嫌われる勇気…勇気?

どうも。嫌われるモーションが得意なおじさんです。
しらんけど。

自分の中では、あれこれ将来の指針みたいなのがあれこれあって。あれこれ。

その指針の妨げとなる存在にアプローチされたときはもちろん、
色々接点のある方がうわぁ…なことやっちゃってる時にも、
ソイツ承知の上で嫌われムーブしてるかな。

これまぁ理由色々あるけど、すごくシンプルにまとめるとすれば

嫌う感情にはしばしば対象に対する手前の無理解の棚上げが混在することがある。
その棚上げを知覚することなく嫌いと言い放ってしまう人に、
あれこれ物を伝えたところで意味がない。
嫌われモーションはその選別にも使える。

みたいなかんじ。

…個人的なことだけど、よーーーく考えたらのいさんほぼほぼ
その選別の瞬間ぐらいでしか嫌われモーション使ってないなと、

なんか最近気づいたのでした。

ここから話を派生させれば、全ての嫌いから、無理解を取り除くことが実現できれば、
残った嫌いは嫌いという言葉ではなく、低評価に還元できるんだろうなという話もあり。
(嫌いと低評価を同義に置いてる人は評価で単語検索した方がいいぞー)

嫌われることに勇気とかいる?
ライトな表現でいうと友達は選べなんていうこともあるけど、
あれ悲しいかなその言葉には肯定せざるを得なくて、
もし人生が有限でなければそのすべての方に等しく
分け隔て内交流ができたのかもしれないなぁと

博愛主義の現実的に無理ゲーじゃねなんて思ったりもします。

凄い話が複雑化してるので最後にまとめるとこんなかんじ。

嫌うという感情に無抵抗に制御されている人は表層の解析というものを全く行っていない。
その積み重ねの末に無自覚に傲慢な振る舞いをしているとなれば、
そんな方と距離を置く選択もまたしかたない事かな。
少なくとも嫌いという感情が良い方向に活用できる見込みなんて
現実的にはかなり薄いから、感情的な処理なんかとっととやめて
対象を多少たりとも正確に図るものさしを獲得してしまった方が
自分を取り巻く全ての物事に対して、
精神衛生的にプラスに働くのではないだろうか。
そのものさしを獲得できれば、
嫌われることは自然発生的防衛ラインみたいな何かになるかな。と思ったりします。
…あれ、でもこれってつまり勇気って介在してなくね?
なんだ?嫌われる勇気の勇気って。勇気要らなくね?

あい。みたいなことを思いました。

おしまい。

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