見出し画像

写メってセンター問い合わせながら着メロ聴いてたあの頃 #ケータイの履歴書

思えば、多感な青春時代をガラケーで過ごした。ガラケーなんて言わなかった。あいつらはケータイだったし携帯だった。

最初の携帯は中学卒業の日に親に買ってもらったauの新機種。卒業式のあと友人たちと集まったシェーキーズで作ったキャリアメールのアドレスは今も現役だ。未だに「200万円はすぐに反映されます」「課金申込完了しました」みたいな件名の迷惑メールが届いている。こないだなんて「ランジェリー姿送っちゃダメかな?」とか着た。はしたない。でもかまいません。

こないだ、ある方がツイートで歴代の携帯を並べている写真を見かけた。そういや自分も歴代の携帯まだ全部持ってたなと思い、机に並べてみた(ちなみに左上の2つは両親が昔使ってたドコモの携帯。一緒にしまわれていただけでぼくのではない)。

画像1

エモい。

都内で下から数えた方が早いぐらいには写真撮るのヘタクソなのに十分エモい。何ともエモーショナルだ。そしてノスタルジックだ。

眺めていたら一つひとつの思い出が蘇ってきた。


画像2

W21CA(中3~高1)
初ケータイ。「ウィン21シーエー」と読む。ウィンってどういう意味だっけ。CAはカシオの略。最後のアルファベット見ればメーカーがわかる時代。

中2病大爆発シーズンだったからデジカメっぽいメカニックさに一目惚れした。今からすれば画質は粗いけど、当時にしてはかなりの高品質カメラだったと思う。液晶部分が可動するのが何ともカッコよかった。

画像7

こんな風にぐいっと回せる。

EZナビウォークというauのマップサービスが初搭載された機種でもあった。Googleマップなんてない時代だったから、紙の地図以外で現在地を確認できるなんて驚異の技術だった。部活の試合会場がわからないときとか、たまに使ってたなあ。

あと、PCサイトビューアーってのもあった。前略プロフみたいなケータイ専用サイトじゃなくて、PCで見るのと同じようにサイトを閲覧できるサービス。通信料が結構かかったからか画面が小さくて見づらかったからか、いざというときにしか使わなかった記憶がある。

バンプとかミスチルの着メロ(拡張子3g2)をガンガン聴きながら、ガンガンセンター問い合わせしてた時代。新着0件…新着0件……新着1件!きた!返信きた!と思ったら何だまたお前かよざけんなと友人に理不尽な怒りをぶつけながらベッドの上を転がっていたブルースプリング。


画像3

W44T(高2~高3)
初の機種変。Tは東芝。何の変哲もないデザインだけど、miniSDを使わず本体に1GB保存できる革命的な機種だった。リスモで着うたDLしまくって本体に保存してた。黄緑色のリスが懐かしい。

リスモで思い出すのは、アジカンのブラックアウトを部活の合宿の朝のアラームに使っていたこと。確か2006年の夏、リスモのキャンペーンで着うたを無料ダウンロードできたのです。

それで思い出したけど、前年2005年の夏合宿のアラームはaikoのキラキラの着メロだったな。ぼくじゃなくて、同じ部屋で寝てた先輩の携帯のアラームがそれだった。毎日5時に爆音で鳴るのが嫌でトラウマの曲になった。

でももっとトラウマなのは、高3の国立2次試験の前日に本体データが写真含めて全部消滅したこと。アジカンどころかわたくしのメンタルがブラックアウトです。めっちゃ泣いた。高校時代の思い出の写真が全部消えたから。本体にたくさん保存できるのが仇になった。ぼくが浪人したのはこいつのせいです。東芝め。


画像4

W51CA(浪人~大1)
またカシオ。閉じたときにサブ液晶に日付とか通知が出てくる、カシオにしては珍しい機種。でも浪人時代は孤独極めてオンリーロンリーグローリーだったから、誰とも連絡とることもなくマジで通知不要だったことをカシオに今通知したい。

書いてて思い出したけど、これ父親のおさがり。サブ液晶のあるカシオが欲しくて父親に強制的に機種変させたんだった。ひどすぎて笑う。

たたんだ状態から開いたときに鳴るあの「カチッ」って音が好きだった。カシオ好きの友人といつも冗談半分でカスカシオと罵り合っていたのが懐かしい。どっちが言い始めたか覚えてないけどスガシカオには悪いことしたなと思っています。


画像5

CA004(大2~大3)
EXILIMケータイ。またカシオかよ。でも薄くよりスタイリッシュになってて、これなら今もまだ全然使いたいと思える。

この携帯はシアトルでの留学中も使ってた。忘れもしない2012年2月某日の米国深夜3時。日本のある企業の採用担当者から電話がかかってきて飛び起きるようにして電話に出たら、エントリーシートが通過したので1次面接に来てほしいとの連絡だった。寝ぼけながらありがとうございますと返した。

これ、まさかの今の勤め先。あの晩あの電話を取れてなかったら、今どこで何してるかわからない。そんな思い出のある何ともエモい携帯です。でも本体の表面に貼ったままになっている当時付き合ってた彼女とおそろのシールが剥がそうにも剥がれなくて何ともエグいです。


画像9

HTC Hero(大3)
初のスマホは米国産。日本の携帯(さっきのCA004)を海外で使い続けるのは携帯料金が高くつくということで、現地の友人と連絡を取るのにはこっちを使ってた。ずっとiPhoneユーザーの気分でいたけどこれAndroidじゃん。

率直な感想を言うと、このスマホは最低最悪だった。キーボードが打ちづらすぎていつも叩き割ろうとしてた。シメジってなんだよふざけんのも大概にしろと思ってたのに、今やメジャーな日本語入力キーボードになってて驚いた。あのとき叩き割ろうとしてごめんなさい。


画像10

iPhone4S(大4~社会人2年目)
スマホになって以降は大した思い出がなくてビビる。ないわけじゃないけど、やっぱり学生時代の方が記憶が濃いのだと思った。特にガラケー時代。ガラケーだからとかじゃなくて、ただ青春だっただけなんだろうな。

唯一印象に残ってるエピソードは、液晶が割れた日のこと。会社の先輩が「カバー付けてたのに、昨日歩道橋の上からスマホ落としたら液晶バッキバキに割れちゃった」と世迷い言をおつぶやきになった。その話を聞いて「カバー外したら、落としちゃったときにやっぱ割れるんかな?」と思い立ちカバーを外した数時間後、デスクから華麗に落として液晶割った。


画像11

iPhone5S(社会人2年目~社会人5年目)
泥酔した飲み会のトイレで水没させて死んだ子。合掌。


画像12

iPhone7(社会人5年目~現在)
すごく長く使っていることに今気付いた。


画像13

普段はカバー付けてるんだけど、本体裏面には徳島県のマスコットである「すだちくん」のシールが貼ってあって、カバー取るたびにご対面する。

妻が結婚前は徳島に赴任しててぼくが毎月のように通ってたから、何かのタイミングの勢いでシールを貼ったんだと思う。このシールめっちゃ粘着力強くて全く剥がれる気配がないんだけどどうすればいいんでしょう。


--*--


あんまり携帯に思い入れなんてないなと思ってたけど、書き始めたら人並みにあったみたいです。捨てるに捨てられなくなってしまった。

何度も機種変してもっとたくさんの携帯と一緒に過ごしてきた人や、色々なエピソードを持ってる人がいるんじゃないかと。皆さんの携帯の思い出も聞いてみたいです。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?