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舞台「ラビット・ホール」

ラビット・ホール、観に行くはずだった公演が中止になってしまってから、一週間が経った。
KAATの公演も初日に行くはずだったけど初日延期になってしまって、中止の発表があってすぐに翌週のチケットを確保してなんとか観れた。そしてその日のマチネを観てソワレの当日券を買った。マチネは舞台装置の不具合で2幕が一幕中断。いろいろあった公演だった。
ということで、結果的に大千穐楽となった日からけっこうな時間が経ってしまったけど、感じたものを残しておこうと思う。

事故で4歳の息子を亡くしたベッカとハウイー夫妻とその家族の話。ベッカの母のナットは、過去に息子(ベッカの兄)を亡くした経験がある。
物語は、事故から8ヶ月後、ベッカの妹イジーが新たな命を授かったところから始まる。夫婦は平穏を取り戻しているように見えて、小さなズレがそこらじゅうにある。
この物語では、誰もが傷ついている。一見するとベッカだけが頑なで周りの言葉を受け入れようとしないように見えるけど、ハウイーだって当然に傷ついているし、周囲に当たる娘の姿に母も傷ついているし、新しい命を素直に喜べない妹も苦しんでいる。相手のことを責めたくないのに、自分自身が一杯一杯で余裕がなくて、受け入れられなくて、お互い反発してしまう。8ヶ月も経っているのに、消えない気喪失感。
ベッカがハウイーとの言い争いの中で「私は正しい悲しみ方をしてないんだよね」という言葉を放つ。ただベッカとハウイーで悲しみとの向き合い方が違うだけであって、正しい悲しみ方なんてものは一つじゃない。ダニーを思い出すのが辛いからダニーの物を全て片付けようとするベッカも、ダニーとの動画をいつまでも慈しんで見るハウイーも、自分なりのやり方で悲しみを癒しているだけなのだ。"正しい悲しみ方"は、人の数だけある。

ある時、ダニーを轢いた青年ジェイソンがやってきて、ベッカはジェイソンと話をする。ジェイソンが描いた「ラビット・ホール」という漫画、そして彼との会話の中で、ベッカは悲しみとの新しい向き合い方を見つける。
ラストシーンでは、ベッカとハウイーが"これから"のことのことを少しだけ話し、二人ともが前を真っ直ぐ見つめたまま、どちらからともなく手を伸ばし、重ね合わせる。
これから先の二人に、二人の家族に、そしてジェイソンに、幸せな未来が来ることを願う。

舞台上はシンプルなコーベット家のリビング。テーブルには背もたれのある椅子が3つと、スツールが一つ。ところどころにダニーの影がある。
天井にはダニーの部屋が逆さまに吊るしてある。手を伸ばしても届かない。家を売るために片付けられた現実の部屋と、事故の日のままの逆さまの部屋。これはラビット・ホールで描かれていたパラレルワールドを示しているんだと思う。やたらと食べたり飲んだりのシーンがあったのは"日常生活"の延長を描いているのかな。舞台上で仕上げられるクリームブリュレの匂いが漂ってきて甘いもの食べたくなった。ベッカとハウイーのテーブルの拭き方にも個性が出てて、そのまま二人の悲しみ方の違いに繋がってる感じがしててよかった。

万里生くん目当てだったので他の役者さんは皆さんはじめましてだったんだけど、皆さんとても自然体でこの物語にぴったりだった。ミュージカルじゃないのでピンマイクは使ってないけどセリフが聞こえないなんてこともないし、激昂するような場面でもリアルな響きがあった。
特にマチネはトラブルがあって一時中断した上に再開したシーンは動きも少ない、ベッカとナットが二人でただ話すだけのシーンだったんだけど、客席の意識を集中させる手腕が素晴らしかった。自然と引き込まれていった。。。
万里生くんはミュージカルでも歌以外の芝居の部分もとてもお上手なので全く心配はしてなかったけど、期待以上にハウイーという人を生きていて素敵でした。特にね、目の芝居が好きなんですよね。目に光を宿したり光を消したりが自在なんですよ。ラストシーンは特に印象に残りました。

初日は延期され、兵庫公演も中止になり、予定していた数より公演数が少なくなってしまって、結果的にこの作品を観れた人も減ってしまったというのがとても惜しい。一人でも多くの人に観てほしいと思った作品だった。いつか再演されますように。その時は、予定通り全ての公演ができますように。

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