見出し画像

やわらかロールをたずねて三千里

あんなに衝撃的なロールパンと出逢うことは、もう二度とないだろう。

2015年10月、まだ結婚前だったぼくの妻は徳島にいた。学生時代から交際を始めて2年半が経った夏、彼女の新人配属先が徳島支店に決まったのだ。遠距離恋愛の始まりだった。

妻の出身は福島県。アイランド仲間ということ以外、徳島には縁もゆかりもない。当初は戸惑いもあったが、配属から数カ月が経ち、毎月一度ぼくが週末に徳島を訪れる生活にもお互い慣れてきた。そんな矢先の出来事だった。

「駅前に新しくセブンができるんだって!」

彼女からはしゃぐようなLINEが来た。駅前のきれいなホテルの1階に、新しくセブンができるという。前から駅前にあったセブンはちょっと窮屈だったから、どんなお店になるんだろうねとぼくらはワクワクを分かち合った。

念のため書いておくと、ここでいう「セブン」は株式会社セブン&アイ・ホールディングスが経営するコンビニエンスストア「セブン‐イレブン」のことであって、徳島のローカルスーパー「セブン」のことではない。どっちも近くて便利だが、こちらが追及するのは顧客の良い気分より安心。徳島といえば阿波藍。セブン&藍ホールディングス。すいませんでした。

翌日これは彼女の会社でも話題になった。昼休み、彼女は上司からこんな話を受けた(青木は妻の旧姓)。

「青木さん、駅前に新しくセブンイレブンができたみたいだよ」
「聞きました!楽しみです!」
「こんなチケットをもらったからあげるよ。パンがもらえるんだって」

上司から手渡されたチラシは下端がキリトリ線で切れるチケットになっており、そこには「オープン記念!もらえる!プレミアムやわらかロール」と書かれていた。どうやら、オープン初日にお店へ来てくれた人にロールパンを無料で配っているらしい。粋な計らいだ。

「ありがとうございます!今日帰りに寄ってみます!」

配属から数カ月。慣れない仕事と緊張感で毎日疲れ果てていた彼女にとって、美味しいロールパンをもらえるというのは嬉しい知らせだった。

ちょうど翌日金曜の夜にぼくが徳島に行く予定だったこともあり、週末の朝ご飯に一緒に食べたいという想いも膨らんだのだろう。彼女は、電車やカフェと所かまわず「朝はパン、パンパパン」とフジパンのCMソングを口ずさむほどのパン好きだったりする。本当にやめてほしい。

彼女は定時で退社し、意気揚々と駅前に向かった。駅前までは1km近く。方角は家と正反対。普段なら少し重い足取りも、この日に限っては軽やかだった。スキップをしたい気持ちを押さえて、彼女はとことこ歩く。気のせいか、道行く人たちの表情がいつもより活気に満ちているように見える。

駅前にたどり着いた。ガラス張りの壁を通して注ぐ店内の明かりが、バスロータリーを照らしている。新しい生活の予感。オープン初日ということもあり、レジには店内を1周するほどの行列ができていた。

だが彼女はひるまない。ロールパンが待っている。

列に並ぶこと5分余り。彼女の順番がやってきた。どんなロールパンなんだろう。レーズン入りだろうか。もしかしたらクルミかな。いやいやプレーンかもしれない。折れないようクリアファイルにしまっていたチケットを、颯爽とレジに差し出す。

「このチケットを使いたいんですけど」
「はい、お待ちください」

念願のロールパンとのご対面だ。

















ゑっ…?








彼女は茫然自失した。バターの芳醇な香りをまとい、香ばしく、艶やかな小麦色をした幸せのまん丸。そんなものはどこにも見えない。ロールパンの概念が歪み、時空の彼方に消え去った瞬間だった。パン、とは。

混雑する店内。慌ただしく手渡されるやわらかロール。引き取られるチケット。後ろの客が控えている。彼女は、押し出されるように店の外へ出た。

駅前のバスロータリーを涼やかな秋風が吹き抜ける。意識を取り戻した彼女の手に感じられる、ふんわりやわらかい感触。よくロールされている。クロワッサンも顔負けなほど、何重にも。1つだけ違う点があるとすれば、それがパンではなかったことぐらいだ。

踵を返した彼女は店内に並ぶ人々を眺め、こう呟いた。

「それ、トイレットペーパーだよ」



彼女は帰路に着いた。左手にはまだピカピカの紺色のトートバッグ、右手にはプライスレスのトイレットペーパーを提げながら。

駅から自宅までは2km以上。夕暮れの空に浮かぶ鳥の群れは、カラスかもしれないし、カラスではないかもしれない。通り過ぎる繁華街の軒先から聞こえる賑やかな声も、今の彼女には絶望の調べでしかなかった。

気を紛らわすためにスキップをしようと思った。でも一歩間違えれば、生まれて初めてトイレットペーパーを買ったOLだと思われてしまう。そんなことはできない。だっていつもちゃんと拭いている。否。いつもちゃんと紙を使っている。

「パンがもらえるんだって」

お昼休み、上司は確かにこう言った。商品名はやわらかロールだ。チケットには写真もなかったし、疑うわけがなかった。やり場のない怒りとはち切れそうな悲愴感。そのエネルギーをふんわりロールにぶつけてみても、幾重にも重なった白い紙の層がむなしく凹むだけだった。

夜、ぼくはこの事件を彼女からLINEで知らされた。あまりにも残酷な(だが面白すぎる)世の不条理(とは言い難いただの勘違い)に、ぼくは憐みの想い(を装った爆笑のスタンプ)を届けることしかできなかった。

スーツケースの準備をしていたぼくに、彼女はこう言った。

「明日から使おうね、やわらかロール」


**


この話には後日譚がある。

同様の被害者が、全国に何人もいることがわかったのだ。

他のサイトも調べてみたところ、遅くとも2011年には事件が確認されているようだった。ロールパンと勘違いした人だけでなく、ロールケーキと勘違いした人も多数いたと推測される。かぶりつかなかったことだけが不幸中の幸い。米国だったら即クラスアクション(集団訴訟)案件である。

各地でチラシや広告の書きぶりも違うとは思うが、「プレミアム」と言われればセブンプレミアムのスイーツを思い浮かべるだろうし、「4個入り」と言われれば「みんなで分けられる」と楽しみも膨らむに決まっている。深い傷を負った犠牲者の気持ちは推し量ることができない。10万回巻いたロールパンを10年分贈ってあげたい。

というか、これだけの犠牲者が出ているにもかかわらず、セブンはどうしてオープン記念にトイレットペーパーを配り続けているのだ。賞味期限もないし、捌ききれず在庫になっても置き場所以外困ることがないからだろうか。困るだろ。商品名で期待値を上げすぎている。

極めつけはこんな商品まで存在することである。

そう。妻は当時、ロールパンではなかったとしても、こういう幸せを求めて夕暮れの街を必死に歩いたのだ。眩い白色と輝く小麦色のコントラスト。それがどうだ。トイレットペーパーだ。白色はともかく、そこにプレミアムな小麦色が乗ってくるのはもう少し先の話だ。すいませんでした。

「やわらかロール4個入り」と「ふんわり手巻きロール4個入り」。紛らわしいったらありゃしない。後者は手巻きだろという反論は受け付けない。前者だって使うときは手巻きなのだ。誠に罪深い。

セブンプレミアム向上委員会は、美味しさよりも、紙の質よりも、先に向上すべきものがあるのではないだろうか。同じ悲劇が繰り返されぬよう、このnoteが世の役に立つことを心から祈っている。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?