。

優しい子になってほしいから「優」という字をつける、そういう風な名前の付け方をしてほしかった。そう思ったこともある。
呼びやすいの重視って聞いたことない、と学校の宿題で名前の由来について発表するのをためらったことがある。


でも高校生になり大学生になり社会人になってとうとう親になって見たら。
いつの間にか、私は私の名前が大好きになっていた。
時代が変わって私の名前はそこまでレアじゃなくなった。良い名前だねって言ってくれる友人ができた。

私は、私の名前がとても好きだ。
自分に合っていると自信を持てるようになった。

夫に少し前にそう告げたら、同意してくれた。
似合ってるよ、すごく良い名前だと思う。


大人になった今でも読み間違えられたら悲しい。
だって私は自分の名前が好きだ。間違えられたら悲しい。
でも良いこともある。小学校時代の同級生を名乗る男性から怪しげな電話がかかってきた時は断りやすい。
断言できるが、私の同級生で私の名前を読み間違える人間はいない。
私の顔は覚えられてなくても変わった名前のやつ、で名前はしっかり覚えられているのだ。だから「そういう人はいませんねー」で電話終了だ。
こういう時はとても便利だなあ。

この名前とも30年来の付き合いになった。
上手くいかずに背を向けてしまうこともあったけれど、今ではぴったり寄り添いあっている。

あまりに自分の名前が好きすぎて、先日娘の病院に行ったのに書類に間違えて自分の名前をうっかり書くぐらいだ。
お、お母さん…と指摘してくれた病院の受付の方、笑うなら笑って…!生年月日は娘の書いたのにね…変だよね…!

この名前でよかったな、と心底思う。
だからつい思ってしまう。

いつか娘が大きくなった時。
「この名前で良かった」とほんの少しでも思ってくれたらいいなあ。

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