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熱は伝わる

熱って何だろう。今日はそんなことを考える一日でした。

noteを始めて1年と3カ月が経ちます。勇気を出してふらっと立ち寄ったお店に通い始めたら、だんだんとお話できる友人が増えてきた。ここは、ぼくにとってはそんな感じの居心地の良い場所です。

今日そんな友人のお一人、ゆっこさんとZoomでお話をしました。お住まいの街にぼくも縁があるということもあって、noteのことに限らずたくさんお話をさせていただきました。あっという間の1時間半でした。

そんな様子をゆっこさんがひと足早くnoteに書いてくださいました。

入室までのおろおろ感が同じでちょっと笑ってしまいました。でも多分、ドリップしてたコーヒーのことを入室と同時に忘れ、終了後にやさしい温度のアイスコーヒーを一気飲みしたぼくの方がおろおろしてたと思います。

ゆっこさんはnoteの毎日更新をずっと続けられていて、日々ご自身が感じ、考えられたことをありのままで言葉で綴られています。文章から滲み出るお人柄のとおり、お話をしていてもそのまっすぐなお気持ちが伝わってくるお方でした。ぼくはまた「文は人なり」という言葉が好きになりました。

ぼくはライターでもなんでもありませんが、文章を書き続けることにたいへんな体力を要することだけはわかっているつもりです。

体力は動く力であり、熱を伴います。ゆっこさんのnoteを読んでいると熱を感じるんです。偏愛を語るときのようなほとばしるような熱ではなく、じんわり伝わってくる熱です(パルミジャーノ・レッジャーノのカッコよさみたいに伝わらない熱もあるけど…)。

上に引用したnoteでも書いてくださっていますが、以前、ゆっこさんから「このnoteを読んでもらえませんか」とご連絡をいただきました。ご本人には添削と書いていただいてますが、そんな大層なものではなく、ぼくが一人の読み手として感じ、考えたことを言葉にしたまでです。一つ確かにあったとすれば、ゆっこさんがその文章を書くのに注がれた熱にだけは負けちゃいけないという気持ちだけでした。

そう、熱が伝わったんです。

よく考えたら、熱ってエネルギーの流れのことだから、伝わって当然なのかもしれません。ゆっこさんが日々感じ、考えられたことを詰め込んだご自身の言葉は、誰が読んでも必ず伝わる熱を帯びています。受け取った人の心は熱くなり、ときに温かくなり、また伝播していきます。

熱を発し続けるためには別のエネルギーが必要です。ゆっこさんのエネルギーの源はきっとたくさんあると思いますが、ぼくがあのときお返しした言葉が、そして何より今日お話できた時間がその一つになれたのであれば、それほど嬉しいことはありません。

今日ぼくがゆっこさんから受け取った熱も、近く、どこかで必ず誰かに届くはずです。それがもしかしたらこれを読んでくださっている方の誰かかもしれないと思うだけで、何かが巡り始めたような気がします。

貴重なご縁をいただいたことに感謝しています。
これからも、ゆっこさんの書かれる文章を楽しみにしています。



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