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偶然という雲

 偶然というのは、不思議なものだ。自然には法則があり、それは数学的に定まっていて、数式自体に、偶然が入り込む余地はない。たとえ数式が決定論的でなく、自然の確率を予測するものであっても、数式の定式化そのものが、ゆらぐことはない。数式は、自然における必然をあらわしており、自然のすべては、もし理想的な数式があれば、その数式に従っている。しかしそれでも、偶然がなくなることはない。では、偶然とは、いったい何なのだろうか。

 ひとつには、偶然というのは、必然の定めることのできない、誤差によって生まれる、という見方がある。数式は、小数点以下無限の精度で、実験結果を予測できるものではない。数式に欠陥がある可能性は常にあり、また、実験の精度上、確認しえない限界がある。

 つまり、数式による必然には、説明しうる限界が常にあり、その限界の範囲内で必然は機能し、数式の説明範囲をこえるものが、偶然をなす。

 その際、ある説明に成功している数式は、その成功の範囲内で、真であるといえる。すると、必然というのは、真なる数式の説明する範囲において成り立ち、真理から外れるものが、偶然である、ということになる。

 それは要するに、説明範囲内のものは、その数式の真理によって因果づけることができるために、偶然性が取り払われて、必然として成り立つ、ということだ。逆に、説明範囲外の、真偽が問えないものは、因果を問えないため、偶然のものとして扱われる。

 では、誤差というものが、なくなることはあるのだろうか。仮に、理想的な数式があるとして、その数式は、小数点以下、無限の精度が保証されている、とする。すると、その数式を手にした時点で、世界のすべては、必然になるのだろうか。

 残念ながら、そうはならない。というのも、その数式の精度を確かめようとして、実験をすると、実験結果の数値を、一つに決める必要が生じる(もちろん、値の領域という意味で)。すると、数値を区切った範囲内で、必然は成立し、その範囲より細かいものについては、必ず偶然が成立する。

 すなわち、小数点以下、無限の数は、実験結果を表す数として表現できない。仮に数式上、無限の精度が保証されても、その保証を、確かめるすべが、私たちにはない。

 その、なくなることが決してない、偶然というものは、さしずめ、空に流れる、雲のようなものだ。大気があって、海があり、日の光が差すかぎり、雲は必ず、どこかで生まれる。しかし、昔は年がら年中、吹きつける嵐だったのが、今は明るい空に流れる雲を、穏やかに眺められることが、素直に喜ばしいと思う。

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