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モノクロームに彩りを

かつて世界はモノクロームであった。どこかで色が与えられるまで白と黒の単一的な世界を人は生きていた。幼い頃、祖父母や両親の古い写真を見るたびそう思っていた。

伯母が亡くなった。癌だった。先月末に父からそう知らされ、数日前に容態が急変してからはすぐだった。親族だけで小さなお別れ会をすることになり、出先からとんぼ返りで伯母の家へと向かった。黒い服なんか着なくていいと呟く伯母の声が聞こえるような、蒸し暑い日だった。

棺の中で目を瞑る伯母は安らかな顔をしていた。無宗教の儀だからお経はなく、焼香のみ。副葬品を詰める時間、子である従兄妹たちが伯母の愛した本や小物を伯母に持たせてあげていた。大切なものに囲まれた伯母の額を伯父がそっと撫でる姿に、涙が込み上げ俯くことしかできなかった。

別れ花を手向けるとき、伯母の孫である従兄の長女がハンカチを片手に立っていた。何年も会っていなかった彼女はいつの間にか大学生となり、きれいな大人の女性になっていた。

半年前に成人式を迎え、一緒に住む祖父母と家族写真を撮ったばかりだったと言っていた。見せてもらった写真の中で笑う伯母は、この夏を最期にするつもりなんてこれっぽっちも無さそうだった。人生の二十年目を迎えた彼女は、この夏に最愛の祖母を亡くしたのだった。

不意に、自分が中学時代に祖父を亡くした日のことを重ねていた。物心ついた頃から同じ屋根の下で暮らしていた祖父の死は、初めて身近に訪れた永別だった。彼女もそうなのかもしれない。祖父もまたこうして家族に見守られながら旅立ったのを思い出し、隣に立つ彼女の涙へ、静かに祈りを捧げた。

その晩、伯母と撮ったという昔の写真が父から送られてきた。七十年近く前の奥多摩渓流で撮ったモノクロ写真。麦わら帽子を被る伯母の姿からして夏の一枚だった。伯母に肩を組んで写る幼き父は、四つ上の姉を自慢げに語っているように見えた。

伯母が若かりし頃を生きた時代が、どんな色に囲まれていたのかをぼくは知らない。きっと今と同じかそれ以上に彩り豊かだったのだろうが、モノクロームに還元された写真からはそれを窺い知ることも難しい。知っているのはその時をともに過ごした父だけで、父だからこそ知っている。

写真の加工技術がどれだけ発達しても、記憶だからこそ取り戻せる色がある。それは、手元の液晶でインスタントに切り取れる今の世界には映らない色である。

誰かのための追憶は、世界が彩りを吹き返す営みだった。あの日伯母へと手向けた花は、とても美しい色をしていた。


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