日本酒に魅せられて
日本酒が好きです。深遠な歴史と豊かな文化を兼ね備え、多彩な味わいで食を懐深く包み込む。惹き付けるに余りあるその魅力は、ぼくなんかに語り尽くすことはできません。
でも日本酒も書くことも好きだから、出会ったお酒のことは言葉に紡いでおきたい。そうこうするうち10年近くが経ちました。
出会い
大学生として迎えた最初の正月、ぼくは「浦霞 禅 純米吟醸」に一目惚れをしました。
謙虚に漂う吟醸香と、透明感のある口当たり。ひんやりと涼し気な甘味は上品で、柑橘系の酸味が次の1杯を惹きつける。バランスよく引き味もいいので、食中酒としても最適。宮城県塩釜市の佐浦酒造が醸す永遠のロングセラーであり、ぼくの中で揺るがない王道の吟醸酒です。
浦霞 禅をぼくに教えてくれたのは、今は亡き伯父でした。大の酒好きだった伯父は毎年正月に親族で集まるのを楽しみにしており、大学生になったばかりの若造に良い酒を飲ませてやろうと思ったのでしょう。
その思惑が功を奏したのかどうかはわかりませんが、ぼくは毎週のように行きつけの呑み屋に通い、旅行のたびに酒蔵を訪れ、(何の意味があるのか長年迷った末に)唎酒師の資格を取るくらいには、趣味の大半を日本酒に捧げる20代を過ごすことになりました。
生憎、盃を交わす機会も少ないまま伯父は7年前に急逝しましたが、今でも新年の初呑みは必ず浦霞 禅です。年明けに伯母の家に四合瓶を引っ提げていき、なみなみ注いだ徳利を仏壇に供えるのが恒例になっています。
下の写真は、6年前に浦霞の蔵元を訪れたときの1枚です。惜しくもひやおろしが軒先に並ぶには数日早い、残暑真っ只中の季節でした。
物語としての魅力
1970年代から減少の一途をたどる日本酒の国内出荷量と相反して、そこに占める特定名称酒の割合の増加が示すように、日本酒の品質はかつてないほど高まっていると言われます。
「モノ」としての日本酒の魅力を極め続ける多くの蔵元がいて、その一人一人に確固たるモノづくりの理念と妥協のない実践がある。専ら飲む側の人間としては、敬意を表するほかありません。
そんな日本酒だからこそ、蔵元が懸ける想いには物語があるはずです。
四季の移ろい豊かなこの国で、土地ごとに違う気候、水質、米をもって醸されたお酒にはそれぞれの顔があります。その表情は酒器や温度、合わせる食事などによって豊かに変化する。文化や歴史まで知ると味に深みが増し、造り手に想いを馳せながらお酒を飲むと、美味しさは何倍にもなる。日本酒贔屓かもしれませんが、そんな気がしてなりません。
今、日本酒は百花繚乱。ちょっとした居酒屋や、スーパー・コンビニでも美味しいお酒が簡単に手に入ります。だけど、そんな美味しいお酒が手元に届くまでに、どんなドラマがあったのか。
自分なりの感性を研ぎ澄ませ、味だけではなく物語も味わう。真摯にモノづくりに励む造り手があってこそ感じることのできる貴重な物語。最近よく聞く「モノからコトへの消費」というフレーズだけで安易に語ることは到底できません。1杯飲むだけで、それはもう信じられないほど豊かな気持ちになることができる芸術です。
noteと日本酒
と、つらつらと日本酒への想いを綴ってみたものの、毎回飲むたびにこんなこと書くわけにもいきません。飲んだお酒は整理と検索のしやすさからEvernoteに書き残しているので、今更それをここに移すのも面倒です。
ということでnoteには、心に響くような美味いお酒を飲むかなんかして、日本酒への想いが高まったときに感じたことや考えたことを書くようにします。大抵は、「美味しい...」の一言しか出てこなかったお酒を飲んだときに、その感想を造り手へのラブレター的にしたためることになりそうです。
地域でいうと、東は静岡、長野、西は広島、鳥取あたりのお酒が好きです。淡雪のように後口の潔い吟醸酒や、優しい木の温もりを感じさせるような火入れのお酒の虜になることが多いかもしれません。
一方で、(鳥取と書いた時点でお察しの方も多いと思いますが)腰の座ったお燗とカレーライスみたいな組合せも定期的にやりたくなる人です。予想外のペアリングに遭遇すると、嬉しくてたまらなくなります。
そういえば結婚式の乾杯酒は、式場のレストランに無理を言って瓶内二次発酵のスパークリング日本酒に変えてもらいました。基本、博愛です。
次回からは、今までに出会ったお酒を綴っていきたいと思います。
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